以前にも書いた事があったかもしれませんが、改めて書かせて頂きますね。
まず、私は大学4回生22歳の秋に、不眠が始まり、意欲が低下し、いわゆる鬱的な症状が現れました。大学を休む言い訳のように、毎朝指を口に押し込んで、嘔吐し、
「体調が悪いから、今日も大学休む。」
と言って、閉じこもりが始まりました。
母が心配し、検査を受けた方が良いと、強引に私を某医科大学附属病院へ連れて行き、胃カメラを飲みました。
「急性胃炎」ストレス性のものだと言われました。
自分自身に心当たりがあったので、思い切って、母に、
「精神神経科にかかってもいい?」を告げました。
初診からずーっと一人で通いました。
卒業論文なんて、全く手を付けていませんでした。
通院が始まって、しばらくしたある日、
眠られない苦しみから逃れるため、自暴自棄になって、処方された薬を全部一気に飲みました。昼間の事だったので、妹が私を起こしに来て、たくさんの薬を嘔吐してしまいました。
別の日には、急性アルコール中毒を意識しながら、またまた自暴自棄になって、家中の酒という酒を全て飲み干しました。最後に料理酒を飲んだら不味くて、またしても嘔吐してしまいました。
卒業論文は、周りの人の協力で、受理されました。
卒業旅行なんて、とても行く気になれませんでした。旅行の前日に、主治医に「行きたくない」と言ったのに、「気分転換になるから、行きなさい」と言われ、
主治医の言葉通り、鬱から躁に、転じました。
一緒に行った友達に、迷惑をかけました。
帰宅後は、就職先にも迷惑をかけました。
東京で研修を受けていたのですが、病気が発覚し、
依願退職という形でクビになりました。
落ち込みました。一生懸命就職活動した中で、一番気に入った会社だったからです。
それから、入院するまで自宅で苦しみました。
自宅で妹達の前で、恥ずかしい姿を見せたくないと思って、オムツを買ってきて欲しいと、母に頼みました。排泄も、コントロール出来なくなるのでは…と最悪の事態ばかり想定していました。
当時は母も仕事をしていたので、母が帰宅すると、休む時間も無く、病院へ連れて行くようお願いし、
筋肉注射を打って(恐らく鎮静剤)少し楽になる…そんな毎日でした。
しかし、そんな生活も長く続かず、近所や妹達に、恥ずかしくないように、入院を希望するようになりました。何度もお願いしました。
或る夏の夜、家出をしました。いつも車で通っている某大学附属病院へでした。自転車に乗って、家を飛び出しました。かなりの距離がありました。何度も途中で自販機でコーラを飲みながら、自販機でタバコ(吸えもしないのに)を買って、ポケットに入れました。開放感120%でした。家族が心配して、最寄駅などを捜してくれている事も知らずに。とうとう、病院に着きました。自転車を停めて、鍵をかけて、救急外来へ行きました。急に足腰が立たなくなりました。車椅子を借りました。筋肉注射を打たれて、タクシーに乗せられたようです(記憶無し)
翌日も朝から病院へ行きました。ポケベルが鳴って、自宅に電話してと出ていましたが、無視しました。とうとう、病院側も入院を認めてくれて、母の職場に連絡が行きました。
以上が、病気の発端でした。
また、気が向いた時に、続きを書きます。
同じ病気で苦しんでいる人がいるのなら、
私は自分自身の経験を、赤裸々に告白します。
双極性障害は、大変だけど、セルフコントロールの努力と、主治医、家族の温かいフォローで、
深刻な病状になる前に、防ぐ事が出来ます。
今、あなたが苦しんでいるなら、出来るだけ話を聞いてくれる神経科もしくは心療内科の医師を捜して下さい。私は今の主治医と出会って、病気との向き合い方が変わりました。