高屋神社 (羽曳野市古市)


河内国古市郡
大阪府羽曳野市古市6-12
(P無し、社前道路は狭小の一方通行で停め置き不可、近隣コインPもなし)

■延喜式神名帳
高屋神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
饒速日命
広国押武金日命(第27代安閑天皇)


羽曳野市古市の狭小住宅密集地内に鎮座する社。窮屈に狭小境内に、かつての式内社とは程遠い姿で収まっています。
◎社伝によると第28代宣化天皇(536~539年)の勅命により創建されたとしています。創建由緒は不明。
◎当社はこの辺り一帯に居住した高屋連が祖神を祀ったと社とされます。
「新撰姓氏録」には、「河内国 神別 天神 高屋連 饒速日命十世孫伊己止足尼大連(イコトノスクネオオムラジ)之後也」と記載。
また「先代旧事本紀」天孫本紀には、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)→(4代略)→5世 大綜杵命(オオヘソキノミコト)→6世 伊香色雄命(イカガシコオノミコト)→7世 物部十市根命→8世 物部胆咋宿禰(モノノベノイクイノスクネ)→9世 物部五十琴宿禰連公(モノノベイコトノスクネムラジキミ)→10世 物部伊莒弗連公(モノノベイコフツノムラジキミ)と記載。
物部伊莒弗連公は神功皇后の御代、大連の姓を賜ったとあります。
◎ご祭神は饒速日命ではなく、物部伊莒弗連公(伊己止足尼大連)とする説も。「神名帳」では一座であり、広国押武金日命(第27代安閑天皇)は後からの合祀かと思われます。
◎社頭案内には、━━続紀の文武天皇 慶雲元年(704年)6月の条に「高屋連業女の3つ児誕生」の件や、上の太子叡福寺裏山の古代墓から出土の「宝亀7年(776年)の高屋連枚人墓誌」、および古市西琳寺関係文書の中にでてくる「西琳寺の僧名」からも、河内国古市郡の人、高屋連○○と記された人々を散見することができる━━(細部のみ改変)としています。

◎江戸時代には「八幡社」と称されていたようですが、明治の合祀令で同じく1丁目に鎮座する白鳥神社に合祀。昭和に入り現社地にて復社したとのこと。現在も白鳥神社内にて祀られています。
◎旧社地は「神社覈録」によると、「古屋敷邑」にあったとし、いくつかの説を挙げています。
一つは、北へ500mほどのところにある安閑天皇陵の南側、「古市5丁目8番」の城山姥不動明王の地とする説。
もう一つは、「古市5丁目10番」の安閑天皇皇后 春日山田皇女陵に祀られていた八幡神とする説。
さらにもう一つは、現社地付近の「古市6丁目」のどこかとする説も。
その他に、かつて安閑天皇陵の墳丘には「高屋城」が築かれたようで、そこに鎮座していたとも。

*写真は2018年1月と2024年4月撮影のものとが混在しています。






境内社(不明)



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。