映画探偵室 -2001ページ目

この人を忘れてやしませんか:スティーブ・マックィーン

スティーブ・マックィーンが生命保険のCMに登場して欲しい俳優として挙げられていないのは何故か。それは彼の出演経歴を見れば分かる。彼に保険はかけられないのだ。拳銃無宿で私たちの前に登場して以来,どんな危険も顧みずひたすら自由を求めて前に進み続けた。そして多くの場合,それは彼を閉じ込めようとする束縛からの脱出であった。大脱走の爽快さは彼なくしては語れないだろう。そして「パピヨン」。地獄島と呼ばれた孤島の監獄から飽くなき脱走を繰り返し,ついに自由を勝ち取ったアンリ・シャリエール役は記憶に永遠に残る。最後の映画となったペキンパーとのコンビ「ゲッタウェイ」,私流のタイトルは「ついにやったぜ」。そして癌により帰らぬ人となった。パピヨンの撮影時から癌であることは自覚していたらしい。それを案じたアリ・マッグローは終始ロケに付き添っていた。アンリ・シャリエール本人と3人での写真が残されている。彼の没後アリ・マッグローの語った裏話「看病で眠れないんじゃないかと予想していたら,どうしてどうして,彼は殆ど毎晩私を眠らせてくれなかった」。美男ではないが,正直であることとそして何より自由への強い意志が(それは真の孤独を意味するのだが)彼をほんとうの男にしている。彼が「傷だらけの栄光」でポール・ニューマンの弟分不良として登場した時の,このボクサー(ポール・ニューマン)の台詞はスティーブ・マックィーンにも捧げられるべきだろう。「どこか上の方で俺のことを好いてくれているみたいだ」。これが真のオーラである。自由の希求。映画パピヨンは三人の自由を求め続けた男によって作られた。アンリ・シャリエール,スティーブ・マックィーン,そして赤狩りによる追放のため名前を隠して脚本を担当したダルトン・トランボ。

特に何もない日

前前回に「さくらの唄」の最終回について書いたが,他にも忘れがたい回の放送があったので洋画ではないが付け加えたい。弟にとっては特に何もない日の日記である(1人称で語られていた)。朝起きると何かいつもと違う気がする,何か分からないまま自転車で近所を走ってみると見慣れている下町の風景がことごとく何か違っていて新鮮に見える。家でぶらぶらしていると親父に怒鳴られる。「こい」と言われた親父に夢中でむしゃぶりつき,揉みあった結果,あっけなく親父を投げ飛ばしてしまう。そこで彼ははっとするのだ。自分が何になったかを知る。庭石の横で息を切らし,尻餅をついている親父が急に愛しく思えた。男の子なら必ず通る道。特に何もない日だった。

ボクの場合はこんなドラマチックではなく,それは棚の上のエロ本が背伸びしなくても見えた日であった。


追憶

ある方から依頼を頂いたのでワタシのできる範囲でお答えしたいと思います。英語のタイトル(The way we were)に現れているように,1人のアメリカの男性と1人のアメリカの女性の出会いと別れを描いたものですが,恋の映画というよりは苦い映画と言えるでしょう。彼女はユダヤ人であることを隠そうとしない共産主義者,彼は平凡な(しかし一般には最もアメリカで有利なWASP)でホームドラマの脚本家としては有能な男。彼は彼女に共感して何とか社会性のある仕事をしたいと願う。しかし彼女の方がだんだん輝いて行くのに,彼の方は自信を失って(社会的には成功するが)行く。彼女が憧れていた彼の姿は幻影だったと思えてくる。しかし,やはり通常のアメリカ人は偉い。別れる結果になるとしても絶対に「個」であることを貫くからです。背景はマッカーシズムの吹き荒れる映画界ですが,この辺の事情は日本人には分かりにくい。プラカードを掲げて反戦運動(反共和党)をしているとき,汚い言葉が彼女に投げつけられます。しかし彼にはそれを庇う力が無かった...個人にできることなどたかが知れているからです。男と女という面では明らかに不美人と美男子という組合わせですが,この美男子役はおそらくレッドフォード以外にはできなかった。自分が相手の期待に応えられないことが分かった時,嘘を吐かなかったからです。別離は確かに苦いものですが,それでもアメリカ人は個人主義(+フェアであること)を貫くのです。(日本人はおそらく「頭が固い」とか,利己主義と誤解するかも知れません)。ささやかな救いとして,二人の間に産まれた子供が見た目にも可愛い(つまり二人を足したようになっている)ように設定されています。後年偶然に出会った際に「子供に逢っていかない?」と言われた彼が一度会おうとして思い直し結局逢わずにまた別れたのも,この状態での互いを思いやる(「個」を貫く意志をくじいてしまうから)ための二人の愛の形だったのでしょう。ワタシ流にタイトルを訳せば「私達のこういう愛の形」となるでしょうか。この映画が公開されたのはベトナム戦争中であり,因みに監督のシドニー・ポラックはこの映画に出てくるマッカーシズムで最初に映画界から追放された1人でした。しかし現在の目から見て共産主義がどうのこうのという以上に,これが愛の映画であることは間違いありません。このようなことが私の身にも起こったか?と訊かれても,レッドフォードに程遠い身では「あり得ない」としか言いようがありません。ちょっと違う角度からならば,「卒業」や「さよならコロンバス」が同様のテーマと言えるかも知れません。Wikipediaの英語レビューを参考に記します。よく書けていると思います。映画自体も批評もお涙ちょうだいにしないところなど,アメリカ人は偉い。バーバラ・ストレイサンドはこの後「スター誕生」(ジュディー・ガーランド出演のもののリメーク)に出演しました。

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Way_We_Were