わくわく海賊団 -4ページ目

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

夜空に光る東京タワーと水滴

 

 現代人は歴史上最も多く、日々、

 ことばを見て、聞いて、生きています。

 

 でも、その

「見えているもの」だけを

 そのまま受け取っていると、

 ほんとうに大事な部分を

 見落としてしまう気がしています。

 

 文章というのは

 ただの情報ではなく、

 書き手とのあいだに生まれる

 ひとつの"関係"だと思っています。

 

 書かれなかったもの、

 選ばれなかった表現、

 あえて触れなかった部分までもが、

 文章のなかに存在しています。

 

 つまり文章は、

「なにが書いてあるか」だけでなく、

「なにが書かれなかったか」まで含めて

 ひとつのメッセージなのだと思うのです。

 

 意識して読めば読むほど、

 書き手がなにを大切にしているのか、

 どこに触れないようにしているのか、

 その心の動きが少しずつ見えてきます。

 

 書いてあることを読む。

 書かれなかったことを読む。

 書かれなかった理由を考える。

 

 行間を読むのではなく、

 ページの裏側を読むように。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 語られたことばより、

 そっとしまわれたことばに、

 その人の輪郭がにじむ。

雲間から見える青い山

 

 スピリチュアルとかオカルトの話とは、

 基本的に距離を置いています。

 

 といっても、

 頭ごなしに否定する気持ちはありません。

 

 人類がその歴史のなかで、

 長い時間をかけて共有してきた感覚には、

 それなりの"理由"があると思うからです。

 

 たとえば、

「鎮魂の儀式をしないと幽霊が出てくる」

 というオカルト(超自然的)な部分とは、

 少し距離を置いて生きています。

 

 でも、「憾みを残して

 亡くなった者を弔うことを怠ると、

 生者に災いが降りかかるー」

 ということについては、

 旧石器時代以来、

 世界中のすべての社会集団が

 "合意に達している"という事実は、

 無碍にできないと考えています。

 

「幽霊が化けて出る」とは思っていません。

 

 でも、「幽霊が化けて出る」という

 信憑を持たない社会集団は存在しません。

 これもまた歴史的な事実なわけです。

 

 つまり人は、いつの時代も、

 価値観、信仰、国がちがえど、

 見えないものに"なにかしら"の意味を

 見てきたという事実があります。

 

 スピリチュアルとかオカルトの話からは、

 基本的に距離を置いているけれど、

 人類がずっと共有してきた"そういう感覚"を

 軽々しく扱うのもちがうと思っています。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 見えないものは、

 いつも悪用されやすい。

壁のヤモリ

 

「やったほうがいい」と信じてやることは、

 勝ち負けも損得も超えて、

 心に大きく満たされるものがあります。

 

 子どもが勝手に遊んでいる姿というのも、

「成功するか失敗するかに関係なく、やる」

 ということの連続のように思います。

 

 うまく描けなくたって絵を描くし、

 きれいになるとか考えもせずお化粧する。

 書き順なんて気にしないで文章を書く。

 見ているダンスをそのままいっしょに踊る。

 歌詞をおぼえていない歌を歌う。

 

 たぶん、いずれ、大人に近づく過程で、

「うまくできないからやらない」であるとか、

「バカにされるからやりたくない」とか、

 きっと言い出すんだろうと思います。

 

 あれこれ考えずに

 やっている状態はかっこいいです。

 心がよろこんでいる感じが、

 ひしひしと伝わってくる。

 

「これが正解だろうか」

「これで上手に見えるだろうか」

 なんて様子を見ながらやっていることは、

 たのしそうじゃありません。

 

 いまのじぶんはというと、

 子どもの「遊んでいる」からは、

 ずいぶん遠いように思います。

 

 でも、大人になったいまだって、

 あの感じを失ったわけじゃない。

 

 だれに見せるでもなく、

 だれに評価されるでもなく、

「やってみたいからやる」という気持ちは、

 ちゃんと胸の奥に残っています。

 

 ただその声が少し

 聞こえにくくなっているだけです。

 

 仕事のルールとか、

 社会の常識だとか、

「こうしたほうがいい」という

 大人の正解集みたいなものに囲まれて、

 小さな芽みたいに埋もれているだけ。

 

 ほんとうに満たされる時間は、

 たのしく夢中になれたときです。

 

 上手にやれたかどうかより、

「やりたくて仕方ない気持ち」を

 どれだけ大切にできるかどうか。

 

 うれしさの源は、

 上手より夢中にあると思う。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 分別(ふんべつ)とは、

 ありがたくも少しさみしいものだなぁ。