わくわく海賊団 -2ページ目

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

雲間から見える青い山

 

 スピリチュアルとかオカルトの話とは、

 基本的に距離を置いています。

 

 といっても、

 頭ごなしに否定する気持ちはありません。

 

 人類がその歴史のなかで、

 長い時間をかけて共有してきた感覚には、

 それなりの"理由"があると思うからです。

 

 たとえば、

「鎮魂の儀式をしないと幽霊が出てくる」

 というオカルト(超自然的)な部分とは、

 少し距離を置いて生きています。

 

 でも、「憾みを残して

 亡くなった者を弔うことを怠ると、

 生者に災いが降りかかるー」

 ということについては、

 旧石器時代以来、

 世界中のすべての社会集団が

 "合意に達している"という事実は、

 無碍にできないと考えています。

 

「幽霊が化けて出る」とは思っていません。

 

 でも、「幽霊が化けて出る」という

 信憑を持たない社会集団は存在しません。

 これもまた歴史的な事実なわけです。

 

 つまり人は、いつの時代も、

 価値観、信仰、国がちがえど、

 見えないものに"なにかしら"の意味を

 見てきたという事実があります。

 

 スピリチュアルとかオカルトの話からは、

 基本的に距離を置いているけれど、

 人類がずっと共有してきた"そういう感覚"を

 軽々しく扱うのもちがうと思っています。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 見えないものは、

 いつも悪用されやすい。

壁のヤモリ

 

「やったほうがいい」と信じてやることは、

 勝ち負けも損得も超えて、

 心に大きく満たされるものがあります。

 

 子どもが勝手に遊んでいる姿というのも、

「成功するか失敗するかに関係なく、やる」

 ということの連続のように思います。

 

 うまく描けなくたって絵を描くし、

 きれいになるとか考えもせずお化粧する。

 書き順なんて気にしないで文章を書く。

 見ているダンスをそのままいっしょに踊る。

 歌詞をおぼえていない歌を歌う。

 

 たぶん、いずれ、大人に近づく過程で、

「うまくできないからやらない」であるとか、

「バカにされるからやりたくない」とか、

 きっと言い出すんだろうと思います。

 

 あれこれ考えずに

 やっている状態はかっこいいです。

 心がよろこんでいる感じが、

 ひしひしと伝わってくる。

 

「これが正解だろうか」

「これで上手に見えるだろうか」

 なんて様子を見ながらやっていることは、

 たのしそうじゃありません。

 

 いまのじぶんはというと、

 子どもの「遊んでいる」からは、

 ずいぶん遠いように思います。

 

 でも、大人になったいまだって、

 あの感じを失ったわけじゃない。

 

 だれに見せるでもなく、

 だれに評価されるでもなく、

「やってみたいからやる」という気持ちは、

 ちゃんと胸の奥に残っています。

 

 ただその声が少し

 聞こえにくくなっているだけです。

 

 仕事のルールとか、

 社会の常識だとか、

「こうしたほうがいい」という

 大人の正解集みたいなものに囲まれて、

 小さな芽みたいに埋もれているだけ。

 

 ほんとうに満たされる時間は、

 たのしく夢中になれたときです。

 

 上手にやれたかどうかより、

「やりたくて仕方ない気持ち」を

 どれだけ大切にできるかどうか。

 

 うれしさの源は、

 上手より夢中にあると思う。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 分別(ふんべつ)とは、

 ありがたくも少しさみしいものだなぁ。

大相撲の観客席と土俵

 

 小学生のお相撲大会で、

 忘れられない場面があります。

 

 決勝戦で向かいあったのは、

 とても小学生とは思えないほど

 たくましい身体の少年と、

 大人と子どもくらい体格差のある

 小さな身体の少年でした。

 

 当然のように、

 会場の応援は小さな少年へ

 一気に傾いていきました。

 

 土俵際のぎりぎり、

 もう何度もダメだと思う場面があったのに、

 小さな少年は驚くような粘りで、

 それを跳ねのけていきます。

 

 そしてついに、奇跡のような逆転勝ち。

 

 会場は大歓声に包まれ、

 割れんばかりの拍手の波です。

 

 保護者たちからは、

「最後まであきらめたらダメだねぇ」と

 教訓めいた声も飛び交っていました。

 

 おたがいに蹲踞(そんきょ)し、

 礼を交わし、ふりかえったそのとき、

 大きな少年が涙をこぼしました。

 

 でも、その涙に気づく人は、

 ほとんどいなかったように思います。

 

「勝ってあたりまえ」

「ずるいくらい強い」

「小学生とは思えない」

 

 彼は完全にヒールでした。

 でも、小学生です。

 

 その涙が、

 ずっと胸に残りました。

 

 負けた選手にかけることばは、

 むずかしいといいます。

 

 真剣勝負の世界において、

 勝った選手が賞賛される裏で、

 負けた選手の痛みには、

 光が当たらないことが多い。

 

 でも、どちらにも、

 かけがえのない物語がある。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 どうか彼が、

 見た目どおり"強い子"でありますように。