昨年秋に植樹した「源平桃」の木
支柱ばかりが目立つどころか、まるで支柱だけが立ててあるかのような、細く寂しくか弱い感じであった。
しかしここへきてようやくつぼみが膨らみ始めた
源平合戦のように紅白の花が咲くことに由来するという。
この桃の木も娘も強く大きく育ってほしいものだ。
予報よりも本格的な雪となった昨日。
聞けば、大雪警報が出たのは11年ぶりだとか
目が覚めてみれば我が家周辺もすっかり雪化粧。
「雪、しゅんごいんだけど!」
寝ぼけ眼だった2歳の娘が目を丸くしていた
本格的な雪を見たのは初めての娘。
今日は仕事が休みなので、娘に雪を触ってみたり踏みしめる感触とか体験させて一緒に雪だるまをこしらえようと屋上へ出てみようとしたものの、娘は雪を怖がって触ることもできず、パパが触っているのを見てるだけでいいと言う。
結局、窓を少し開けて私が雪を丸めて投げるのを見て喜んでいた。
屋上に積もった雪で娘とキャッキャと雪合戦や雪だるま・・・なんて考えていたんだけどなぁ・・・また来年かな?・・・でも来年はこんなに雪降るかな?・・・・ちょっと残念
2月7日(火)~8日(水)
宅建協会役員改選旅行で星野リゾート「リゾナーレ小淵沢」へ
日頃忙しい本業の間を縫ってボランティア的に役員を務るメンバーで、慰労会を行おうというものだが、当然仕事を終えてからの集合のため、現地に着いた時はもう日もどっぷり暮れた午後7時を回っていた。
時間が時間なのでスパなどは後回し。リゾナーレの美しいライティングを楽しむ余裕もなくレストランへ急行
あわただしくも楽しい宴会がスタートした。
ここは周辺になーんにもないところなので、2次会をカラオケ!ってわけにもいかず、全員お部屋へ集合し、遅い2次会がスタート。
「そろそろスパ行かないと23時で終わっちゃうよ」
「スパまで遠いらしいね。」
「徒歩8分くらいだって。」
「8分も!?外気温はマイナスらしいよ・・・。」
「うわ、湯冷めしちゃうー」
「内風呂でいいよね。」
ってな感じで全員スパも行かず。
すごーく楽しかったが、美しいリゾナーレに行ったのに、レストランと部屋で食べて飲んで寝てチェックアウト。集合が遅くなったからしょうがないかな・・・と残念に思っていたが、
チェックアウト後の観光で周った諏訪湖の「御神渡り」。
晴天のもと、朝日を浴びてひんやりした風を顔に感じながら入った「かっぱ温泉」なんて最高。
「峠の釜めし」
「信州そば」
どれもすばらしいものばかり。
しっかり観光も楽しめた。
幹事さんが少ない時間を有効にと一生懸命考えてくれたんだろうな・・。
幹事様、運転手してくれた方に感謝。
そしてこうした仲間と仕事ができることに感謝
先日、所用を済ませたついでに、たまには丸ビルにある「モナリザ」で贅沢ランチをしようと思い立ったものの予約を入れると、残念なことにその日はランチタイム貸し切りとの返事
ならば、寒いし、人形町「かねまん」でフグだ、ひれ酒だ!って思ったら、ここは当日都合によりランチ休業
えーい!銀座の「近藤」で天ぷらだー、熱燗だって電話するもそんな人気店、案の定予約でいっぱい
さんざんフラれる日だ。
寒いから早くどっか入りたいが、せっかく外出したのだからいいもん食いたい!
そもそも、もとをたどればは当初の目的であるモナリザが平日のランチタイムに貸し切りになっていたことが事の始まり。
なんて愚痴ってる間に時間はすでに1時15分。時間だけが過ぎていく。
あー、俺は何が食べたいんだー。もーわからんー。って感じで銀ブラしていたら、銀座で聞こえてくるのは中国語ばっかり。目に飛び込むのは大型観光バス。
あ、今日は旧正月。中国の富裕層がこの大型連休に大挙して買物に訪れていることに気がついた
ほんとにここは日本なのか?まったく日本語が聞こえないぞ。あ・・・もしやモナリザを貸し切ったのも中国人富裕層団体客じゃないのかちっくしょー中国マネー!それにしても中国経済に陰りが見えたとはいえ、すごい数だなこりゃ。
そんなこんなですでに1時半!ランチは大体14時がラストオーダーだろうからヤバいぞこりゃ
ってところに飛び込んだのが「たらふく銀座本店」。ここでフグをつまみにひれ酒をグイっとやることにした。
ラストオーダーが迫ってたので写真も撮らず・・・
その後、ピエールマルコリーニでアニバーサリーパフェをいただいた。ようやくほっと一息
「子供」が「子ども」と表記されるようになったのはいつの頃からだろうか・・・。
「供」には「お供をする」というような見下す意味合いがあるから差別用語となるからというのが理由らしいが。
前に「子どものことを子供と表記するような人に育児を語る資格なんてありません!」なんてえらい勢いの論調があったけど、なんとくだらないことかと思ってしまった。
子供を見下しているかどうか否か、漢字の表現・印象だけをとらえ、それを引っ張り出して子供を育てる資格を問うなんてナンセンス。要は人の心。そんなことで判断されるものじゃない
「子供」でいいじゃないか。
そしてさらに悲しきは、そういったくだらん論調をかますマイノリティ(で、あってほしい・・・)にも迎合しなければならない世の中だ
なんでも、「児童」という言葉も「童」に「しもべ」やら「手下」という意味がある様で、もしかすると今後は「児どう」と表記されるようになるかも知れないという話も・・・。
モノにあふれ便利にはなったけど、面倒な時代になったものだ。
もしかしたら、そう感じる私みたいな人間が時代から取り残されているのだろうか・・・。