こんばんは。
景風です。
随分と空いてしまいましたが、シリーズ化の記事の続きを今日は書きます

これまでの記事はこちら
前回は、高校を遡ろうとしたけれど、後半は就職したときの話も食い込んでいたね

だから、今回は、大学・小学校教員時代くらいを書こうと思います。
私の恩師は、私が小学校教員をやめようかなと迷っていたときに亡くなりました。
それは2018年12月のことです。
それまで私は、大学では教員養成課程ではあるけれど書道を主に学ぶ課程を先行していたし、
小学校教員時代も小学校で全教科・領域を教えていながらも専門性が欲しくて、
書写書道教育を学ぶ研究会に属していました。
仕事の忙しさを理由に書くことを続けられない期間があったけど、知識として書を学んでいたかな。
なんとなくだけど、書道は続けたいという思いだけはあったから。
大学は古典を学んでね。本当、それまでは先生が書いてくれた字をそっくりそのまま書く書道しかしてこなかったから
古典?って何?
状態だったよ。

古典を書くことを臨書っていうんだけど、それはそれは書体も作風も様々で、
楷書、行書、草書、篆書、仮名など
さーっと有名なところだけ学びました←失礼

大学でも書道を続けていたのは、新しい知識を知ることが喜びだったからだと思う。
だけど、書いて表現するって、こんなに書道の流派によって違うんだな
と大学で学べば学ぶほど、自分の目指したい方向がわからなくなってきた時期でもあった。
そんな中、大学での書道はしなければいけないし、大学3・4年生はバイトも忙しくしていたから、
だんだんと高校の時に習っていた河原先生には習いにいけなくなった。
それなのに、たまに行ったときにはいつも温かく迎え入れてくれたり、
大学4年生の時の卒展にはわざわざ札幌まで足を運んでくれた先生に
だんだんと申し訳なさでいっぱいになってきたんだ。
社会人になってからは忙しさを理由に書道を書けなくなったからさらに申し訳なさは強くなって。。
連絡をとることももうできなくなったんだ。
長くなったので、小学校教員時代の話は次回に書きます!
書道教室を開くという決意に至るまで何話になるのでしょう?



大好きなことをしていく毎日を大切に。
今日もステキな1日になりました。
keifu