十市御縣座神社


大和国十市郡
奈良県橿原市十市町1
(P無し、社前道路に寄せて停めればギリOKか)

■延喜式神名帳
十市御縣坐神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
豊受大神
[配祀] 市杵島姫命
*社伝では、大目命をご祭神とする(下部参照)


皇室の御料地の守護神として祀られたという大和六御縣神社の一社。
◎創建は社伝によると、天平二年(730年)の「大和国正税帳」 に表れるのでそれ以前としています。ところが紀の645年の記述に「倭國の六つの御縣に遣わされる使者は…」という「御縣社」に関する記述があるので、それ以前とみて差し支えないと思います。一説には4~5世紀ともされてはいますが。
◎ご祭神については「御縣社」であることから、食物神としては最高神である豊受大神を祀るとしているのは妥当なところかと思われます(神社側では保食神と倉稻魂神とも同神としていますが、これは疑問)。
◎ただし当地は十市県主の本貫地であるとされており、当地の管理を行うとともに、当初は祖神を祀る社ではなかったかという説も。さしあたり五十坂彦神または大目命。或いは十市県主を磯城県主と同族とみて、遠祖であるとされる事代主神または鴨主神あたりでしょうか。
◎十市県主については、古くに栄えそしてまた古くに衰微したため不明な部分が多い氏族。
「五郡神社記」には事代主命の御子である鴨主命を祖とする氏族。その書が引用する「十市県主系図」には、第5代孝昭天皇の時に春日県主が改称して十市県主になったとあります。
紀の一書によると、春日県主は第2代綏靖天皇、第3代安寧天皇の皇妃を出し、春日県主が改称した十市県主は、第5代孝昭天皇、第6代孝安天皇、第7代孝霊天皇の皇紀を出したとあります。これは「十市県主系図」でも同内容。
◎第6代孝安天皇の妃となったのは五十坂彦神の娘神である五十坂媛。また社伝において当社ご祭神としている大目命の、娘神である細媛命が第7代孝霊天皇の妃となっています。
◎「多神宮注進状」には以下の内容が記されています。
━━八井耳命これを創斎し、その母族の従兄弟にあたる春日県主遠祖の大日諸命を祭司とし、崇神朝に十市の太郷に神社を建て、此の社の旧名は春日宮といったが後に多神社(多坐弥志理都比古神社)という━━
また別に以下のものも。
━━春日県で祝となった大日諸命は「十市県主系図」では「大社祝」とされているが、この「大社」は多神社である━━
◎これらによると十市県主の前身は春日県主であり、多坐弥志理都比古神社を創斎し奉斎していたということになります。当社はそちらから西南西3km足らずの地。
多坐弥志理都比古神社は東の「三輪山」山頂と西の「二上山」の中間とを結んだ線上の中心に鎮座し、「日祀り」の聖地であったとされる社。またその線上に春日神社(桜井市芝)が鎮座します。そちらは大神神社の「三ツ鳥居」の起源になったとも言われる社。「春日」は「春日県主」由来だったのかもしれません。

◎他説として「五郡神社記」は、草神野雷命(野原に生える甘菜辛菜から)としています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



境内の維持管理は常に徹底されており清浄そのもの。
「豊受大神」の扁額








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