映画「美しき諍い女」制作過程編(9)
(お断り:何度も記事を出したり,引っ込めたりして読者の方々,コメントを寄せられた方々にお詫びします。ケツ圧が高くなったのか,考えがまとまらず,当分迷走が続きそうです。探偵)
不良中年のりぞーさんの強いご要望で先行画面を掲示しました。
此処までワタシは言を左右にして『画家が何を求めるのか』の推定をせずに済ませてきました。ブログに相応しい言葉を選ぶ作業はワタシにとって難しい作業だったからです。しかし,読者の方もモデルとしては相当に美しいエマニュエル・ベアールの身体も,またそれを描いた画家の制作途上の絵も,ある程度目にされたことだし,ここらで,最初の要点,裸体を前にして絵を書くとはどういうことなのか,を考えてみたいと思います。しかし,画家が女性で,モデルが男性であることは想定していません。ワタシは男性ですが(本当です),ワタシはタワシではないし,モデルになりたいと思ったことが皆無だし,そんな度胸はありません。
(1)裸婦を描くということは,写実ではない
描くというのは具体的な行為です。それをもし画家が「xxxという理念を表した」と言ったところで何の意味もありません。それは単なる解釈であって,彼(彼女)がやったことはその線,色,面をキャンバスに残した,ということに過ぎません。例えば,裸婦の尻にあたる線がえも言われぬカーブを描いていても,それだけが結果であり,それを「エロスの哲学的側面だ」などと解説するわけには行かないのです。しかし,その具体的な「物」が観る者の何かを喚起する。
写実とは何か?
それは美しいのか? 画家は美を求めるのか?
人間の体の中で「見せる部分」としてはじめから存在していない箇所があります。それは恐らく(探偵はよく見たことがないので分かりませんが)人間の身体の中で唯一美しくないもの,でしょう。美醜という価値基準が当てはまらないのです。
理由はいたって簡単です。性は営むことに価値(目的)があるのであって,見ることが目的ではないからです。
通常,女性の身体はここを除けば,すべて見られることを自動的に意識しています。言い換えれば,「他人の視線」という衣装を常にまとっています。裸体でも,足の裏でも,またそれが映画や絵画の中であっても同様です。この映画でのエマニュエル・ベアールの肉体も例外ではありません。ところが,ある稀有な例として,映画の中の裸体でありながら,全く「視線の衣装」をまとわずに提示された肉体がかつてありました。それは近々上梓予定の「昼顔」におけるカトリーヌ・ドヌーブのある場面です(上映当時,どんな理由からか,映倫でカットされました。現在のDVDもこの場面は削除されています)。ワタシは最初「うわ,ほんとのハダカを見た」と思ったものでした。
ヘア論争について
モジリアニの裸婦にはヘアも描かれていますが,それはあくまで身体の一部として存在しているからであり,その部分が美しいから,ではありません。裸像の全体を美しいものとして受け容れているのです。(読者の方には,描かれているといないとではどちらが「扇情的」か,を考えてご覧になるといいと思います。あるいは,もし劇画にヘアが描かれていたら?と)。
表現といっても,自己表現と言ってもいいのですが,それは他者(対象物)を描くことでしか実現できません。俺やあたしの中にある思想や才能を世に示したい,俺は,あたしは,こんなに凄いんだぞ,と前のめりになっている若者には,実は描くべきものなどないのです。単なる自己満足に過ぎません。そのようなものが,他人に対し何か感動を与えることなどありえない。
画家は何に執着しているか?
演技とはなにか,見られる側のモデル(俳優)は,ただ見られるだけか?
対象に向けられた嘘の無い心の動きを描くことで,何か他人に手渡せるファンタジーを産み出すこと,が芸術の目的です。自分をありのままに差し出すことで,「何か」を期待するのです。
山本周五郎はこう言っていました。
「芸術作品を創るという仕事は,丹精して育てた花を途行くひとに笑顔で差し出すことではあるまいか?」
そしてもう1つ大事なこと。それは「言葉ではない」ということです。あるいは,「言葉には還元できない」ということです。言葉を使う芸術でありながら,これは小説や詩にも当てはまります。あたまでっかちの芸術家気取りに本物はいません。芸術家は誰も,手で思考するのです。
次回は
2) 光はいずこより来るや,と照明について
3) 視線,とりわけ視点ということ
から絵画を考えてみたいと思います(まだまだ準備中)。映画「美しき諍い女」物語編(14) - その前日
「彼が?」
「じゃ明日,マリアンヌ,と。会うの?」
「君をモデルに絵を描きたがってるようだ。」
「いったい何の話?」
「君が受けるか聞かれた。」
「承知したの?」
「いいって答えた。」 「ふん!」 「マリアンヌ...」
画家が材料の準備を始めていると,
リズがお茶を運んできた。
「ハーブ・ティーよ。」 「メルシー。」
「明日,彼女と約束したの?」
「いい人たちだわ。彼は凄く才能ある?」
「そう言える。すごく熱心だ。私にやる気を起させてる。
二人といて意欲がわいた。久しぶりの気分だ...
また,やってみる。自画像は飽きた。」
「いいじゃない,名案だわ。」
「彼女を描く。彼女を...」
マリアンヌがシャワーを浴びている間,ニコラは考え込んでいた。
「聞けよ。」
「君に強制しているわけじゃない。」
「あら,そう。うれしいわ。」(皮肉っぽく)
「何の?
ポーズの仕方?きっとヌードよ。絵をみたわ。ヌードだとわかっていたんでしょ?」
「私を売ったのね!」
「足をどけてよ!」
「聞いてくれ,マリアンヌ。彼の描くのは肖像画じゃない。それ以上のものだ。彼を助けなきゃ。」
「傑作のためでも,こたえる必要はないわ。」
「傑作になるさ。なりうるよ。
『美しき諍い女』だ。10年前に断念した絵を君で描く。」
「だから何なのよ。あの男バカみたい。
『画家は真実を求める。真実は残酷だ。絵に血が通わねば...』なんて言っちゃって。(しぐさを真似している)
「....」
すっかり,怒らせちゃったなあ。(明日に続くのだろうか,探偵は心配)
注:この部屋にかかっている絵が,何故かさっきニコラが説明した「明確に仕上げた描線,やまぶき色と鮮烈な赤」の嚆矢に見えるのは探偵の考えすぎであろうか。エンドロールの解説によれば,これもベルナール・デュフォーの絵である。最初の回を参照。

























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