こんにちは。



景風です。


無事、シリーズ化のための記事が出来そうです。笑




今日は高校の頃に遡ってみようと思います。


私は、高校が苫小牧だったため、厚真町の書道教室に通うのが難しくなったことで、中学で習っていた先生が、新たに先生を紹介してくださいました。


その先生が、河原啓雲先生でした。


私は日本書道研究会という社中に属し、書道を習っていました。


苫小牧の支社は書道啓心社。


河原先生は、とても優しそうな笑顔の素敵な先生でした。


出会ったのは先生が30代後半だったように記憶しています。


こんなに若い先生なのに、どんどん書の実力を伸ばし、日展入賞など、その当時の年齢の記録を更新していっていたほど、実力のある方でした。


でも、物腰はいつも柔らかく、いつも生徒一人一人の目線に立って指導してくださいました。


私は河原先生と出会ったおかげで、羊毛の筆で書く書道の楽しさを知ることができました。


当時は、先生みたいな線が書きたいなという思いで、続けていた気がします。


先生に近い線が書けた時は、喜んだりしていました。←全然近いものではなかったけど笑い泣き


それくらい、河原先生からの影響力は強く、書の魅力に惹かれていきました。


そのうちに、展覧会に出展しないかと声を掛けられるようになり、創玄の学生展や、北海道書道展に、出して結果を出すことも私の楽しみとなりました。


大学受験の時には、書道科のある大学に行きたくて、週に一回の書道教室なのに、いろいろな教室においでって言ってくれて、大学受験のための勉強を、思う存分させてくれました。


残念ながら、大学は合格しませんでしたが、先生はその努力の過程を評価してくださり、落ち込んだ私を励ましてくださいました。


その後、短大、大学と進むのですが、書道を続けたいと思っていたけれど、遊びやニヤニヤ大学の書道、バイトを理由に河原先生の書道を続けることがだんだんできなくなってしまいました。


年が経てば経つほど、書道教室に通えない後ろめたさは増し、小学校教員として働いていて、いざ書道教室を始めたいと新たな夢をもった時は、もう河原先生に書道を習うことは、叶わなくなったのです。







それは、河原先生が亡くなったという訃報を聞いたからです。



もう長くなってしまったので、次回に書きます。




大好きなことをしていく毎日を大切に。


今日もステキな1日になりました。


keifu