弓削神社 (八尾市弓削町、志紀郡)
(ゆげじんじゃ)


河内国志紀郡
大阪府八尾市弓削町1-36
(境内に駐車可、近隣は狭小道路が多いので要注意)

■延喜式神名帳
(若江郡) 弓削神社二座 大 月次相嘗新嘗 の論社

■旧社格
村社

■祭神
饒速日命
宇麻志麻治命
天照大神


「弓削町(旧志紀郡)」と「東弓削町(旧若江郡)」に同名の「弓削神社」が存在し、「長瀬川」(古代は「大和川」の本流)を挟んで二社が鎮座しています。もう一社は → 弓削神社(旧若江郡)
◎神名帳には「若江郡」として「弓削神社二座」となっており、もう一社が該当するのか、或いは双方一座ずつで合わせて二座とするのか、意見が分かれるところ。さらに当社こそがという説も存在します。両社ともに古記録等は消失しており不明。
式内大社でもあり、「月次相嘗新嘗」の幣帛を授かっています。往時は神階授与歴からみても枚岡神社(河内国一ノ宮)、恩智神社に次ぐ大社であったことが窺えます。

◎社名通りに弓削氏が奉斎した社であろうとされます。弓の製作にあたる「弓削部(弓部)」に由来する氏族。「弓削部」は弓の製作と同時に、弓を武器とする「靭負(ゆげい)集団」であり、この部民を管理・統率する伴造が弓削とされます。
「新撰姓氏録」には4箇所にわたり登場(いずれも「弓削宿禰」で記載)。
*左京 神別 天神 石上朝臣同祖(神饒速日命之後也)
*左京 神別 天神 高魂命孫天日鷲翔矢命之後也
*左京 神別 地祇 出自天押穂根命洗御手 水中化生神尓伎都麻也
*河内国 神別 天神 天高御魂乃命孫天毘和志可気流夜命(天日鷲翔矢命)之後也
◎二つ目と四つ目は同系統。高魂命(天高御魂乃命)の孫、天日鷲翔矢命の後裔であると。
残るは一つ目の物部氏系と、三つ目の天押穂根命(天忍穂耳命)系。こちらも同系統とみなしても良いのかと考えます。物部尾輿(オコシ)が弓削氏の祖とされる倭古の娘、阿佐姫を娶って生まれたのが物部守屋。守屋は弓削大連と呼ばれることもあり、その後裔が弓削氏を継承したと考えられます。蘇我馬子との宗教戦争の際に「別業(=別荘)」である「阿都の館」に退いたとされますが、2kmほど西方の跡部神社の辺り。また決戦の地も同じく2kmほど北西の辺り(参照 → 「守屋池」の記事)。志紀郡・若江郡・渋川郡にかけて物部氏系の神社も多く鎮座します。
◎創建年代は不詳。貞観元年(859年)に従五位上の神階授与があり、それ以前の創建であると窺えます。「大和川」の氾濫により現社地へ遷座されたと伝わりますが、たびたび氾濫を起こしており、いつの時代の遷座かは不明。

◎ご祭神は物部氏の祖神二柱と、大正三年の合祀神の天照大神。「大阪府神社史料」は「比古佐自布都命」とありますが、「大阪府全誌」に「一に布都大明神」とも呼び、「渡会氏神名帳考証」に「弥加布都命、比古佐自布都命」とあるようです。つまり「布都御魂」のこと。国譲り神話にて武甕槌命が携え、また神武東征神話にて高倉下命が授けたとされる神剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」に宿る霊威(参照 → 石上神宮の記事)。
◎また「特撰神名牒」には「高魂命、天日鷲命」とあり「神社覈録」、「大日本史神祗志」、「地理志料」等には「弓削宿祢神か或は弓削祢祖廟也」とあるようです。
現在は弓削宿禰が物部連の族であるから、物部氏の祖神である饒速日命可美麻冶命を御祭神として奉斎しているとのこと。
◎久留米市や熊本市にも同じ「弓削神社」が川を挟んで両側にあるらしく、これは何らかの意図があるのかもしれません。
◎社頭案内石碑には弓削一族末裔の道鏡のことが書かれていますが、当社は死後に創建されたと思われるので、直接の関係はありません。

*写真は2018年1月と2023年3月撮影のものとが混在しています。



もう一社の弓削神社(旧若江郡)とは異なり、現在の社運は隆盛のようです。






2023年3月参拝時は境内社は改修中でした。


干魃時も枯れないという延命水。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。