信念ということばは、
かなり能動的なものとして扱われます。
信念を持つ。信念を貫く。
どれもじぶんが信念を所有して、
自ら選択していくニュアンスがあります。
でも、実際に強い信念を持つと、
逆に選択肢が少なくなるのがおもしろい。
たとえば、相手から返信が来ないとき。
「相手にも事情がある」と
頭では分かっていても不安になって、
つい返事を急かしてしまうことがあります。
あとから事情を知って、
「あんな言い方しなければよかった」と、
後悔してしまったとします。
次に似た場面が訪れたとき、
その後悔がすぐに連絡しようとする
じぶんの手を止めると思うんです。
相手にも事情がある。
このことば自体の解釈は、
以前となにも変わっていません。
それなのに、今度は逆らえなくなっている。
葛藤というのは、ことばに
重力を与える工程なのかもしれない。
知っているだけなら、
平気で素通りできたことばも、
失敗や後悔と結びついた途端に、
行動を拘束するようになる。
失敗して、後悔して、悩んだ末に、
「もうあんなことしたくない」と思う。
すると、その経験から学んだことばが、
同じ状況に遭遇したじぶんを止める。
以前なら選べた行動が、選べなくなる。
信念を持つというのは、
自由に生きるための軸を持つだけでなく、
じぶん自身に制約を課すことでもある。
そう考えると、
「経験を積む」ということの見方も
少し変わってくる気がします。
年齢を重ねたり、経験が増えると、
できることの選択肢も増えていきますが、
同時に「もうこれは選ばない」という
選択肢も増えていくと思うんです。
人を傷つけたから、もう言わない。
失って気づいたから、今度は手放さない。
後悔したから、次は立ち止まる。
人は経験を重ねながら、
選べないものも増やしている。
そしてその「選べないもの」の蓄積が、
その人の信念になっているのかもしれない。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
じぶんらしさって、
なにを選ぶかよりも、
なにを選ばないかのほうに
よく表れる気がしますね。


