縁起でもない。
命について、人生について、
関係について、あるいは事業について、
最悪の事態を想定しようとするとき、
「縁起でもない」のブレーキがかかります。
それについては、
考えないほうがいい。
口にしないほうがいい。
距離をとったほうがいい。
日本人に染みついた
禁忌(タブー)だと思います。
人間がこれまで経験してきた
危険なものを後世に警鐘する役割も、
おそらくあるのだろうと思います。
ただ、いっぽうで、
それによって遠ざけられているものも、
また、たくさんあるんでしょうね。
このロックが解除できたら、
ずいぶん自由になれるのかもしれません。
そもそも、なぜ、
「縁起でもない」という感覚が
ここまで強く残っているのでしょうか。
おそらく過去に起きた出来事と、
結びついているからなんだと思います。
不幸な出来事があったときに、
その前に起きていたことが意味づけられる。
「あのとき、あれをしたから…」
「あのことばを口にしたから…」
そうやって、あとから
因果関係がつくられていく。
その積み重ねが、
「これには触れないほうがいい」という
感覚として残ってきたのでしょう。
結果として、
危険を避けるための知恵として
機能してきた部分もあるはずです。
ただ、その仕組みは、
現実を正確に捉えているとは限らない。
避けているもののなかに、
本来は検討してもいいものが、
含めれていることもきっとあるはず。
それがほんとうに
避けるべきものなのか。
禁忌(タブー)の枠組みを外してみると、
まだ見ぬ選択肢が見つかるかもしれない。
縁起でもないままにしてしまうと、
そもそも選択肢として認識されません。
知らないまま選ばないのと、
知ったうえで選ばないのとでは、
意味がまったくちがいます。
もしかしたら、禁忌の向こうに、
まだ見ぬ可能性が眠っているかもしれない。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
仏滅に結婚式を挙げた友だちは、
「縁起でもない」の呪縛から抜け出し、
精神的にも、金銭的にも、
自由になっていました。


