なぜ書道にこだわるのだろう?④ | 札幌市北24条・厚真町 書道教室景風〜子ども・親子・大人〜【札幌市北区 札幌市中央区 北海道勇払郡】 

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こんばんは。

 

 
景風です。
 
 
二日続けてこのタイトルでお伝えします
 
 
これまでの記事はこちら
 
 
 
今回は、昨日書けなかった小学校教員時代を書こうと思います。
 
 
この小学校教員時代のことを振り返ることが一番苦しいです。
 
 
なぜなら、かっこ悪い自分を曝け出すことになるから。
 
 
少し重い話になりますが、読んでいただけると嬉しいです。
 
 
 
 
小学校教員として札幌市に採用され、働き出したのは18年前。
 
 
最初は臨時採用で、その一年後正式採用になってそれから16年働いた。
 
 
小学校教員になってすぐに、自分は何か専門性が欲しいと思って、
 
 
書写書道教育に携わる研究会に所属した。
 
 
そこでは、小学校だけではなく、中学校、高等学校の先生方とも関わるから、
 
 
たくさん学ばせてもらえた。
 
 
小学校では、未だに先生が「はい、これを書いて。」
 
 
って、手本だけ渡してその字そっくりに書いて終わりのような授業が蔓延っているので
 
 
文字の原理・原則を知って、自分の文字が上達する楽しさを、熱意を持って伝えていたと思う。
 
 
子どもたちもさ、自分の字が劇的に変わるから、すごい嬉しそうにしていて、
 
 
書写の授業をするの好きだったなーニコニコ
甥っ子の顔よ笑
 
 
 
小学校教員も自分は授業が上手くなりたい!という思いが強かったから、
 
 
研究はきちんとやっていた方だと思う。
 
 
やればやるだけ自分に返るし、子どもに返るから。
 
 
だけど、年々授業にかける時間ってどんどん減っていって、
 
 
学校を動かすための仕事のチーフとか任されると
 
 
責任感の強い私は、そっちにも時間を割いてしまって、授業の研究ができなくなっていった。
 
 
責任感強くて一応完璧主義だから、自分の納得するところまでやってしまって、休日返上で働くことも当たり前になっていた。
 
 
実際、ほとんどの教員は残業は当たり前だしね。
 
 
学校運営の仕事に加え、さらに新米教師の指導も入ってくると、もう自分の時間なんてない。
 
 
2016年には一度精神的におかしくなり、心療内科に通うこともあった。
 
 
急に涙が溢れて、もう学校に行けないとお姉ちゃんに電話したのを覚えてる。
 
 
症状は鬱まで行ってなかったけど、
 
 
「あー、私って弱いんだな。。」と受け入れることができた。
 
 
だから、それまでよく強く頑張っていたなって。本当は強くなんてないのにね。
 
 
この時に、ようやく本当の自分に気付き始めた。
 
 
一度、心が弱ってしまったら、以前は楽しかったのに、小学校教員の仕事を続けることはできないなと考えるようになった。
 
 
実際、それから2年くらいは働いたんだけど、心が折れてしまう出来事があり、学校を休職した。
 
 
学校を休職するのは本当に落ち込んだ。落ち込んだし、自分を責めた。
 
 
当時担任していた子どもたちには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 
 
でも、心を奮い立たせて学校に行っても、もう駄目なことはわかっていた。
 
 
だから、休む選択をした。
 
 
 
 
少し休んでいたら、心も元気になってきた。
 
 
まだ完全に心が元気になっていない状態だったけど、
 
 
不思議ともう一度書道がやりたいという気持ちが起きた。
 
 
なんで書道だったのかな?って考えてみると、
 
 
もう自分には書道しかなかったからなんだと思う。
 
 
いや、自分には書道がある!って思えたからなんだと思う。
 
 
そして、河原先生に会いたいと思った。
 
 
 
 
そんな、本当にそんなタイミングで、
 
 
河原先生が亡くなったという訃報を聞いた。
 
 
嘘だと思ったけど、告別式が本当に行われていて。。。
 
 
先生が書いた作品が葬儀場に並べられていたのを見ても、
 
 
信じられなかった。
 
 
いつでも会えると思っていた。
 
 
前みたいに優しい笑顔で受け入れてくれると思っていた。
 
 
 
 
でも、もう二度と会えなかった。
 
 
 
 
言葉では言い表せない哀しさ、寂しさ、虚しさが沸いた。
 
 
その時をきっかけに
 
 
命について考えるようになった。
 
 
自分の命も一度きり。
 
 
もし明日人生が終わるとなった時に、自分の人生に満足する自分がいるだろうか?
 
 
その答えはNOだった。
 
 
自分はどうしたい?と自分に聞いた時、
 
 
出てきたのは「書道教室の先生になりたい」だった。
 
 
だから、私はその時からその夢が現実になるように動き出した。
 
 
その年度の3月に小学校教員を退職した。
 
 
 

補足

学校の先生を辞めて、書道の先生にすぐ転身したように感じていた人もいたかもしれない。

でも、そんな綺麗なものなんてなくて、苦しい思いが多かったように思う。

学校の先生をしていたからこその現在の自分がいるから、先生をしていた自分を誇ってもいる。

だけど、今書道教室をやっている自分を一番誇っている。

 
 
 
次でこのシリーズも終わると思います。もう少しお付き合いくださいおねがい
 
 
 
金魚書道教室のHPはこちら金魚
 
 
 
 
大好きなことをしていく毎日を大切に。
 
 
今日もステキな1日になりました。
 
 
keifu