国分神社


河内国安宿郡
大阪府柏原市国分市場1-6-35
(P有、一の鳥居前と境内どちらも可)

■延喜式神名帳
[境内社 杜本神社] 杜本神社 名神大 二座の論社

■旧社格
村社

■祭神
大國主命
少彦名命
飛鳥大神


「大和川」の南岸畔に鎮座する社。大きく湾曲していた川筋が当地より緩やかなカーブに。また当地より上流は「地辷り(ぢすべり)」多発地帯として古代より悩まされ続けた地。当社の直前で「地辷り」で崩れ落ちた岩石が溜まっていたようです。ご本殿背後に130m級の前方後円墳を控えます。
◎古書、古伝によれば鎌倉時代の創建とありますが、おそらく創祀はさらに遡り飛鳥時代かと考えます。
推古、舒明の両天皇に仕えた船氏(帰化人)が奉斎したと考えられる社。船氏は居住、中国の古札や接待、技術などを伝えたとされている氏族。王後首(オウゴノオビト)と妻の安里故能刀自(アリコノトジ)がご本殿背後の「松丘山」に葬られたとされ、その頃から何らかの祭祀が始まったと思われます。ご本殿自体が明らかに古墳を意識した場所に建てられているのがその理由。
◎ただし古墳の出土品から推定される築造時期は4世紀後半。時代にかなり開きがあります。前方後円墳の周囲に10基程度の円墳があったらしく、飛鳥時代の古墳形状から考えると、船氏が葬られたのは円墳の方でしょうか(詳細は → 松岳山古墳の記事にて)。
◎当地は上述のように「大和川」が湾曲した川原のすぐ側に鎮座、船運の要衝地。巨石がごろごろと転がっているため、ここから上流は進むのは難しいようで、船氏が勢力を持ったのも関所としての機能を生かしたからとか。またサヌカイトの産地でもあり(すぐ隣の芝山からも産出)ご本殿の裏にも石組として大量に使われています。
◎現在のご祭神は船氏が没落した後に、氏人たちの信仰があった大神神社から大國主神と少彦名神を勧請。また飛鳥伴造(あすかとものみやつこ)から飛鳥大神を勧請されたとしています。こちらは飛鳥戸神社からではないかと考えられています。
◎式内名神大社 杜本神社に関しては、元々国分東条町にあったものが明治の合祀政策により当社の境内社として合祀されたもの。現在は旧社地に再興されています(国分東城町の杜本神社)。なお杜本神社の論社は羽曳野市にもあります(羽曳野市駒ケ谷の杜本神社)。

杜本神社(柏原市国文東城町) 

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。






ご本殿裏の石積は、かなりの割合でサヌカイトが使われています。これほどの量を贅沢に使えたのは、相当な権力を持っていた証と考えられます。


断面を見るとサヌカイトであることがよく分かります。

こちらが式内名神大社 杜本神社。