「やったほうがいい」と信じてやることは、
勝ち負けも損得も超えて、
心に大きく満たされるものがあります。
子どもが勝手に遊んでいる姿というのも、
「成功するか失敗するかに関係なく、やる」
ということの連続のように思います。
うまく描けなくたって絵を描くし、
きれいになるとか考えもせずお化粧する。
書き順なんて気にしないで文章を書く。
見ているダンスをそのままいっしょに踊る。
歌詞をおぼえていない歌を歌う。
たぶん、いずれ、大人に近づく過程で、
「うまくできないからやらない」であるとか、
「バカにされるからやりたくない」とか、
きっと言い出すんだろうと思います。
あれこれ考えずに
やっている状態はかっこいいです。
心がよろこんでいる感じが、
ひしひしと伝わってくる。
「これが正解だろうか」
「これで上手に見えるだろうか」
なんて様子を見ながらやっていることは、
たのしそうじゃありません。
いまのじぶんはというと、
子どもの「遊んでいる」からは、
ずいぶん遠いように思います。
でも、大人になったいまだって、
あの感じを失ったわけじゃない。
だれに見せるでもなく、
だれに評価されるでもなく、
「やってみたいからやる」という気持ちは、
ちゃんと胸の奥に残っています。
ただその声が少し
聞こえにくくなっているだけです。
仕事のルールとか、
社会の常識だとか、
「こうしたほうがいい」という
大人の正解集みたいなものに囲まれて、
小さな芽みたいに埋もれているだけ。
ほんとうに満たされる時間は、
たのしく夢中になれたときです。
上手にやれたかどうかより、
「やりたくて仕方ない気持ち」を
どれだけ大切にできるかどうか。
うれしさの源は、
上手より夢中にあると思う。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
分別(ふんべつ)とは、
ありがたくも少しさみしいものだなぁ。


