国宝・重要文化財指定の建造物 -4ページ目

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

徳島県中部・西部地域内で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

阿波市
切幡寺大塔
美馬市
三木家住宅
旧長岡家住宅
三好市
箸蔵寺本殿、護摩殿、薬師堂、天神社本殿、方丈、鐘楼堂
木村家住宅主屋、隠居屋
小采家住宅
徳善家住宅
勝浦郡上勝町
田中家住宅
名西郡石井町
田中家住宅主屋、座敷、宝庫、土蔵、灰屋、番屋、味噌部屋、藍納屋、南藍寝床、北藍寝床、表門
武知家住宅主屋、離れ、伝い、宝庫、庫蔵、通門、東藍床、西藍床、寝床、倉廩、作男部屋、下部家
名西郡神山町
粟飯原家住宅
板野郡藍住町
犬伏家住宅主屋、座敷、応接室、書斎、宝庫、離座敷、北蔵、乾蔵、味噌蔵、機械工場、五番蔵、東蔵、巽蔵、前納屋、表門
板野郡上板町
戸田家住宅主屋、東座敷、土蔵、西蔵、乾蔵、灰屋、藍寝床、長屋門

 

 

金刀比羅宮の奥の院

箸蔵寺


はしくらじ
三好市池田町州津
箸蔵寺本殿34.049156, 133.841760
江戸末期
奥殿 正面三間、背面四間、側面六間、一重、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付
内陣 前方 桁行三間、梁間四間、一重、両下造、背面取合及び物置附属
外陣 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、前後千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、背面取合附属 総銅板葺
護摩殿34.048064, 133.841325
江戸末期
奥殿 正面三間、側面三間、一重、宝形造、向拝一間
内陣 前方 桁行三間、梁間三間、一重、切妻造、妻入、左右庇付、後方 桁行三間、梁間三間、一重、両下造、左側面庇付
外陣 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、前後千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、背面取合附属 総桟瓦葺
方丈34.047826, 133.840983
江戸末期
桁行41.9m、梁間14.1m、一重、入母屋造、四面庇付、桟瓦葺、正面唐破風玄関付、銅板葺
薬師堂34.048508, 133.842105
江戸末期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、桟瓦葺
鐘楼堂34.048232, 133.842142
江戸末期
桁行三間、梁間二間、楼造、入母屋造、桟瓦葺
天神社本殿34.048640, 133.841369
江戸末期
一間社流造

箸蔵寺は讃岐山脈西端近くの箸蔵山南斜面に位置します。神仏習合を色濃く残す真言宗の寺院で、金刀比羅宮の奥の院として庶民の信仰を集め、寺観を整えたと考えられています。文政九年(1826)に全山焼失し、現存する建築群は、この火災後に再建されたものです。
本殿は山頂付近の最高部の平地に南面して建ち、これより南に下る石段の東側に薬師堂と鐘楼堂、西側に天神社本殿があります。鐘楼堂前より石段が西に折れて一段下った平地には、護摩殿が南面して建ち、この南西に方丈があります。建設年代は、方丈が安政三年(1856)頃、他は文久元年(1861)頃、本殿は江戸最末期と考えられています。


本殿

・奥殿(写真左)と外陣(右)を内陣でつなぐ複合建築で、階段状の石積基壇上に建つ独特な構成
・木鼻・拳鼻・尾垂木鼻をはじめ、中備や板支輪も彫物とし、丸彫、籠彫、浮彫など多彩な技法が駆使されている

・外陣軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結び、組物は拳鼻・尾垂木付の三手先で中備は蟇股

・外陣向拝軒唐破風には装飾が凝らされている

・外陣向拝は角柱を虹梁型頭貫で結び、三斗で桁・手挟を受ける

・外陣には天井画が施されている

・内陣は桁行三間、梁間四間、二軒繁垂木で、組物は出組、中備は蟇股

・奥殿は、正面三間、背面四間、側面六間で、両側面に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す
・軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結び、拳鼻・尾垂木付の五手先組物の詰組とする
・軒は二軒繁垂木



護摩殿

・外陣(上段写真、中段写真左)、内陣(中段写真右)、奥殿(下段写真)からなる複合建築
・外陣、内陣、奥殿の順で階段状の石積基壇上に建ち、相互を巧みに連結した独特な構成
・本殿と同様に多くの彫刻で飾られている
・外陣は、桁行五間、梁間三間、正面に向拝一間を設け、屋根は入母屋造で、前後に千鳥破風、向拝に軒唐破風を付ける
・内陣は、桁行三間、梁間三間で、組物は用いず、軒は一軒繁垂木
・奥殿は、正面三間、側面三間で、向拝一間を設け、四周に逆蓮頭擬宝珠高欄付の切目縁を廻す
・奥殿軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結び、組物は拳鼻・尾垂木付の三手先組物、軒は二軒繁垂木、屋根は宝形造

・外陣軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結ぶ
・組物は拳鼻・尾垂木付の三手先で、中備に蟇股を入れる
・軒は二軒繁垂木

・外陣向拝は、角柱を虹梁型頭貫で結び、三斗で桁・手挟を受ける

・外陣天井は格天井で、柱上は出組、中備は蟇股
・西面(下段写真左端)には方丈と連絡する廊下が取り付く



方丈

・桁行四二メートルの長大な建築で、正面ほぼ中央に玄関を設ける
・屋根は入母屋造、四面に庇を廻し、桟瓦葺で、妻飾は狐格子とする

・玄関の唐破風は彫刻で埋め尽くされている



薬師堂

・桁行三間、梁間三間、四周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、正面に向拝一間をつける
・軸部は角柱を長押・頭貫・台輪で結び、組物は三斗、中備蟇股とする
・二軒繁垂木、宝形造、桟瓦葺



鐘楼堂

・桁行三間、梁間二間の楼造で、下層は隅柱四本を内転びとした袴腰風の外観で、独創的な形式
・高欄付縁の下に疎らの支輪を設ける
・軒は一軒疎扇垂木
・装飾の少ない簡素な建築



天神社本殿

・一間社流造、銅板葺で、切石積基壇上に建つ

・円柱を長押・頭貫・台輪で結び、組物は三手先で中備を二手先組物とし、軒支輪をつける
・妻飾は二重虹梁

・向拝外面(上段写真)と内面(下段写真)は彫刻で埋め尽くされている

アクセス
JR土讃線箸蔵駅下車、西700mのロープウエイ乗場から5分程度です。方丈は山頂駅下車すぐですが、ここから本殿までは般若心経の文字数と同じ278段の石段を上ります。箸蔵駅に停車する列車は一日数本で参拝に使えそうなのは2本程度しかありません。阿波池田駅からロープウエイ駅まで入るバスもあります。
見学ガイド
箸蔵寺は常時自由に参拝することができます。重文指定の建造物も自由に見学することができます。

感想メモ
神仏習合の不思議な空間でした。お寺なのに本堂ではなく本殿です。巨大で奇抜な構造の本殿には圧倒されました。触るとチクチクしそうなコテコテ系の彫刻は好きではないですが、ここまで徹底されると、まあ、もう良いのかなと思ってしまいます。
帰路はロープウエイ代を節約して、歩いて下山しました。中腹の山門までは急な石段や坂道を調子よく降りてきましたが、その先の車道がものすごく大回りで、中々下界にたどり着けません。直線距離数百メートルのところを4km程度歩くことになりました。本数が極端に少ない土讃線に遅れそうになって焦りました。
(2022年7月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

豪壮な城構えの藍屋敷

田中家住宅


たなかけじゅうたく
名西郡石井町藍畑高畑
田中家住宅主屋34.090196, 134.446486
江戸末期
桁行16.7m、梁間12.0m、寄棟造、茅葺、四面庇付、本瓦葺、北面下屋附属、鉄板葺
北面突出部 桁行5.0m、梁間4.8m、切妻造、北面庇付、本瓦葺
座敷34.090310, 134.446503
明治
桁行6.8m、梁間4.2m、東面入母屋造、西面切妻造、本瓦葺、東面庇付、鉄板葺、西面庇付、本瓦葺
宝庫34.090361, 134.446469
江戸末期
土蔵造、桁行8.9m、梁間5.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
表門34.089965, 134.446503
明治
長屋門、桁行8.6m、梁間5.0m、東面切妻造、西面入母屋造、本瓦葺、北面庇付、本瓦葺
土蔵34.089976, 134.446607
明治
土蔵造、桁行8.9m、梁間7.4m、切妻造、北面庇付、本瓦葺
藍納屋34.090092, 134.446757
明治
桁行21.5m、梁間8.4m、二階建、切妻造、西面庇付、本瓦葺
北藍寝床34.090311, 134.446330
明治
土蔵造、桁行15.7m、梁間7.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
南藍寝床34.090184, 134.446325
江戸末期
桁行17.0m、梁間6.9m、二階建、切妻造、東面庇付、本瓦葺
味噌部屋34.090082, 134.446352
明治
桁行5.6m、梁間2.5m、切妻造、本瓦葺
番屋34.090016, 134.446377
明治
桁行9.3m、梁間2.5m、切妻造、本瓦葺
灰屋34.089834, 134.446391
明治
桁行2.6m、梁間2.4m、切妻造、鉄板葺

田中家住宅は吉野川右岸、石井町の田園地帯に位置します。吉野川の氾濫原であったこの地域は、稲作が困難であった一方で、洪水と伏流水がもたらした肥沃な土壌が藍の栽培に適していたため、江戸時代以前から阿波藍が作られてきました。田中家は、寛永年間から続いた藍商で、現在の住宅は安政元年(1864)から約30年の歳月を費やし完成されたものです。南北約五十メートル、東西約四十メートルの広大な屋敷地は、主屋とオモテニワを中心に、周囲を納屋や寝床、土蔵、門長屋と塀により囲まれ、城郭の様な構えとなっています。
敷地北面(写真左)と西面(写真右):
・北面には左から宝庫と北藍寝床が建ち、西面には左から南藍寝床、味噌部屋と番屋が並び(番屋の奥は表門)、少し離れた木陰に灰屋が建つ
・味噌部屋は70人の職人の食料を保管したもの
・番屋は職人の休憩所で、夏の西日で室内温度が上がらないよう、西面には窓を設けていない

敷地北面:
・右端が北藍寝床で、その右に宝庫が並び、左奥に主屋の藁葺き屋根が見える

敷地西面:
・建物は地元の青石・撫養石でできた石垣の上に建ち、吉野川の氾濫に備えている

敷地南面:
・左端の軽自動車の後ろが表門、その右が土蔵で、背後の茅葺が主屋、右端が藍納屋

敷地内西面:
・漆喰の妻が南藍寝床で、その右は味噌長屋と番屋



主屋

・茅葺屋根は洪水時に切り離し、舟として利用することができる
・上段写真右の小ぶりな瓦葺きが座敷で、奥が宝庫



座敷

・写真中央が座敷で右奥が宝庫



表門

・門の左部分は馬屋として利用された
・写真右は土蔵



北藍寝床



藍納屋

・写真上段から、南面、東面、西面
・西面には広い下家「オブタ」を備える



灰屋

アクセス
JR徳島駅から竜王団地線のバスで高畑東下車、すぐです。団地線のバスの本数は多くありませんが、南西1.2㎞のフジグラン石井までは別路線のバスも利用できます。
見学ガイド
田中家住宅は、日曜休日のみ予約制で有料公開されています。重文指定建造物の多くは敷地外から見ることができます。

感想メモ
洪水から守るため石垣の上に建つ規模の大きな屋敷です。2023年の訪問時は内部の公開日ではなかったため2008年に訪問した時の写真を引っ張り出してきました。立派なお屋敷という記憶は残っていますが、内部の様子などは記憶がかなりあいまいです。
(2008年3月、2023年10月訪問)

参考
石井町公式サイト、日本遺産公式サイト、徳島県立図書館公式サイト、現地解説

 

 

吉野川下流域で最大級の藍商の住宅

武知家住宅


たけちけじゅうたく
名西郡石井町高川原天神
武知家住宅主屋34.086990, 134.442366
江戸末期
桁行20.3m、梁間14.8m、入母屋造、四面下屋付、北面突出部 桁行1.6m、梁間6.0m、切妻造、北面及び西面庇付、南面玄関及び西面便所附属、本瓦葺、北面浴室附属、切妻造、桟瓦葺
離れ34.087171, 134.442396
明治
桁行7.9m、梁間5.0m、二階建、東面入母屋造、西面切妻造、本瓦葺、南面及び東面下屋附属、桟瓦葺、北面土塀附属、本瓦葺
伝い34.087095, 134.442391
明治
桁行5.7m、梁間4.2m、切妻造、北面及び南面張出部附属、桟瓦葺、北東南面下屋附属、銅板葺
宝庫34.087170, 134.442302
江戸末期
土蔵造、桁行7.4m、梁間4.9m、二階建、切妻造、南面庇付、本瓦葺
庫蔵34.087169, 134.442179
江戸末期
土蔵造、桁行11.8m、梁間4.9m、二階建、切妻造、南面庇付、本瓦葺
通門34.086853, 134.442572
明治
長屋門、桁行12.7m、梁間4.9m、二階建、入母屋造、西面下屋附属、本瓦葺
東藍床34.086734, 134.442531
江戸末期
桁行12.7m、梁間7.9m、二階建、切妻造、北面下屋付、本瓦葺
西藍床34.086726, 134.442348
江戸末期
桁行20.8m、梁間4.9m、二階建、切妻造、北面馬屋附属、桁行4.8m、梁間4.9m、北面下屋附属、本瓦葺、南面板塀附属
寝床34.086953, 134.442140
江戸末期
土蔵造、桁行15.7m、梁間7.9m、二階建、切妻造、東面下屋付、本瓦葺
倉廩34.086962, 134.442139
江戸末期
土蔵造、桁行11.8m、梁間5.0m、二階建、切妻造、東面下屋附属、桁行12.0m、梁間3.0m、南面土塀附属、本瓦葺
作男部屋34.086716, 134.442157
江戸末期
桁行折曲り延長24.5m、梁間2.4m、切妻造、本瓦葺
下部家34.086841, 134.442144
江戸末期
桁行4.9m、梁間3.9m、切妻造、本瓦葺、東面玄関附属、桟瓦葺

武知家住宅は石井町の田中家住宅に近い田園地帯に位置します。嘉永4年(1851)から明治9年(1876)にかけて約25年かけて完成した藍屋敷です。南北約80m、東西約70mの高石垣の敷地に、中央に配置した主屋の周りを建物が取り囲む藍屋敷独特の屋敷構えが完存しています。
敷地東面:
・写真左が主屋で右が離れ、両者をつなぐ低い屋根が伝い

敷地東面:
・中央が通門で、左に見える妻が東藍床、右の二重屋根が主屋

敷地西面(2008年撮影):
・左端の妻が庫蔵、その右に倉廩、寝床、板張りの下部屋、作男部屋が建ち、右端奥に西藍床の妻が見える

敷地西面(2008年撮影)

敷地西面

下部屋(写真中央)と寝床(左の土蔵造り)

下部屋(写真左)と作男部屋(写真右)

敷地南面:
・写真手前が東藍床で、左奥が西藍床

敷地北面:
・中央が庫蔵で、その左が宝庫、屋根のみ見えているのが座敷



主屋

・文久2年(1862)に建てられた大規模な建物で、当地の伝統的民家形式を基軸としつつ、二重の本瓦葺屋根や雄大な式台玄関など高い格式を備える



通門



東藍床



西藍床



宝庫

アクセス
JR徳島駅から竜王団地線のバスで天神東下車、すぐです。団地線のバスの本数は多くありませんが、700m南のフジグラン石井までは別路線のバスも利用できます。
見学ガイド
武知家住宅は現住民家で、非公開ですが、重文指定建造物の多くは公道に面しているので見ることができます。

感想メモ
2008年に田中家住宅を訪問した際に立ち寄っていたようです。当時は重文未指定で、ここを目指して立ち寄ったのか、それともたまたま通りがかってあまりにも存在感の大きな屋敷なので足を止めたのか、記憶が完全に消えています。当時は西側の土蔵がパッチワークのようでなかなか面白いです。
(2008年3月、2023年10月訪問)

参考
石井町公式サイト、日本遺産公式サイト、文化遺産オンライン

 

 

支配階級の大型民家

粟飯原家住宅


あいはらけじゅうたく
名西郡神山町下分栗生野
粟飯原家住宅33.965434, 134.326085
江戸中期
桁行21.0m、梁間9.5m、寄棟造、鉄板葺、四面庇付、桟瓦葺、背面突出部 桁行0.8m、梁間3.8m、切妻造、桟瓦

粟飯原家住宅は徳島県中央部の山間地、神山町の鮎喰川上流左岸に位置します。南北朝時代の観応2年(1351年)に下総国より阿波に派遣された上山谷6箇村の大庄屋、三日月、粟飯原家の分家の居宅です。棟札から宝永七年の建築であることが知られています。
・桁行21mの大型の住宅
・平面は6間取りで、当時の一般農家の2間取り、3間取りと比較すると格段に大きい

・四面に桟瓦葺の庇を持ち、背面(写真手前)に突出部を持つ

アクセス
JR高徳線徳島駅からバスで神山高校前バス停下車、西に2kmです。栗生野の集落の橋を渡り、そのまま灯篭の間を進みます。
見学ガイド
粟飯原家住宅は非公開です。背後の農道などから屋根の一部を見ることができます。

感想メモ
バスにかなり乗りますが、徳島の一日乗車券はかなりお得なので助かりました。特に空港バスを利用するときはお得感が大きいです。粟飯原家住宅は遠くから屋根が少し見えるだけですが、周辺の風景は素晴らしいです。神山高校前バス停近くのかま屋さんは、少し値段がはりますが、地元食材の美味しいランチを出しています。
(2023年5月訪問)

参考
神山町公式サイト、全国重文民家の集い
このブログについて:

兵庫県東播磨・北播磨南部・淡路地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

明石市
明石城 巽櫓、坤櫓
加古川市
鶴林寺本堂  
鶴林寺太子堂  
鶴林寺常行堂  
鶴林寺護摩堂  
鶴林寺行者堂  
鶴林寺鐘楼  
三木市
天津神社本殿  
歓喜院聖天堂  
稲荷神社本殿  
東光寺本堂  
伽耶院 本堂、多宝塔、三坂明神社本殿
小野市
浄土寺浄土堂(阿弥陀堂)  
浄土寺薬師堂  
八幡神社本殿  
八幡神社拝殿  
淡路市
江埼灯台  

 

 

天守が築かれなかった城

明石城


あかしじょう
明石市明石公園
明石城 巽櫓 34.652135, 134.992294
江戸前期
三重三階櫓、本瓦葺
坤櫓 34.652289, 134.991152
江戸前期
三重三階櫓、本瓦葺

 

明石城は明石の市街地に位置します。外様大名の多い西国の備えとして、元和5年(1619)に初代明石藩主小笠原忠政が2代将軍徳川秀忠から命じられて築城したものです。
・右が巽櫓(たつみやぐら)で、左が坤櫓(ひつじさるやぐら)
・巽櫓の棟は東西方向で、坤櫓は南北方向
 

 


巽櫓
 
・本丸の南東端に築かれた3重櫓
・前身の櫓は船上城から移築されたと伝え、現存の櫓は寛永年間の焼失後に再建されたもの
・桁行五間(9.03m)、梁間四間(7.88m)、高さ七間一寸(12.53m)
 

 


坤櫓
 
・伏見城から移築されたと伝え、内部には、伏見城の部材とされる木目のそろった松材が多く使われている
・天守が築かれなかった明石城では天守代用として使われていた
・桁行六間(10.94m)、梁間五間(9.15m)、高さ七間二尺九寸(13.28m)で、巽櫓よりひと回り大きい
 
アクセス
JR山陽本線・山陽電鉄明石駅北600mです。
見学ガイド
明石城は常時自由に見学することができます。重文指定の櫓は、通常外観のみの公開です。

 

感想メモ
山陽本線のホームのすぐ前に見えますが、実際に歩くと意外と駅から時間がかかりました。
(2022年12月訪問)

 

参考
明石城公式サイト

 

 

播磨法隆寺とも呼ばれる

鶴林寺


かくりんじ
加古川市加古川町北在家
鶴林寺本堂 34.752278, 134.832603
国宝・室町中期
桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺
鶴林寺太子堂 34.752138, 134.832838
国宝・平安後期
桁行三間、梁間三間、正面一間通り庇付、一重、宝形造、庇葺きおろし、檜皮葺
鶴林寺常行堂 34.752188, 134.832335
平安後期
桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、本瓦葺
鶴林寺護摩堂 34.752323, 134.833312
室町後期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
鶴林寺行者堂 34.751712, 134.831902
室町中期
一間社隅木入春日造、背面入母屋造、本瓦葺
鶴林寺鐘楼 34.752311, 134.832943
室町中期
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺

 

鶴林寺は加古川の中心市街地の南に位置します。聖徳太子の創建と伝えられる天台宗の寺院で、「西の法隆寺」、「播磨法隆寺」などとも呼ばれています。天永3年(1112年)に鳥羽天皇から勅額を受け、寺号を「鶴林寺」と改められました。鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛時代をむかえましたが、戦国時代にいたって、信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰徴の一途をたどりました。


本堂
 
・折衷様の代表的な建築で、室町時代中期に建立されたもの
・正面の七間全てと側面の後方一間を除く五間に禅宗様の桟唐戸を吊るしている
 
・柱上の組物は二手先で、中備は大仏様の双斗
・垂木は二軒の平行繁垂木
 
外陣中央部(右の結界の奥が内陣): 
・中央部は柱を抜き、太い梁で屋根を支える
 
外陣前面部: 
・海老虹梁で柱間を繋ぐ
 

 


太子堂
 
・1112(天永3)年に建立された兵庫県下最古の建築
・聖徳太子創建の聖霊院の後身として太子堂とよばれているが、本来は西方にある常行堂と対をなす法華堂
・天台宗の法華堂としては我が国最古
・方三間、一重で、四方に縁をはり、正面は各間に和様の蔀戸を吊る
 
左側面: 
・宝形造りの建物(左)の前面に縋破風をかけ、奥行き一間の礼堂(右)を付ける
 
正面(礼堂)の軒廻り: 
・柱上の組物は簡素な舟肘木
 
宝形部(左)と礼堂(右)の接合部分: 
・宝形部は二軒で、柱上は大斗肘木
 

 


常行堂
 
・太子堂とほぼ同時代の建立で、もとは太子堂と同じく桧皮葺であったものを1566年に瓦屋根に葺きかえ
・常行堂としては我が国最古の遺構
・寄棟、妻入りの仏堂で、正面三間と側面中央二間に蔀戸を吊る上品で落ち着いた建物
 
・太子堂の宝形部と同じく、二軒で柱上は大斗肘木
 

 


護摩堂
 
・比較的小さい仏堂で、1563年(永禄6)に建立されたもの
・柱上の斗組を省略した簡素な建築
・外部は和様
 
・内部は禅宗様で、大きな梁を護摩壇の左右に通すなど大胆な架構
 

 


行者堂
 
・本堂、鐘桜とともに室町時代初期の鶴林寺全盛期に建てられた折衷様式の社殿
・鶴林寺鎮守の山王権現の本殿として建立されたものだが、明治以後、役行者(えんのぎょうじゃ)をまつり行者堂とされた
・近世以前の神社本殿で瓦葺きであるのは珍しい
 
左側面
 
・通常は春日造の背面は切妻だが、ここでは入母屋造
 
向拝柱(右手前)と身舎(奥): 
・隅木(身舎柱から斜めに伸びる部材)入りであることも確認できる
 

 


鐘楼
 
・袴腰造りで、鐘楼としては規模の大きな建築
・本堂より10年遅れて建立されたもの
 
・上層の組物(上段写真)と腰組(下段写真)は、ともに三手先で、中備は間斗束
 
アクセス
JR山陽本線加古川駅南2km、山陽電鉄尾上の松駅東1.5kmです。加古川駅からのバス便も利用できます。
見学ガイド
鶴林寺は有料で公開されています。開門時間は午前9:00~午後4:30です。

 

感想メモ
鶴林寺には、2棟の国宝をはじめ見ごたえのある建造物がいくつも残されています。本堂は外陣内部にも入ることができて、力強い架構を間近に見ることができました。
(2021年12月訪問)

 

参考
現地解説板、鶴林寺公式サイト、兵庫県立歴史博物館公式サイト

 

 

修験寺院の堂宇

伽耶院


がやいん
三木市志染町大谷
  本堂 34.805601, 135.058873
江戸前期
桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺
多宝塔 34.805516, 135.059155
江戸前期
三間多宝塔、本瓦葺
三坂明神社本殿 34.805619, 135.059044
江戸前期
三間社流造、こけら葺

 

伽耶院は三木市東部の丘陵地に位置します。法道上人の開創と伝える天台宗寺院で、慶長十四年(1609)に焼失したあと再興されたのが現在の伽藍です。本堂は慶長十五年、多宝塔は正保五年の建立になり、三坂明神社本殿もその頃の建立で当時の鎮守社です。伽耶院は中世以降、聖護院末の修験寺院としてその名が記され、江戸時代には天台系山伏を統率する五院家の一つとして強い勢力を持ちました。
・伽藍中央に本堂(写真左)が建ち、その東に三坂明神社本殿(上段写真中央)と多宝塔(写真右)が並ぶ
 

 


本堂
 
・桁行五間、梁間五間、寄棟造で、三方に縁が付く
 
・背面(写真左)の東西両側に下屋で脇仏壇が張り出す
 
・軒は二軒で、円柱を内法長押と頭貫で固め、柱上は出三斗、中備は間斗束
 
・本堂入口には唐獅子と牡丹の欄間を飾る
 
・内部は密教様式で、前方二間を外陣としている
・外陣の柱を省き広い空間を確保している
・内陣との境には引違格子戸と菱欄間の結界を設けている
 

 


本堂内宮殿(附指定)
 
・本堂と同年代のもので、本堂内陣中央に安置されている
・軒唐破風を持つ三間の宮殿で、鮮やかな彩色が施されている
・本堂内陣の柱にも彩色が施されている
 

 


多宝塔
 
・本瓦葺の三間多宝塔
・素木の多宝塔だが、中備と連子窓にのみ彩色が施されている
・相輪は江戸後期から欠落していたが、昭和後期に復元された
 
・上重は二軒の禅宗様扇垂木で、組物は和様の尾垂木を持つ四手先
 
・下重は二軒の和様平行繁垂木で、組物は実肘木付き二手先
・中備は中央間が蟇股で、両側間が撥束
・軸部は円柱を長押で固める
・各面中央には和様の幣軸を付けた桟唐戸を設ける
・縁には擬宝珠高欄が付く
 

 


三坂明神社本殿
 
・三間社流造で、向拝は、中二本柱を抜き、三間を1本の大虹梁で架け渡している
・大虹梁上には色彩を施した蟇股を置く
 
・妻は叉首組で、虹梁を三斗で支える
・頭貫前端は海老虹梁に繋ぎ、後端には木鼻を出す
 
アクセス
JR山陽本線三宮駅から社行バスで志染小学校前下車北2.2㎞です。
見学ガイド
伽耶院は常時自由に参拝することができます。各重文建築は近くから見ることができます。本堂は外陣まで立ち入ることができます。

 

感想メモ
かつては修験の中心寺院として勢力を誇ったとのことですが、今では山里に静かに佇んでいます。新緑が映え、大変美しい境内です。
(2019年6月訪問)
神戸からそれほど離れているわけではありませんが、気候はかなり違うようで、伽耶院一帯は地面に雪が残っていました。以前訪問した時よりも建物の細部も見るようになっているので、ゆっくりと時間をかけて拝観させていただきました。
(2025年1月訪問)

 

参考
現地解説板、三木市公式サイト、国指定文化財等DB

 

 

大仏様の技法をほぼ完全に伝える国宝建築

浄土寺


じょうどじ
小野市浄谷町
浄土寺浄土堂(阿弥陀堂) 34.864161, 134.961160
国宝・鎌倉前期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺
浄土寺薬師堂 34.864044, 134.961992
室町後期
桁行五間、梁間五間、一重、宝形造、本瓦葺
八幡神社本殿 34.864442, 134.961628
室町中期
三間社流造、檜皮葺
八幡神社拝殿 34.864308, 134.961583
室町前期
桁行七間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺

 

浄土寺は、小野市の加古川東岸に位置します。この地域は、平安後期に東大寺領大部荘として立荘され、その後、東大寺再興の大勧進職となった俊乗房重源による再開発に際して、この地に浄土寺が開かれました。当時全国に七か所開かれた東大寺別所の一つです。
大仏様の技法をほぼ完全に伝える浄土堂や、重源上人が重視した八幡信仰に基づく伽藍配置など多くの見所があります。

 


浄土堂(阿弥陀堂)
 
・浄土寺の本堂で建久8年(1197)に落成
・境内中心軸西側に東面して建つ
・東大寺再建に用いた大仏様の技法によって建てられている
・大仏様をほぼ完全に伝える数少ない建造物で、非常に貴重な遺構
・挿肘木、皿斗付の斗、遊離尾垂木、隅扇垂木、鼻隠板を打った直線の軒、桟唐戸とその藁座、独特の繰形の木鼻などに大仏様の特徴が顕著に表れている
・桁行三間、梁間三間、宝形造であるが、柱間が非常に大きいので、出入口の部分では小脇柱を立てて、中央部に桟唐戸を入れる
 
・西背面(写真左)を蔀戸で構成して堂内の阿弥陀像に西日を当て、来迎を表現できるように工夫されている
 
・円形断面の丸桁で隅扇垂木をうけている
・垂木先には鼻隠板を打つ
 
・組物は三手先で、挿肘木を用いた特殊な形状
 
・中備には遊離尾垂木を用いている
・扉の藁座も特異な形状をしている
 
・木鼻には大仏様の特徴的な繰形が見られる
・斗の下には皿斗(柱上の皿状の部材)が置かれる
 

 


薬師堂
 
・境内中心軸の東側に西面して建っている
・近世以後においては、浄土寺の主格的建築として扱われ、本堂とも呼ばれている
・現在の建物は永正14年(1517)に再建されたもの
・随所に大仏様がみられるものの和様・禅宗様も折衷している
・規模は浄土堂とほぼ等しいが、浄土堂が三間であるのに対し、薬師堂は五間
 
北側面(写真左)
 
南側面
 
東背面
 
・大仏様の隅扇垂木や垂木先端の鼻隠板が見られる
 
・組物は三手先で、挿肘木を用いた大仏様
・木鼻のくり形や扉の藁座などにも大仏様の特徴がみられる
・丸桁は円形断面ではなく角材を用いている
・中備は撥束で、遊離尾垂木は見られない
 
・南側面には禅宗様の花頭窓が見られる
・柱下端は和様の地長押で固めている
 

 


八幡神社本殿
 
・境内の中央正面の通常は寺院の本堂が配置される位置に鎮座する
・これは本地垂迹説の八幡神の本地を阿弥陀とすることによると考えられている
・室町時代中期の代表的な三間社流造
 
・妻に二重虹梁大瓶束を用いた早い例
 
・向拝と身舎の間には虹梁がなく、向拝柱上部背面には彩色を施した手挟を配している
 
・向拝の蟇股は古風な左右対称の図柄
 
・身舎正面の蟇股(上段写真)と身舎側面の蟇股(下段写真)も左右対称に近いが、少し対称を崩している
 

 


八幡神社拝殿
 
・室町前期に再建された大規模な割拝殿
・大仏様も取り入れた折衷様の建築
 
・天井は張らず、腰貫から上は四方吹き放ちにしている
 
・大仏様の双斗や象鼻の原型のような木鼻が見られる
 
アクセス
神戸電鉄小野駅下車、コミュニティーバスに乗り継いで浄土寺下車すぐです。
見学ガイド
浄土寺は常時自由に参拝することができます。阿弥陀堂内部は有料で拝観することができます。阿弥陀堂内部の写真撮影は禁止されています。阿弥陀堂は東面、薬師堂は西面しています。夏の西日が強い日は、阿弥陀堂内の仏像に美しい後光が射します。

 

感想メモ
浄土寺は東面するお堂と西面するお堂があり、阿弥陀堂内に光が入るのが午後ということで、朝から昼過ぎまでゆっくりと見て回りました。
やはり大仏様の阿弥陀堂は圧巻です。柱間が非常に大きいので、堂内が広々としています。大仏様は太い虹梁を何段も重ねる重厚な構えですが、屋根が高いので堂内の圧迫感がありません。冬の2時頃だったので、夕日にはまだ早かったですが、堂内が夕日に照らされた美しい姿を想像することができました。
阿弥陀堂の向かいに同じ規模で折衷様の薬師堂があるので、二つのお堂の細部を見比べることもできました。
中心軸に神社を置く伽藍配置も興味深いです。
(2024年2月訪問)

 

参考
小野市公式サイト、兵庫県公式サイト、国指定文化財等DB

 

 

明石海峡を望む明治の石造灯台

江埼灯台


えさきとうだい
淡路市野島江崎
江埼灯台 34.606524, 134.993312
明治
金属製、石造、建築面積69・31平方メートル

 

江埼灯台は、明石海峡をのぞむ淡路島の北端に建つ洋式灯台です。兵庫開港に備え、瀬戸内海沿岸等への設置が決められた五灯台の一つで、工部省リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導監督により明治4年に竣工したものです。
・石造灯塔の上に金属製の灯籠が載り、灯塔下部北面を囲むように石造の付属舎が取り付く
 
・灯籠は、外周に三角格子状の銅製骨子を組み立ててガラスを嵌め込み、金属製ドーム屋根を載せる
 
アクセス
JR山陽本線舞子駅から明石海峡大橋を渡るバスで淡路IC下車、明石海峡方向に4kmで江埼公園、灯台は公園から180段の石段を上ったところにあります。ICから江埼公園までは島内バスを利用することができます(均一運賃なので短距離だとかなり割高です)。
見学ガイド
江埼灯台は常時自由に見学することができます。灯台の周囲には低い柵が設けられていて柵内に立ち入ることができませんが、柵の周囲からは灯台を見学することができます。

 

感想メモ
公園から先の180段の階段はまっすぐに伸びていて、見上げるとちょっとクラッときますが、ちょうど10段ごとに几帳面に踊場が造られていて先も見えているので、案外簡単に上ることができました。
11月だと朝8時半すぎでは灯台はまだ木立の影になっていて、しばらくすると日が射しはじめました。ドームの光の部分と影の部分がどんどん変わっていくのが面白かったです。
(2022年11月訪問)

 

参考
兵庫県教育委員会公式サイト

このブログについて:

兵庫県北播磨北部地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

西脇市
旧西脇尋常高等小学校 第一校舎、第二校舎、第三校舎
加西市
一乗寺本堂  
一乗寺妙見堂  
一乗寺弁天堂  
一乗寺護法堂  
一乗寺三重塔  
一乗寺五輪塔  
酒見寺多宝塔  
住吉神社 東本殿、中本殿、西本殿、拝殿
加東市
若宮八幡宮本殿  
住吉神社本殿  
朝光寺本堂  
朝光寺鐘楼  

 

 

戦前の洋風木造校舎

旧西脇尋常高等小学校


きゅうにしわきこうとうじんじょうしょうがっこう
西脇市西脇
旧西脇尋常高等小学校 第一校舎 34.991233, 134.977150
昭和
木造、建築面積六四五・六八平方メートル、二階建、金属板葺
第二校舎 34.991473, 134.977282
昭和
木造、建築面積六二四・七〇平方メートル、二階建、金属板葺
第三校舎 34.991706, 134.977353
昭和
木造、建築面積六二八・〇一平方メートル、二階建、金属板葺

 

旧西脇尋常高等小学校は、西脇市街の北西の高台に所在し、その校舎は現役の小学校校舎として使用されています。校舎は地場産業である播州織の興隆もあって昭和9年から12年に建設されたものです。設計は、多くの公共建築を手がけた地元出身の建築家、内藤克雄です。
・手前から第一校舎、第二校舎、第三校舎の三棟の木造二階建て校舎が並ぶ
・スティック・スタイルを基調とした簡素ながら上品な外観
 
・写真左が第一校舎で、右が第二校舎、これらを附指定の中央渡廊下(写真手前)と西渡廊下(写真奥)が繋ぐ
 
・写真中央が第二校舎で、右奥が第三校舎、これらを附指定の東渡廊下が繋ぐ
・写真左手前は附指定の東便所
 

 


第一校舎
 
・全般的に質素な意匠だが、玄関まわりは装飾を凝らしている
・壁面は平板スレートの下見張りで、中央部分と一階窓下は波板スレートの縦張りとして変化を付けている
・二階窓上の小壁は漆喰塗り
 
・正面中央に半切妻造のゲーブル(妻壁)を掲げる
・壁面の付柱は、軒高にブラケットを飾る
 
・車寄せは一文字葺の腰折れ屋根で、腰折れ部に反りを付ける
・車寄せ壁面はモルタル掃付けのドイツ壁
 
・玄関ホールの奥が中央渡廊下で、その先に第二校舎が見える
 
・廊下を北側に通し、南側に教室を並べる
 
・普通教室は南面と北面廊下側に窓を設ける
 
・二階東端は旧裁縫室で、床を高く張って畳敷きとし、天井は折り上げの竿縁天井
 
・室戸台風前の建築であるため補剛材は用いられていない
 

 


第二校舎
 
・外観は第一校舎と同様の意匠とする
・第二校舎には校長室、職員室など、管理機能が集約されている・東渡廊下に破風が設けられており、その奥が職員室の入口
・第二校舎と第三校舎は室戸台風後の新基準で設計されている
 
・校長室の隣には応接室が設けられている
 
・室戸台風後の新基準に適合するよう、補剛材が用いられている
 

 


第三校舎
 
・第三校舎は第二校舎と同様の外観
 
・理科準備室であった部屋には建築当時の戸棚が残されている
 
・第三校舎内部
 

 


東渡廊下(附指定)
 
・柱は近年、耐震補強されている
 
アクセス
JR加古川線西脇市駅北2.7kmです。新西脇駅の方が1kmほど西脇小に近いですが、西脇市駅から先は列車本数が少なくなります。西脇市駅から、本数は少ないですがバス便も利用できます。大阪・神戸からは西脇行きの高速バスで東本町下車、北700mです。
見学ガイド
西脇小学校校舎は現役の校舎であるため、通常は非公開です。不定期で特別公開が行われ、そのときは校舎内部に入ることもできます。公開時以外は敷地西側の公道から校舎の一部を見ることができます。丁度よい場所に歩道橋がありますが、植栽に邪魔されて視界が開けません。東側は校地が盛土になっているので公道から校舎を見ることはできません。

 

感想メモ
予約制の特別公開に参加しました。思ったより多くの人が来ていて、いくつもの班に分かれて見学しました。団体行動ですが、ゆっくりと説明してもらえたので、ストレスなく見学することができました。あいにくの雨天でしたが、小降りの間に外観も見学することができてよかったです。
(2022年2月訪問)
前回の訪問時は天気が良くなかったので再訪しました。今回は天気が良くて、校舎がきれいに輝いていました。地元の方の見学が一巡したのか、今回は見学者が少なく、現地に着いたときは公開日を間違えたのか心配になるほどでした。
(2025年1月訪問)

 

参考
国指定文化財等DB、現地解説、西脇小学校保存活用計画

 

 

西国三十三所の第二十六番札所

一乗寺


いちじょうじ
加西市坂本町
一乗寺本堂 34.859279, 134.818983
江戸前期
懸造、桁行九間、梁間八間、一重、入母屋造、本瓦葺、背面閼伽棚附属
一乗寺三重塔 34.858950, 134.818954
国宝・平安後期
三間三重塔婆、本瓦葺
一乗寺妙見堂 34.859529, 134.818567
室町後期
三間社流造、檜皮葺
一乗寺弁天堂 34.859509, 134.818507
室町中期
一間社隅木入春日造、檜皮葺
一乗寺護法堂 34.859586, 134.818802
鎌倉後期
一間社隅木入春日造、檜皮葺
一乗寺五輪塔 34.858547, 134.819383
鎌倉後期
石造五輪塔
元亨元十月十七日の刻銘がある

 

法華山一乗寺は加西市南部の山間地に位置します。白雉元年(650)創建と伝わる天台宗叡山派の古刹で、西国三十三所の第二十六番札所です。中世には書写山円教寺などとともに播磨6ヶ寺のひとつに数えられ、武家・国衙がともに祈願所としていました。

 


本堂
 
・元和3年(1617)の旧本堂の焼失後、寛永5年(1628)に再建されたもの
・懸造の九間堂で、規模が大きく、全体的には中世以来の伝統的手法を踏襲
 
・背面には閼伽棚が設けられている(写真左)
 
外陣: 
・梁行三間を外陣とする
・柱を減少させて礼拝空間を拡大させるなど近世的手法もみられる
・外陣天井には江戸時代の巡礼札が数多く残る
 

 


三重塔
 
・相輪伏鉢の刻銘から平安時代の承安元年(1171)の建立であることが知られる
・方三間で、上層ほど屋根の大きさや軒の出が小さくなるなど、古塔の姿をよくとどめる
 
相輪上部: 
・相輪の意匠も上代の伝統を示している
 
・棟の中間部分がわずかに盛り上がった「むくり」を持つ珍しい様式
 
・蟇股や組物など細部の形式にも時代の特徴がよくあらわれている一方で、垂木が六支掛となっていることなど、中世の特徴も見られる
 

 



 
・右の三間社が妙見堂で、左の春日造が弁天堂
 

 


妙見堂
 
・三間社流造浜床付で、高欄は設けない
・細部に桃山様式もみられるが、建立は室町時代後期まで遡るものと推定されている
 
・組物等に後補が多い中、身舎正面中央の蟇股は古様を残している
 

 


弁天堂
 
・妙見堂に並立する一間社隅木入春日造の社殿
・建物全体は護法堂と似ているが、浜床・高欄がないことや、軒支輪・木鼻などに違いが見出される
・建立年代は室町時代中期に属するものと考えられている
 
・軒裏の斜め方向の部材が隅木
 

 


護法堂
 
・仏法と行者を守護する毘沙門天をまつる小規模な一間社で、本堂後方の丘の上に建てられている
 
・組物は出組、軒支輪付で、蟇股・木鼻など細部様式からみて、建立年代は鎌倉時代後期まで遡るものと,考えられている
 

 


五輪塔
 
・もとは近隣の墓地にあったもので、各輪の四方に四方五大の種子が彫られている
 
・地輪東面には「元亨元 十月十七」の刻銘がある(梵字の左)
 
アクセス
北条鉄道法華口駅とJR山陽本線姫路駅を結ぶバスで法華山一乗寺下車、すぐです。境内に入り直進して石段を上ると、三重塔、本堂に出ます。本堂背後右手に護法堂、左手に妙見堂と弁天堂があります。境内にはいくつかの五輪塔がありますが、重文指定の五輪塔は、石段の手前を右折して左手の林の中に一基独立して建てられているものです。
見学ガイド
一乗寺は有料で公開されています。拝観時間は8:00〜17:00です。本堂は外陣内部にも立ち入ることができます。

 

感想メモ
高低差のある広い境内に、多数の見ごたえのある文化財が残されています。どの文化財も間近に見ることができましたが、植栽の多い傾斜地に建てられいるため、建物の全体をとらえることができる視角は限られていました。特に、三重塔は、南側が植栽に視野が遮られ、西は立入り禁止なので、午後は逆光になります。三重塔北側の一段高い場所にある本堂からは塔を綺麗に見ることができますが、晴れた日は逆光です。
(2021年12月訪問)

 

参考
加西市公式サイト、兵庫県立歴史博物館公式サイト、重要文化財一乗寺本堂の平面変遷について

 

 

桧皮葺・本瓦葺を併用した極彩色の多宝塔

酒見寺多宝塔


さがみでらたほうとう
加西市北条町北条
酒見寺多宝塔 34.934943, 134.829464
江戸中期
三間多宝塔、一重本瓦葺、二重檜皮葺

 

酒見寺は北条の旧宿場町に位置します。行基菩薩の開創と伝える真言宗の寺院で、天正年間兵火にあって焼亡し、そのあと再興されたのが現在の伽藍であるとされています。 多宝塔は相輪伏鉢の刻銘などから寛文二年(1662)の再建であると考えられています。
・台輪、組物、丸桁など、各所に極彩色を施 している
・上重が桧皮葺、下重が本瓦葺として葺き方を異にしているのは、類例が少ない
・上重の軸部の径が下重の総柱間に対して細いこと、上部の亀腹が小造りであることなど前代風をよくのこしており、大型で安定した外観を有している
 
・上重は禅宗様の二軒扇垂木で、組物は和様の実肘木付き四手先
 
・下重軸部は円柱を長押で固める
・二軒の平行繁垂木で柱上は出三斗
・中央間は桟唐戸で、両側間は連子窓
 
アクセス
北条鉄道北条町駅下車、北西800mです。
見学ガイド
多宝塔は常時自由に見学することができます。塔の西側の参道から見ることになるので、午後の方が光の具合がよくなります。

 

感想メモ
北条宿の旧街道は、演出がほとんどない普段着の道路ですが、それが逆に魅力であるように思います。
安定感のある多宝塔に、奇抜な彩色。面白いです。
(2021年12月訪問)
隣接する住吉神社が新たに重文指定されたので再訪しました。今回は順光になる午後の遅い時間を狙って訪問しました。極彩色の多宝塔が綺麗に輝いていました。嫌味のない純粋に綺麗な輝きでした。このあたりは良く計算されているのかと思います。
(2024年2月訪問)

 

参考
現地解説版

 

 

三殿並立の大型社殿

住吉神社


すみよしじんじゃ
加西市北条町北条
住吉神社 東本殿 34.935461, 134.828660
江戸末期
桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
中本殿 34.935465, 134.828559
江戸末期
桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
西本殿 34.935477, 134.828460
江戸末期
桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
拝殿 34.935290, 134.828534
江戸後期
中央部 桁行三間、梁間四間、切妻造、本瓦葺、正面向拝一間向唐破風造、銅板葺
両側部 各桁行四間、梁間三間、両端部入母屋造、本瓦葺

 

住吉神社は旧北条宿の酒見寺の西隣に鎮座する式内社です。住吉神社の名称は明治になって定められたもので、それ以前は酒見大明神、酒見社などと呼ばれ、酒見寺と一体となって管理されていました。本殿は東本殿、中本殿、西本殿の3棟からなり、嘉永2(1849)から5年にかけて建立されました。本殿の前の長大な拝殿は文化5年(1808)の建立です。
・東本殿、中本殿及び西本殿は同型同規模で並立する(写真は本殿背面で、手前から西本殿、中本殿、東本殿)
・いずれも切妻造妻入の大型本殿
 

 


東本殿
 
・正面に装飾豊かな彫刻をつける等、幕末らしい意匠をみせる
 

 


西本殿
 

 


拝殿
 
・中央部の奥行を大きく造り、屋根を切り上げる独特な形式
 
・唐破風内にも勇壮な図案の彫刻が施されている
 
・内部も木鼻や肘木など、凝った意匠としている
 
アクセス
北条鉄道北条町駅下車、北西800mです。
見学ガイド
住吉神社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しに見ることができます。三殿のうち中本殿は背面以外ほとんど見ることができません。東西両殿の正面は脇門の格子の隙間から見ることができます。

 

感想メモ
隣の酒見寺には以前訪問しましたが、その時は住吉神社は未だ重文指定されておらず、素通りしていたので再訪しました。切妻の大型社殿が住吉づくりを彷彿させるとの解説がありましたが、住吉造の凛とした佇まいは装飾過多な江戸後期の建築とは対極にあるので、ちょっとそういう印象を持つのは難しかったです。
(2024年2月訪問)

 

参考
国指定文化財等DB

このブログについて:

長野県長野・北信・東信地方で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

長野市
善光寺本堂
善光寺経蔵
善光寺三門
白髯神社本殿
真田信之霊屋宝殿、表門
真田信重霊屋
旧横田家住宅主屋、隠居屋、土蔵、土蔵、表門
葛山落合神社本殿
上田市
旧常田館製糸場施設五階繭倉庫、撰繭場、事務所兼住宅、五階鉄筋繭倉庫、文庫蔵、四階繭倉庫、三階繭倉庫
国分寺三重塔
前山寺三重塔
中禅寺薬師堂
安楽寺八角三重塔
常楽寺多宝塔
法住寺虚空蔵堂
小諸市
小諸城三之門、大手門
釈尊寺観音堂宮殿
旧小諸本陣主屋、表門
東御市
春原家住宅
飯山市
白山神社本殿
小菅神社奥社本殿
健御名方富命彦神別神社末社若宮八幡神社本殿
佐久市
旧中込学校校舎
駒形神社本殿
新海三社神社三重塔
新海三社神社東本社
六地蔵幢
八幡社境内神社高良社本殿(旧八幡社本殿)
真山家住宅主屋、土蔵
千曲市
水上布奈山神社本殿
智識寺大御堂
北佐久郡軽井沢町
旧三笠ホテル
軽井沢夏の家(旧アントニン・レーモンド軽井沢別邸)
小県郡青木村
大法寺観音堂厨子及び須弥壇
大法寺三重塔
上高井郡小布施町
浄光寺薬師堂
下高井郡山ノ内町
佐野神社本殿

 

 

外観は和様で内部を禅宗様とした折衷様

国分寺三重塔


こくぶんじさんじゅうのとう
上田市国分
国分寺三重塔36.382673, 138.271363
室町中期
三間三重塔婆、銅板葺

国分寺は上田市街地南方、千曲川右岸の集落に位置します。信濃国分寺が現在地に移されたのは平安末期であると考えられています。三重塔は様式から室町中期の建立であると考えられています。外観は和様で、内部を禅宗様とした折衷様の三重塔です。
・三間三重塔婆で、屋根は明治時代にこけら葺きから瓦棒付銅板葺きに改められた

・九輪は上部に向けての低減が大きい
・九輪と水煙は昭和初期に改鋳されている

・上段写真から、第三重、第二重、初重
・各重とも長押を多用し、木鼻を出さないなど和様の特色が色濃く出ている
・上重には跳ね高欄を設けている

・先端部の太い尾垂木、軒支輪と小天井など細部にも和様の特徴が見られる
・中備は間斗束ではなく巻斗のみを宙に浮いたように取り付けている

アクセス
しなの鉄道信濃国分寺駅下車、北500mです。
見学ガイド
国分寺は常時自由に参拝することができます。三重塔も近くから見ることができます。

感想メモ
外観は和様でほぼ統一されていますが、内部が禅宗様という非常に珍しい三重塔。通常内部は非公開ですが、ぜひ一度は見てみたいものです。束を省いた間斗束は山梨の武田神社でも見たことがありますが、このあたりの職人さんが考案したものなのでしょうか。
(2018年11月、2023年9月訪問)

参考
上田市公式サイト、現地解説板、東信ジャーナル

 

 

未完成の完成塔

前山寺三重塔


ぜんさんじさんじゅうのとう
上田市前山
前山寺三重塔36.340744, 138.197429
室町後期
三間三重塔婆、こけら葺

前山寺は塩田平の南端部に位置します。塩田城の鬼門にあたり、その祈願寺であったと伝わります。三重塔は様式から室町後期の建立であると考えられています。
・こけら葺きの三重の塔で、和様と禅宗様を折衷している

・上段写真が第三重で、下段写真が第二重
・和様の先端の太い尾垂木を出した三手先組物で、禅宗様の拳鼻を付ける
・柱に長押仕口が切られているが、窓や扉は設けられていない
・長い胴貫が四方に飛び出しているが、縁や高欄は設けられていない
・このように細部が未完成でありながら、全体としては均整の取れた美しい塔であることから「未完成の完成塔」とも呼ばれている

・初重には桟唐戸、擬宝珠高欄、切目縁が設けられているが、窓は設けられていない

・初重の頭貫木鼻は禅宗様の象鼻

アクセス
上田電鉄中野駅下車、南3㎞です。塩田平の文化財巡りには、別所温泉駅などのレンタサイクルが便利です。
見学ガイド
前山寺は有料で拝観することができます。三重塔も近くから見ることができます。

感想メモ
本当に文字通り未完成の完成塔で、美しい姿でありながら壁面がのっぺらぼうで、不思議な感じです。
(2023年9月訪問)

参考
前山寺公式サイト、現地解説板、上田市公式サイト

 

 

信州最古の木造建築

中禅寺薬師堂


ちゅうぜんじやくしどう
上田市前山
中禅寺薬師堂36.336112, 138.185614
鎌倉前期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺

中禅寺は塩田平の南端部、独鈷山の麓に位置します。古来、地域の信仰を集めてきた古刹ですが、度重なる火災により多くの記録が失われ、創建については不明です。薬師堂は鎌倉前期の建立で、信州最古の建築です。
・方三間の阿弥陀堂形式
・正面三間と、側背面の各一間に板戸を吊り、その他は板壁としている

・柱は大面取角柱で、これを長押で固めている
・柱上は簡素な舟肘木で、軒は一軒

・堂内中央に四天柱を立て、本尊を祀る
・これは中尊寺金色堂などと同じ古い形式で、時代が下ると本尊の位置が堂の後壁方向に移る

アクセス
上田電鉄舞田駅下車、南3㎞です。塩田平の文化財巡りには、別所温泉駅などのレンタサイクルが便利です。
見学ガイド
中禅寺は有料で拝観することができます。薬師堂も近くから見ることができます。

感想メモ
非常に古い様式の質素なお堂で、見ごたえがあります。
(2023年9月訪問)

参考
中禅寺公式サイト、上田市公式サイト、現地解説板

 

 

日本最古の禅宗様建築

安楽寺八角三重塔


あんらくじはっかくさんじゅうのとう
上田市別所温泉
安楽寺八角三重塔36.352388, 138.152302
国宝・鎌倉後期
八角三重塔婆、初重もこし付、こけら葺

安楽寺は別所温泉北方の山裾に位置します。鎌倉中期の大覚禅師語録にもその名が見られる古刹で、もとは臨済禅宗寺院であったものが、天正16年(1588)ころ曹洞宗に改められています。
八角三重塔は、用材の伐採年代が正應2年(1289)であることが判明し、鎌倉時代後期の建立であることが明らかになりました。わが国最古の禅宗様建築です。
・八角形の平面を持つ三重塔で、初重に裳階を付けた珍しい様式
・細部にわたるまで禅宗様が用いられている
・軒が深く、裳階も含め各重とも二軒の扇型垂木
・各重とも縁、高欄を持たない

・塔身に対して相輪の比率が大きいのも、この塔の特徴

・第三重は禅宗様尾垂木付き三手先詰組
・柱間には連子窓を開き、扉はない

・第二重も第三重と同じ様式だが、塔身が上重ほど低減するので組物の間隔は第三重よりも大きい

・初重も同じく三手先詰組だが、二手先までは肘木を二段に重ね、複雑な形状としている

・初重裳階は出組の詰組
・禅宗様の弓欄間、藁座付き桟唐戸が見られる

アクセス
上田電鉄別所温泉駅下車、西700mです。
見学ガイド
安楽寺は有料で拝観することができます。八角三重塔も近くから見ることができます。

感想メモ
最古の禅宗建築で、日本で唯一の八角三重塔。見どころが凝集されています。林の奥深くの静寂な環境の中、美しくそびえています。見る角度や距離によっても表情が異なり、遠くから見ると裳階がどっしりとしているので、奈良時代の百万塔のような姿に見えます。
(2023年9月訪問)

参考
安楽寺公式サイト、上田市公式サイト

 

 

類例の少ない石造多宝塔

常楽寺多宝塔


じょうらくじたほうとう
上田市別所温泉
常楽寺多宝塔36.353635, 138.154127
鎌倉後期
石造多宝塔

常楽寺は別所温泉北方の山裾に位置し、多宝塔は境内奥の杉木立の中にあります。銘文には、「天長二年(825)、火焰の中から北向観音がこの地に出現した。そこで木造の宝塔を建立したが、寿永年間(1182~84)に焼失した。弘長二年(1262)本塔を造立し、金銀泥で書かれた一切経一部を奉納した。」と記されています。
・安山岩製の石塔だが、様式は基本的には木造多宝塔と同じ
・笠や裳階が鎌倉時代の多宝塔の典型を示している
・重文指定の石造多宝塔は、この塔と滋賀県の小菩提寺の塔のみ

・銘文は追刻であるともいわれている

アクセス
上田電鉄別所温泉駅下車、西700mです。
見学ガイド
常楽寺は常時自由に参拝することができます。多宝塔も近くから見ることができます。

感想メモ
境内奥の神秘的な杉木立の中にあります。銘文が非常に明瞭に読みとれるので喜んでいましたが、追刻の可能性があるとのこと。ちょっと興ざめです。
(2023年9月訪問)

参考
現地解説板

 

 

上田の虚空蔵信仰の中心

法住寺虚空蔵堂


ほうじゅうじこくぞうどう
上田市東内
法住寺虚空蔵堂36.303723, 138.195302
室町後期
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺

法住寺は、塩田平の南方、独鈷山を越えた先の谷あいに位置します。平安時代に創建されたと伝える天台宗の古刹で、独鈷山の虚空蔵信仰の山麓寺院です。虚空蔵堂は、室町時代の文安年間の兵火に よる焼失後、文明十八年(1486)に再建されたものと考えられています。
・桁行三間梁間四間の入母屋造、こけら葺で、一間の向拝を設ける
・全体として和様を基調とし、細部には禅宗樣を用いている

左側面: 
・正面は屋根の妻が深く入り禅宗様の風情があるが、側面は落ち着いた和様

向拝

左側面: 
・前方一間は吹き放ちの外陣
・組物は出三斗で、中備は斗のみで束のない特異な形式

左側面の妻: 
・鬼面を飾り、懸魚は禅宗様の蕪懸魚

・周囲に切目線を廻す
・堂は基壇を設けず、自然石の礎石の上に建てられている

・附指定の厨子は虚空蔵堂と同時期の制作で、禅宗様の方一間入母屋造

アクセス
しなの鉄道上田駅から大屋駅経由鹿教湯行バスで虚空蔵下車すぐです。
見学ガイド
虚空蔵堂は、常時自由に見学することができます。外陣内部も見ることができます。

感想メモ
境内を進むと、反りのある屋根の禅宗様に見える虚空蔵堂が見えてきますが、堂の背後の小高いところから見ると落ち着いた和様。不思議な建物です。
(2021年8月訪問)

参考
現地解説板

 

 

元禄時代の大規模農家建築

春原家住宅


すのはらけじゅうたく
東御市和
春原家住宅36.375761, 138.341286
江戸中期
桁行19.1m、梁間7.8m、寄棟造、茅葺

春原家住宅は東御市街地を見下ろす田園地帯に位置します。建物の年代を示すものは見つかっていませんが、江戸時代初めごろの建築であると考えられています。
・茅葺、寄棟造で、開口部の少ない閉鎖的な構造
・煙出しの部分が土間とチャノマの境界で、それより下手(写真右)が土間
・土間が全体の三分の二程度と非常に大きい

・厚い茅で深く葺き下ろしている

・小屋梁は細い木材を用いている
・土間とチャノマの間に壁が設けられており、内部も閉鎖的な構造

・広い土間の下手中央には馬屋が設けられている
・馬屋部分には二階を設け、物置などとして利用されている

・軒桁の外側に、さらに半間張り出して軒を深くしている

アクセス
しなの鉄道田中駅下車、北3.1kmです。田中駅の電動シェアサイクルを利用することができます。高低差130mの一様な上りです。
見学ガイド
春原家住宅は現住の民家の敷地内にありますが、常識的な時間帯であれば、自由に見学することができます。内部見学が可能な時間帯について表示はありませんでしたが、振替休日の四時頃に訪問したときは内部が公開されていました。

感想メモ
駅からずっと上りで少し大変でしたが、扇状地を上るに従い視界が広がり爽快でした。春原家住宅は、屋内を壁で仕切っているなど農家建築としては珍しい点が多く、興味深いです。
(2023年9月訪問)

参考
東御市公式サイト

 

 

細部もよく保存された室町建築

健御名方富命彦神別神社末社若宮八幡神社本殿


たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃまっしゃわかみやはちまんじんじゃほんでん
飯山市豊田
健御名方富命彦神別神社末社若宮八幡神社本殿36.921079, 138.375049
室町中期
一間社流造、とち葺

健御名方富命彦神別神社は、戸狩温泉の南方、千曲川左岸の山裾に鎮座します。創建は不詳ですが、本殿上の大石を磐座(いわくら)と考え、相当古くから信仰の場であったものと考えられています。江戸期には飯山藩主の祈願所として神社が整備され、寛政元年(1789)に京都吉田家より式内名神大社の社号を賜っています。末社若宮八幡神社本殿は室町中期の建立です。
・小規模な素木の一間社流造の社殿
・疎垂木で、柱上は身舎、向拝とも長い舟肘木

アクセス
JR飯山線戸狩野沢温泉駅下車、西2kmです。
見学ガイド
健御名方富命彦神別神社は常時自由に参拝することができます。末社若宮八幡神社本殿は覆屋の中にあります。覆屋前面には格子窓がありますが、窓にはガラスが嵌められていて、ホコリが付着しているので、肉眼では本殿をほとんど見ることができません。コンデジをガラス面に近づけると本殿の姿が確認することができますが、本殿までの距離が短いので、全体を収めることは難しいと思います。

感想メモ
本殿の姿をよく見ることができず残念でしたが、長野駅を始発で出たので、早朝の美しい風景は堪能することができました。
(2023年9月訪問)

参考
飯山市公式サイト、長野県神社庁公式サイト

 

 

六面に地蔵菩薩を刻む室町時代の石幢

六地蔵幢


ろくじぞうとう
佐久市入澤
六地蔵幢36.172293, 138.490134
室町中期
石造幢
龕部頂面に永享十二稔庚申の刻銘がある

六地蔵幢は佐久平の南方、武州街道沿いに位置します。笠浦の刻銘によると建立が享12年(1440)で室町時代のものです。
・高さ2.188mで赤味のある安山岩で作られている
・中国の石幢は幢身に経文などを刻して人々に示したものだが、これに室町時代の地蔵信仰が結びつき、龕部の中をくりぬいて六面体に陽刻した六地蔵を納めた六地蔵幢になったもの

・笠裏には二軒の扇型垂木が彫りこまれている

アクセス
JR小海線羽黒下駅下車、北700mです。道路沿い西側にあります。
見学ガイド
六地蔵幢は、常時自由に見学することができます。

感想メモ
その文化的価値を過度に主張することなく、道路脇にひっそりと立つ石幢でした。こういった文化財が地域の文化的な奥深さを感じさせてくれます。
(2021年8月訪問)

参考
佐久市公式サイト

 

 

豪壮な彫刻で埋め尽くされた素木造の社殿

水上布奈山神社本殿


みずかみふなやまじんじゃほんでん
千曲市戸倉
水上布奈山神社本殿36.489516, 138.150451
江戸後期
一間社流造、正面軒唐破風付、こけら葺

水上布奈山神社は千曲川右岸、戸倉の市街地に鎮座します。下戸倉宿の鎮守として諏訪大社より勧請した神社で、諏訪社と呼ばれていましたが、天保六年(1835)に現社名に改められました。 諏訪大社にならい、御柱の祭りも伝わります。現在の本殿は、諏訪の大隅流大工棟梁により、寛政元年(1789)に再建 されたものです。
・総欅造の一間社流造柿葺で、各所に用いられている彫刻が特徴
・彫刻は、「上り竜・下り竜」「唐獅子」「蘇鉄に兎」「鳳凰」 「竹林の七賢人」「仙人像」など題材が豊富であるとともに、素木造で彫りが鋭く豪壮
・江戸時代後期以降、東日本の社殿は彫刻を多く用いる傾向が顕著だが、この社殿はそれを代表する建築

向拝

右側面

左側面

左脇障子

右縁の下

アクセス
しなの鉄道戸倉駅南西500mです。
見学ガイド
本殿は、常時自由に見学することができます。本殿は大きな覆屋に覆われていて、前面にビニールシートが張られていますが、シートの隙間から本殿を直接見ることができます。

感想メモ
派手な彫刻の社殿は、どちらかといえば苦手ですが、ここまで徹底していると、これはこれで良いのかなとも思いました。
(2021年8月訪問)

参考
現地解説板

 

 

真田氏が祈願所とした茅葺の仏堂

智識寺大御堂


ちしきじおおみどう
千曲市上山田
智識寺大御堂36.466210, 138.140125
室町後期
桁行三間、梁間四間、一重、寄棟造、茅葺

智識寺は上山田温泉の南方、リンゴ畑が広がる高原に位置します。奈良時代に冠着山麓に創建されたと伝わる古刹で、建久9年(1198)に現在地に移され、七堂伽藍が整備されました。大御堂は室町後期(1573頃)に建立され、江戸時代には真田家代々の祈願所とされていました。
正面(上段写真)と左側面(下段写真): 妻入りで縦長の仏殿

・柱上の組物は平三斗で、柱上部には禅宗様の粽が見られる

左側面前部:
・前方一間が腰板から上を開放した外陣
・軒は、前方が疎垂木で、後方は民家のせがい造のような構造

外陣内部

アクセス
しなの鉄道戸倉駅南西4kmです。戸倉駅前の電動シェアサイクルが便利です。高低差は50m程度ですが、上りが後半に集中しているので、ちょっと大変です。
見学ガイド
大御堂は、常時自由に見学することができます。外陣内部も見学できます。

感想メモ
市街地をはずれ、リンゴ畑が多くなってきたあたりにあります。むくりのある屋根で、温かみのある茅葺の建物でした。
(2021年8月訪問)

参考
公民館報ちくま平成30年4月

 

 

細部様式の優れた折衷様建築

浄光寺薬師堂


じょうこうじやくしどう
上高井郡小布施町雁田
浄光寺薬師堂36.693214, 138.333266
室町中期
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、茅葺

浄光寺は小布施市街地東方の山裾に位置する真言宗豊山派の寺院です。薬師堂は室町時代初期の応永15年(1408)の建立です。
・薬師堂は境内の最奥部、自然石の石段を進んだ先にある

・桁行三間、梁間四間で、茅葺入母屋造
・軒の出の深い建築

・正面は三間すべてに桟唐戸を吊って禅宗様の色合いが濃いが、和様の内法長押が強く一直線に伸び、全体を引き締めている

・軒は二軒の繁垂木で、柱上は出三斗
・中備は中央間が蟇股で、両側間は間斗束

・蟇股は室町様式の落ち着いた意匠

・柱頭は禅宗様の粽を持ち、頭貫上に台輪を回す
・木鼻は均整の取れた禅宗様の意匠

・側面には扉を設けず、すべて板壁としている

アクセス
長野電鉄都住駅下車、南東1.8㎞です。小布施駅のレンタサイクルを利用することもできます。
見学ガイド
浄光寺は常時自由に参拝することができます。薬師堂もすぐ近くから見ることができます。

感想メモ
境内入口にはスラックラインの競技場があって、なかなか賑やかです。林の奥の薬師堂は対照的に静寂な空気が流れています。お寺のサイトでは、薬師堂の蟇股と木鼻は天下屈指の最優秀作とのこと。ちょっと盛りすぎですが、盛りたい気持ちを起こさせるほど美しい作品であることは間違いないように思います。
(2023年9月訪問)

参考
浄光寺公式サイト

 

 

丸窓風の装飾が珍しい鮮やかな桃山建築

佐野神社本殿


さのじんじゃほんでん
下高井郡山ノ内町佐野
佐野神社本殿36.734157, 138.413016
桃山
一間社流造、とち葺

佐野神社は湯田中温泉の対岸の段丘上に鎮座します。佐野神社は、明治時代にこの場所にあった飯綱神社に、上諏訪社・下諏訪社、志賀高原の笠嶽社を合祀した神社で、本殿は旧下諏訪社を移築したものです。本殿は一間社流造、とち葺、漆塗りの桃山建築です。
アクセス
長野電鉄湯田中駅下車、南1.5㎞です。
見学ガイド
佐野神社は常時自由に参拝することができます。本殿はコンクリートの覆屋の中にあって、全く見ることができません。9月上旬に行われる祭礼時には公開されるようです。

感想メモ
本殿はコンクリートの覆屋の中にあることは分かっていましたが、日曜日には地元保存会が公開しているとのネット情報があったので、少し期待して三連休の中日の日曜日に訪問しました。でも、残念ながら、覆屋の金属製の扉は固く閉ざされていました。駅の観光案内所で伺うと、今は祭礼のときにしか公開していないとのことでした。
(2023年9月訪問)

参考
現地解説版
このブログについて:

長野県塩尻・木曽・伊那地方で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

飯田市
旧小笠原家書院  
文永寺 石室、五輪塔
開善寺山門  
白山社奥社本殿  
伊那市
遠照寺釈迦堂  
熱田神社本殿  
駒ヶ根市
光前寺弁天堂  
旧竹村家住宅  
塩尻市
小野家住宅 主屋、文庫、隠居屋
堀内家住宅  
小松家住宅  
嶋﨑家住宅  
手塚家住宅 主屋、別棟座敷、土蔵
旧中村家住宅 主屋、土蔵
深澤家住宅 主屋、南蔵、北蔵
上伊那郡中川村
坂戸橋  
下伊那郡高森町
竹ノ内家住宅  
下伊那郡阿南町
八幡神社 本殿、摂社諏訪神社本殿
下伊那郡下條村
大山田神社 相殿鎮西八郎為朝社本殿、相殿応神天皇社本殿
下伊那郡泰阜村
諏訪社 本殿、若宮八幡宮本殿
下伊那郡大鹿村
松下家住宅 主屋、土蔵
福徳寺本堂  
木曾郡南木曾町
読書発電所施設 発電所、桃介橋、柿其水路橋
林家住宅 主屋、土蔵、文庫蔵、侍門
木曽郡大桑村
定勝寺本堂  
定勝寺庫裏  
定勝寺山門  
白山神社 本殿、境内社熊野神社本殿、境内社伊豆神社本殿、境内社蔵王神社本殿

 

 

一間四方の簡素な小堂

光前寺弁天堂


こうぜんじべんてんどう
駒ヶ根市赤穂
光前寺弁天堂 35.735136, 137.895948
桃山
桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、銅板葺

 

光前寺は駒ケ根の市街地西方の山裾に位置する天台宗の古刹で、武田・羽柴家等の武将の保護を受け、徳川家からは六十石の寺領と十万石の大名格を与えられるなど、隆盛をきわめた寺院です。境内の弁天堂は寛文元年(1661)の建立と考えられており、堂内には室町時代末期の厨子があります。
・一間四方の小堂で簡素な建築
・縁をめぐらし、柱は円柱、正面に格子戸、側回りは落板壁と板戸
・斗栱・木鼻は簡素ではあるが、室町時代の手法を残す
 
アクセス
JR飯田線駒ヶ根駅から3.8kmです。駅からは高低差150mの上りです。
このほか、駒ヶ根駅から、駒ヶ岳ローブウェイ方面行きバスを利用して駒ヶ池で下車するルートもあります。
見学ガイド
弁天堂は三門を過ぎて、すぐ先右手にあります。堂内はやや薄暗いですが、前面の格子越しに厨子も見ることができます。堂内の写真撮影は禁止されています。午前8:30~午後16:30の間は自由に境内に立ち入ることができます。

 

感想メモ
駅からの距離はありますが、往路は駒ヶ岳、帰路は南アルプスを正面に眺めて歩く快適なルートです。春には残雪のアルプスを背景にスイセンの花を楽しむことができそうです。また、4月から11月の間は境内の光苔を見ることができるとのことです。
緑の深い静かな境内に弁天堂はひっそりと佇んでいました。
(2021年3月訪問)

 

参考
文化遺産オンライン、光前寺公式サイト、駒ケ根市公式サイト

 

 

本棟造以前の名主の屋敷

旧竹村家住宅


きゅうたけむらけじゅうたく
駒ヶ根市赤穂
旧竹村家住宅 35.739145, 137.894827
江戸中期
桁行22.9m、梁間11.0m、寄棟造、北面下屋付、茅葺

 

竹村家住宅は駒ケ根市東部の山間の集落にありましたが、現在は市街地西方の光前寺近くに移築保存されています。竹村家は江戸時代には代々名主をつとめた家柄で、住宅は江戸時代中頃の建築であると考えられています。江戸末期になると伊那地方の名主階級の家は、板葺の本棟造に変わり、このような大規模な茅葺の家は造られなくなります。旧竹村家住宅は当地方の江戸中期上層農家の典型として貴重です。
・桁行12間半、梁間5間半の茅葺、寄棟造
・上手(写真左)に座敷など床上部、下手に土間や馬屋を配置する
・座敷部などでは中間の柱を省いて間口を二間以上にしている
 
・しものま前面には、名主格の家だけに許された式台が設けられている
 
・土間(写真手前)の奥にだいどころを配置、その奥、表側(写真左)に接客用のしものまと上座敷、裏側に家族用の「中へや」、「しもへや」、「さんへや」、「おくへや」を配置する
・接客用の部屋と家族用の部屋の境は壁で区切られ、相互の往来は出来ない
・母屋の部分は6尺間隔の方眼状に梁を組み、側回りに1間毎に立てた柱で、その梁の下を支える折置組で、これは柱の上に桁を置きその上に梁をかける京呂組よりも古い方式です。
 
・土間(写真手前)の下手側に、腰壁のある連子を設け、その奥を「とおり」を持った馬屋としている
・この形式の馬屋はこの地方特有のもの
 
・馬屋の柱は掘立柱としている(展示用に根元が掘られている)
・刃先の丸い蛤ちょうな仕上げで、建築年代の古さを示す 
 
アクセス
JR飯田線駒ヶ根駅から4.4kmです。駅からは高低差200mの上りです。途中、光前寺の門前を通ります。光前寺からは600mです。駒ヶ根駅から、駒ヶ岳ローブウェイ方面行きバスを利用して駒ヶ池で下車するルートもあります。
見学ガイド
旧竹村家住宅は駒ヶ根市郷土館に移築されており、有料公開されています。公開時間は、9:00~17:00で、月曜日は休館です。建物の内部も見学することができます。

 

感想メモ
古民家の中でも特に古風で見ごたえがあります。
ちょうど建物の手入れの作業のために軽トラが正面に停められていたので、車が動くまでゆっくり時間をかけて見学することができました。
(2021年3月訪問)

 

参考
駒ヶ根市郷土館パンフレット

 

 

中山道塩尻宿の旅籠

小野家住宅


おのけじゅうたく
塩尻市塩尻町
小野家住宅 主屋 36.103495, 137.975943
江戸末期
桁行15.6m、梁間9.1m、二階建、切妻造段違、南面庇付、桟瓦葺、
北面突出部 桁行7.3m、梁間8.2m、切妻造、北面庇付、鉄板葺
文庫 36.103761, 137.976117
江戸末期
土蔵造、桁行5.5m、梁間3.6m、二階建、切妻造、妻入、鉄板葺
隠居屋 36.103808, 137.976182
江戸末期
土蔵造、桁行7.9m、梁間3.7m、切妻造、鉄板葺

 

小野家は江戸時代「いてうや(銀杏屋)」の屋号で中山道塩尻宿で旅籠を営んでいました。二階の客室は、鶴、松などが建具や壁に描かれ、なかでも「桜の間」は天井にまで極彩色の桜が描かれ、床柱にも枝付きの材が用いられるなど特徴的です。

 


主屋
 
・間口は八間、切妻造、平入、二階建の背面に棟を直角に平屋がつづく
・正面左端に大戸口を開き、その隣約二間を出格子、それより上手は奥行一間の土庇とし、右端は建物の下を潜って庭へ通じる門扉を開く
 
・二階は障子引き違いの外側に縁を付ける
 

 


文庫
 
土蔵造の文庫の右側面
 

 


隠居屋
 
土蔵造の隠居屋の背面
 
アクセス
JR中央本線みどり湖駅下車、北西1.3㎞です。塩尻駅前のレンタサイクルを利用することもできます。塩尻駅からは3.6㎞で緩やかな上りです。
見学ガイド
小野家住宅は非公開ですが、主屋は公道に面しているので、いつでも見ることができます。東側の畑越しに文庫と隠居屋の一部を見ることができます。

 

感想メモ
街道沿いの外観だけでも見ごたえのある建物ですが、ぜひ工夫が凝らされた主屋の内部も見てみたいものです。以前は特別公開されたこともあったようですが、最近はそういった情報を見かけません。
(2020年9月、2023年4月訪問)

 

参考
文化遺産オンライン

 

 

本棟造の豪農の住宅

堀内家住宅


ほりうちけじゅうたく
塩尻市堀ノ内
堀内家住宅 36.107661, 137.968617
江戸後期
桁行18.4m、梁間18.2m、一部二階、切妻造、妻入、南面庇付、板葺、東北面二室及び便所三所附属

 

堀内家住宅は市街地東部の中山道沿いに位置します。堀内家は江戸時代旧堀之内村の名主を勤めた豪農です。建物は十八世紀後半頃の建築で、江戸時代後期の天明年間に現在地に移築されたものと考えられています。
・桁行、梁間とも約十間で、屋根は切妻造、板葺、妻入りの本棟造
・正面の外観は明治時代の改造によるもの
 
アクセス
中央本線みどり湖駅下車、西2.2㎞です。塩尻駅のレンタサイクルを利用することができます。塩尻駅から2.5㎞で、緩やかな上りです
見学ガイド
表庭から外観の見学は常時自由にできます。土間からの屋内の見学は予約制です。

 

感想メモ
門の脇戸が開放されていて、中に解説板が見えたので、門を潜って外観を見学させてもらいました。大変威厳のある建物でした。
(2023年4月訪問)

 

参考
現地解説板

 

 

江戸時代の名主の茅葺民家

小松家住宅


こまつけじゅうたく
塩尻市片丘
小松家住宅 36.133613, 137.980528
江戸中期
桁行15.8m、梁間9.7m、寄棟造、茅葺、東面及び西面庇付、板葺

 

小松家住宅は松本平南東端の田園地帯に位置します。小松家はこの地の名主も勤めた旧家です。住宅は十八世紀初頭までには建築されたと考えられています。
・桁行八間、梁間四間半、寄棟造茅葺で、当地の名主層の農家としては標準的な様式
 
アクセス
JR篠ノ井線広丘駅南東4kmです。塩尻駅のレンタサイクルを利用することができます。塩尻駅から5㎞で、緩やかな上りです。
見学ガイド
小松家住宅の外観は公道から見ることができます。

 

感想メモ
「当面公開中止」の張り紙がありましたが、門や塀などはないので、住宅の外観は公道からよく見ることができました。
このあたりの古民家は、少しいかめしい本棟造のものが多いですが、小松家住宅は昔ながらの茅葺屋根で、何かほっとするような感じでした。
(2023年4月訪問)

 

参考
現地解説板

 

 

突出部のある珍しい平面の本棟造

嶋﨑家住宅


しまざきけじゅうたく
塩尻市片丘
嶋﨑家住宅 36.139936, 137.976394
江戸中期
桁行12.7m、梁間16.1m、切妻造、妻入、鉄板葺、南面及び北面庇附属、石置板葺及び鉄板葺
南面突出部 桁行5.2m、梁間6.1m、入母屋造、板葺

 

嶋﨑家住宅は松本平南東部の田園地帯に位置します。嶋崎家はこの地の名主を務めたと伝える旧家で、その建築については元禄の頃のものであると考えられています。
・建物は南面し、桁行、梁間とも八間、切妻造、妻入で上手東(写真右)から前へ座敷を突出させる
・東側が居間や座敷といった床上部、 西側が馬屋を含んだ土間
・土間は間口表側で半分を占めており、これは年代の古い本棟の特徴の一つ
・本棟造の基本的な部屋割をよく残すが、上座敷が突出するのは珍しい
 
・東面(写真右の板葺きが突出部)
 
アクセス
JR篠ノ井線広丘駅東3kmです。塩尻駅のレンタサイクルを利用することができます。塩尻駅から5.3㎞で、緩やかな上りです。
見学ガイド
嶋﨑家住宅は公道から見ることができます。

 

感想メモ
本棟造の特徴的な棟飾りはありませんでしたが、その方が落ち着いて風格があるように感じました。
(2023年4月訪問)

 

参考
現地解説板

 

 

建設当時我国最大出力の水路式発電所

読書発電所施設


よみかきはつでんしょしせつ
木曾郡南木曾町読書
読書発電所施設 発電所 35.588031, 137.591943
大正
本館及び貯水槽よりなる
本館 鉄筋コンクリート造、建築面積970.6平方メートル、水圧鉄管1組附属
貯水槽 コンクリート造
桃介橋 35.600894, 137.606851
大正
木製補剛吊橋、橋長247.8m、幅員3.0m、中央階段及びアンカーレイジ9基を含む
柿其水路橋 35.640170, 137.609228
大正
鉄筋コンクリート造二連アーチ橋、橋長142.5m、両側鉄筋コンクリート造側径間付

 

読書発電所施設は、岐阜県境に近い木曽川右岸に位置します。大正10年から同12年にかけて、大同電力(現在の関西電力) によって当時我国最大出力の水路式発電所施設として建設されたものです。大同電力社長福沢桃介が、一河川一会社主義を主張して、木曽川に相次いで建設した発電施設のひとつです。

 


発電所
 
・鉄筋コンクリート造で煉瓦壁・陸屋根構造
・一室の大空間とする主屋と北に接続する2階建の附属屋からなる
・半円形の窓や屋上に突きだした明かり窓の構成など近代建築を意識した意匠
 

 


桃介橋(ももすけばし)
 
・発電所建設の資材運搬路として架けたもので、大正11年に竣工
・主塔3基を有する4径間の木製補剛吊橋で、全長247m、幅2.7m
・主塔から斜吊索が張られており、19世紀末のアメリカの吊り橋によく似ている
 

 


柿其水路橋
 
・発電所への導水路で、柿其川を渡る鉄筋コンクリート造の水路橋
・全長142.4メートルで、現存する戦前の水路橋の中では最大級
・中央部は二連アーチ橋、両端部は桁橋
 
アクセス
発電所はJR中央線南木曽駅から南に2.5kmです。南木曽駅から妻籠宿方面行のバスを利用することもできます。
桃介橋は、JR中央線南木曽駅から北に600mです。
柿其水路橋はJR中央線十二兼駅から徒歩15分です。駅前の旧中山道を左に進み、最初の橋で木曽川を渡って隠れ里街道を柿其渓谷方面に進むと、すぐに水路橋が見えてきます。
見学ガイド
発電所は通常非公開ですが、木曽川の対岸から見ることができます。
桃介橋は、通行可能で常時見学することができます。中央線の車内からも見ることもできます。
柿其水路橋もいつでも自由に見学することができます。上流側の旧道の橋などから間近に見ることができます。また、上流側の高台にある運動広場からはフェンス越しに水路橋の上面を見ることもできます。視点場が南西方向の上流側に多いので、午後の方が日の当たりが良くなります。

 

感想メモ
桃介橋は非常に規模が大きく、構造的にも造形的にも見ごたえがありました。
(2019年8月、2020年12月訪問)

 

参考
南木曽町観光協会公式サイト