神武天皇社


大和国葛上郡
奈良県御所市柏原字屋敷246
(境内にギリギリ駐車可、できれば近隣の「人権ふるさと公園」にて)

■旧社格
村社

■祭神
神倭伊波礼毘古命


神武天皇が即位し「国見」をしたという、「掖上の本馬丘(嗛間丘、ほほまのおか)」の麓に鎮座する社。「掖上」「秋津」の地名も残っており、「国見」をした場所は中腹の燕神社であるとも。
◎また当社は神武天皇が即位したという「橿原宮」の候補地の一。紀には「橿原宮」にて帝位につくと。そして「畝傍の橿原…」と記されます。
比定地は橿原神宮であり、こちらは高市郡(現在の橿原市)「畝傍村」「久米村」「大久保村」に跨がり明治に造営されたもの。紀に見える「畝傍」というのは概ねこちら周辺を指します。
◎一方で「大和誌」は「橿原宮 柏原村に在り」と。いわゆる「畝傍」という地からは3kmほど南西の地。本居宣長は「菅笠日記」において、「畝傍山」の近くには「橿原」という地は無く一里あまり西南にあると里人から聞いたとしています。

◎歴史、立地その他いろいろと勘案しても、もちろん橿原神宮は「橿原宮」でないのは明白。明治に橿原神宮を造営する際に、この地が宮跡に指定されると住民は移住せねばならず、証拠書類をすべて焼き付くしたと言われています。
◎もう一つの「橿原宮」候補地が「畝傍山」の山腹に、「丸山宮跡」として繁みの中にひっそりと存在します。
こちらはかつて「洞村」と称され、村人が生活していた地。「丸山宮跡」は村人たちが、宮跡であり、かつ真の神武天皇陵であると難く信じて守り通してきたものと伝わっています。こちらも同様に、証拠書類をすべて焼き付くしたと言われています。
◎個人的な思量としては、当社が「橿原宮」の跡地に創建された社で、「丸山宮跡」は真の神武天皇陵ではないかと考えています。宮と御陵を同じ場所にするとは思えないことなどから。
いずれにしても双方の地区とも、この比定問題を含めて部落差別の悲しい歴史を辿った地。
◎なお境外摂社として神武天皇の妃を祀る嗛間神社が、南50mほどのところにあります。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。









当社越しに「嗛間丘」を。