狩猟用の武器
アシューリアン石器が、大型薄片を再加工する事で作られた、一種の大型の剥片石器だった点は示唆的です。最初の石器であるオルドワン石器も、剝片石器が主体でした。さらに、アシューリアン石器と入れ替わる様に登場するネアンデルタール人のムスティリアン石器も、ルヴァロワ技法で石核から剥離した一種の剝片石器です。つまり、石器製作の主流は、オルドワン石器の誕生時から一貫して剝片石器だったのです。
図54)ルヴァロワ技法で作られた尖頭器と石核( 25~5万年前イスラエル、タブン洞窟)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
では何故、剝片石器なのでしょうか。それは、石核からの剥離によって鋭いエッジが得られる為です。そして剥片の持つ鋭い刃が、獣皮や肉を切り裂くのに有効だった訳です。つまり石器は、人類の肉食と狩猟生活に不可欠な道具として誕生し、発展して来たのです。
これらの点を総合的に考え合わせると、ハンドアックスは狩猟の為の武器だったとするのが最も合理的と思えます。進化の過程で牙を失った人類にとって、集団で協力して獲物を追い詰め、最後に息の根を止め仕留めるには狩猟用の武器が絶対に必要です。狩猟を始めたばかりの初期の人類は、チンパンジーと同様に捕え易い小型動物を狙ったと思われます。その場合は、小石を投げ付けたり、棍棒で殴り付けるなど、身近なものを利用しても間に合ったでしょう。しかし、反撃される可能性も有る中・大型動物が相手では、一撃で致命傷を与えられる様な、強力な狩猟用の武器が必要になったはずです。こうして、オルドワンの剥片石器で獣皮や肉を切り裂く事に習熟していた初期人類のホモ・エレクトスは、打ち欠く石核を徐々に大きくする事で大型剥片石器の製作に成功し、狩猟用の武器として使い始めたのだと思うのです。
アシュール文化の後を継ぐムスティエ文化では、ネアンデルタール人の製作したムスティリアン尖頭器が槍の穂先に使われていました。この槍を使って、アカシカ・トナカイ・マンモスなどの大型動物の狩猟をしていた訳です。恐らく、ムスティリアン尖頭器は、この様な大型動物を狩る必要から発明されたのでしょう。マンモスやトナカイなどの巨大な獲物に止めを刺すには、槍で急所を突き刺すのが一番有効だったのでは無いでしょうか。
そして、30~20万年前のムスティリアン尖頭器の登場と入れ替わる様に、約160万年もの間作り続けられたハンドアックスは漸く姿を消して行くのです。これは、尖頭器の付いた槍が新たに登場した事でハンドアックスは役目を終えた、つまり狩猟用の武器がハンドアックスから槍に交代した結果と考えれば容易に理解できます。反対に、ハンドアックスが狩猟用の武器ではないとすると、人類が脳を急速に進化させた約160万年もの期間、狩猟用の武器が存在しなかった事になってしまいます。これは人類がこの間、狩猟をしていなかったと言うのと同じ事です。しかし、約200万年前の猿人からヒトへの身体の劇的な進化は、狩猟と肉食を抜きにしては説明出来ません。そして、30~20万年前になって尖頭器の付いた槍という洗練された武器が発明され、突如として人類はマンモスの様な巨大動物の狩猟を始めたと言う可笑しな話になってしまいます。
専用の狩猟用武器を必要としなかった小型動物の狩りから、徐々に大型の獲物の狩猟に習熟して行き、ネアンデルタール人の段階に至ってマンモスを狩るまでに狩猟技術が進歩した。そして、狩猟対象となる獲物に合わせて、狩猟用の武器も小石からハンドアックス、槍へと発展して来たと考える方が合理的で自然だと思うのです。
狩猟と死肉あさり
人類学者がハンドアックスを武器と考えるのに否定的なのは、彼等が初期人類が狩猟者(ハンター)ではなく、死肉食者(スカベンジャー)に過ぎなかったと言う偏見に捉われている為です。約260万年前のオルドワン石器の発見と、石器によるカットマークの付いた動物の骨が発見から、初期のホモ属が肉食を始めていた事は間違い有りません。今日でも、タンザニアで暮らす狩猟採集民のハザ族が、肉を食べた後に骨に付けたナイフの傷跡は、200万年前のホモ属が石器で付けた骨のカットマークとそっくりだと言います。また、ハザ族が骨髄を食べる為に割った骨も、200万年前の遺跡から発掘された骨の傷と見分けが付かないとされます。肉食獣では骨を横に噛み砕く様に割るのに対し、ヒトの食べたものでは縦に割れていると言うのです。
図55)タンザニアの狩猟採集民ハザ族
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
このように、初期ホモ属の肉食そのものは否定しようが無いのですが、その肉を如何にして手に入れていたかについては、長らく論争が続けられて来ました。つまり、狩猟によるか死肉あさりかです。
狩猟説に関しては、南アフリカのマカパン洞窟から猿人化石と共に大量の動物の骨が発掘された事から、早くも1949年にはアウストラロピテクス・アフリカヌスの発見で有名なレイモンド・ダートが発表しています。猿人達は、動物の大腿骨や下顎骨を武器・道具として使い(骨歯角文化)、主にカモシカ類などを狩猟していた殺し屋で首狩り族(首を狩られた様な打撃痕のあるヒヒの頭骨だけが出土していた為)の肉食霊長類だったと主張したのです。しかしこれ以降、狩猟説は繰り返し批判に曝される事になります。1960年代から70年代にかけては、協力的な狩猟がヒトおよび人間性の進化の原動力になったとする狩猟仮説が有力になります。ところが80年代になると、ヒトの祖先は狩猟者ではなく死肉食者に過ぎなかったと見られる様になって来るのです。そして現在は、死肉あさりこそ初期ホモ属の最も重要な動物性食料獲得の手段だったと考えられるに至っています。
初期のホモが肉食をしていた事は、石器によるカットマークの付いた動物の化石骨の発見によって認められる様になった訳ですが、その肉は狩猟によって獲得したものではなく、他の捕食者が殺して食べた後に放棄された死体から剥ぎ取ったもので、我々の祖先は死肉あさりの哀れな腐肉食者に過ぎなかったと言うのです。オルドワンの様な原始的な石器と小さな脳しか持たない初期人類には、狩猟の様な高等な行為が出来たはずが無いという訳です。
確かにオルドワン遺跡では、肉食動物の歯形が幾つも付いたレイヨウなどの四肢の骨幹破片が見つかっています。一般に肉食動物は上腕骨や大腿骨など肉や脂肪が豊富な四肢骨から取り外すとされますが、オルドワン遺跡からはこうした栄養の豊富な骨が多く発掘され、しばしばホモ属の方が最初に動物の死体に手を付けています。しかも、肉を切り取ったカットマークは、こうした最も栄養の有る四肢骨に付いている場合が多いと言います。即ち、初期のホモ属は狩猟をしていたか、少なくとも獲物を倒した肉食獣が死体を解体する前に、彼等を追い払って肉と骨を手に入れていた事になるはずです。
図55)優秀なハンターのブチハイエナ
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
もともと肉食動物でも、狩猟者と死肉食者のどちらかに特化しているものはむしろ稀で、状況に応じて狩猟もすれば死肉あさりもすると言うのが普通です。実際、狩猟だけで死肉あさりはしないといった肉食獣はほとんどいないと言われます。有能なハンターと思われている百獣の王ライオンも、現実には自ら狩猟するよりも多くの獲物を他の捕食者から横取りしています。反対に「サバンナの掃除人」とも言われ、死肉を漁るイメージが強い嫌われ者のハイエナですが、実はヌーやシマウマの様な大型の草食獣も狩る熟練したハンターです。なかでもブチハイエナは獲物の50~90%を狩猟で獲得しており、むしろ多くの地域でライオンの方がハイエナの獲物を横取りしているのが実態なのです。タンザニアのセレンゲティ平原では、ブチハイエナの捕らえる獲物の数は肉食動物の中でも最多で、その南西部に連なるンゴロンゴロ自然保護区のライオンは、主にハイエナから死体を奪う事で食料を得ていると言われます。
図56)ヌーを食べるハゲワシ(マサイマラ国立公園)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
また死肉あさり自体も、そう簡単では有りません。完全に死肉食に依存したものにハゲワシがいますが、彼らは上昇気流をうまく利用する事で、ほとんど羽ばたく必要もなく一日中大空を滑空して動物の死骸を探しています。自然死する動物も多くいますが、普通こうした死骸を最初に発見するのはハゲワシで、見つけると獲物に向かって一直線に急降下して行きます。そして、互いに仲間の動きを見張っているハゲワシは、この急降下に気づくと他の連中も一斉に獲物めがけて下降して死体に群がる事になるのです。ハイエナやライオンなど、死肉を狙っている他の肉食動物もこうしたハゲワシの動きに注意しており、それを発見すると出掛けてハゲワシから死骸を横取りする事も良く有ります。我々の遠い祖先も、同じ様に動物の死骸を探していたでしょうが、第一発見者でない限り、こうした競合する肉食動物を追い払わなければ死肉を獲得する事は出来なかったはずです。死肉食に特化すれば、何の苦労なく容易に肉にありつけるという簡単な話ではないのです。
図56)ヒヒからブッシュバック(カモシカ)を奪うチンパンジー(ゴンベ ストリーム国立公園)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
またチンパンジーですら、集団で小型のサルや有蹄類を追い詰めて狩りをする事は先にも触れました。特に、樹高の非常に高い熱帯雨林のコートジボアールのタイの森では、狩猟の困難さから92%の狩りが集団で行われ、63%で個体間の協力が見られ、さらには貢献度に応じた肉の分配さえ観察されると言います(※狩猟の容易な樹高の低い森林のゴンベでは協力は必要で無く、報償システムも発達していない)。しかもチンパンジーの狩猟や肉食は、稀にしか起こらない例外的行動という訳では無く、我々の想像以上の高頻度で狩りをしている事が分かっています。チンパンジーの主食は果実で、採食時間の60~70%を果実食に費やしていますが、肉食もかなりの高頻度で行っており、タンザニアの疎開林のマハレやゴンベでは数日に一回の割で狩猟が観察されています。ゴンベでは一年間に平均10kgの肉を食べ、それは食物全体の3~5%を占め、多い個体では年間50kgにもなると言います。チンパンジー達は、果実食で不足するタンパク質を肉食で積極的に補っている訳で、肉食は食生活の中で不可欠の一定の地位を占めているのです。
このように、チンパンジーでさえ日常的に協力して狩猟を行っていると言うのに、チンパンジーよりも大きな脳を持つ初期のホモ属に、狩猟の能力が無かったと強弁するのは余りに不合理です。我々ヒトの祖先は、チンパンジーよりも劣っていたとでも言いたいのでしょうか。初期のホモ属が死肉食をしていた事は間違いないでしょう。しかし、それと同時に狩猟をしていた事もほぼ間違いが無いのです。
ネアンデルタール人の場合もそうですが、何故か人類学者は我々の祖先の能力を低く見ようとする傾向が有ります。初期の人類が、類人猿を思わせる原始的な顔付き・頭骨をしていたからなのでしょうか。あるいは、彼等を見下して優越感に浸りたいのでしょうか。どうも、欧米の人類学者の態度とその歴史には、白人至上主義による人種差別意識や優生学的な思い上がりと偏見に満ちた蔑視の臭いが漂っている感じがするのです。
初期ホモ属と石器製作
人類学者の偏見とは反対に、誕生したばかりの初期のホモ属が、日常的に狩猟をするチンパンジーより各段に優れた能力を持っていた事を示す証拠が、彼等の高度な石器製作技術です。
最古のオルドワン石器は、エチオピアのレディ・ゲラル遺跡やゴナ遺跡で発見された約260万年前のものでした。似た石器はエチオピアのハダール、トゥルカナ湖北のオモ、同西のロカラレイ(ケニア北部)からも240~230万年前のものが見つかっています。これらの大部分は、小さな火山礫から作られた5~10cm程度の石核石器(礫石器)と剥片石器ですが、鋭い刃を持つ剥片石器こそが石器製作の目的だった事は以前に指摘した通りです。肉食の為に、獣皮を切り裂き、死体を解体して骨から肉をそぎ取るには、鋭い刃を持つ剥片石器が非常に有効だった訳です。実際、ゴナ、クービ・フォラ、オルドゥヴァイなどの遺跡では、剥片と石核がクラスター状に蓄積されており、条件が良ければこの石器群にレイヨウ・シマウマ・イノシシなどの動物骨片が一緒に発掘されます。
ところが、石核から鋭い刃を持つ剥片を打ち剥がすのは、実は簡単な事では無いのです。皆さんが河原に行ってむやみに石を打合せても、小さな欠片ばかりで望む様な剥片は得られないでしょう。石核に打撃を加える位置と角度を、正確にコントロールしないと思うような剥片は出来ません。オルドワンの様な原始的な石器でも、その製作には高度な技術が必要とされ、我々現代人でも専門的な訓練を受けない限り、鋭い刃を持つ剥片石器を作る事は容易ではないのです。
オルドワンの剥片石器の制作には、貝殻状劈開の原理が使われていると言います。剥片は石核の表面ではなく打面の裏から打ち欠かれますが、鋭い貝殻状の剥片を得るには、90度以下の鋭い角を持つ石核の端から約1cmの所に、斜めにかすめる様に打撃を加えなければなりません。このさい手首のスナップを利かせて、ハンマーの石を石核に投付ける様に正確に打ち当てる必要があります。そして、打撃は石核の出っ張りや角など、盛り上がった部分を介して伝達されなければならないのです。
オルドワンは自然石と区別が困難な原始的な石器ですが、剥片を作る時に石核の端に斜めに衝撃を加える事で、割れた剥片の衝撃面に接する内側に打瘤と呼ばれる小さな膨らみが生じます。そして、これが人工遺物である証拠とされるのです。実験的に石器を制作している考古学者によると、こうした剥片ができる仕組みは直感的にすぐに分かるといった簡単なものではないと言います。オルドワン石器の制作には、その単純な形からは想像も出来ない程、複雑で高度な技術が使われていたのです。
つまり剝片石器は、原石を無闇やたらに打ち付けている間に偶然に出来たと言った単純なものでは無いのです。恐らく、最初はたまたま鋭い刃を持つ自然石を獣皮や肉を切るのに利用したのでしょう。そして、石器の有効性に気付いた初期のホモ属は、自らの手で鋭い刃を持つ剥片を作るにはどうすれば良いか、長い試行錯誤と努力の末に、やっとこの独創的な石器製作技術を身に付ける事に成功したのです。これは、鋭い刃を得るという明確な目標を持ち、努力と英知を重ね集中するという、文字通り人間的な知性の勝利だったのです。そして、苦労の末に獲得したこの高度な石器製作技術を、ホモ属は以後約230万年にも亘って親から子へと代々受け継いで行く事になるのです。
オルドワンの様な小さな剥片石器の製作ですら容易ではない訳ですが、175万年前には我らが祖先のホモ・エレクトスは、巨大な原石から20cmを超える大型薄片を剥がす事に成功します。そして、大型薄片を加工してアーモンド型のハンドアックスを作製するという、画期的な技術革新を成し遂げたのです。この技術も、以後約160万年もの長期間にわたって使い続けられる事になります。この様に、誕生したばかりの初期のホモ属は、石器の発明とその高度な製作技術に、素晴らしい才能と能力を発揮して来たのです。
ところで、チンパンジーも石器を使う事が知られています。西アフリカ・ギニアのボッソウのチンパンジーは、一組の石をハンマーと台石にして、硬いアブラヤシの種を叩き割って食糧にしているのです。この台石のアブラヤシの種を載せる部分は凹みになっており、チンパンジーはいつも使う好みの台石の場所まで、わざわざ種を持って割りにやって来るのです。
図57)シンボルを使って会話するボノボ(ピグミーチンパンジー)のカンジ
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
この様に、チンパンジーも石器らしきものを使っている訳ですが、チンパンジーにはオルドワンの様な剥片石器を作る能力が無い事が証明されています。実は、チンパンジーの石器製作能力を調べる実験が行われているのです。シンボルを使った複雑な英文を理解できる事で有名になった、カンジと名付けられた雄のボノボ(ピグミーチンパンジー)に、数年間に渡ってオルドワン石器の制作を教える実験が行われたのです。ところが、この人間と会話できる天才チンパンジーのカンジは、石器の使用方法も制作方法も教えられて知っていたにも拘わらず、オルドワンに匹敵する剥片石器を作る事はとうとう出来なかったのです。最後にはカンジは、石核をコンクリートの床に投付けて石を割るようになりましたが、作った剥片は小さなものばかりで、自然に割れて出来たものと変わりが無かったのです。
現代人でも、手本を示されても、オルドワン石器でさえ作る事は容易ではありません。ところが、我々の祖先は誰に教えられた訳でも無いのに、石器が動物の獣皮や肉を切るのに非常に有効である事、そして如何にすれば石核から鋭い剥片が得られるかを発見し、その技巧を子孫に代々伝えて行く事に成功しているのです。しかも、初期の石器製作者達でさえ材料となる石を選別し、石材も2~3km以上も離れた場所から調達して来ていたと言います。こうした事が可能だったのは、260万年前の初期のホモ属が大きく変化した環境の中で生きていく為に、肉食に依存する必要に迫られた事が背景に有ると考えられます。植物食から肉食に依存すると言う新たな生態系の地位(ニッチ)に適応する為に、恐らく様々な試行錯誤と苦労をして、石器という画期的な道具を発明したのです。高度な石器製作技術をゼロから開発できる程才能に恵まれていた初期のホモ属が、その肉を得る為には放置された動物の死体を探すだけで、目の前にいる生きた獲物には見向きもせず、狩猟する努力を全くしなかったと言うのは余りにも不自然です。肉食獣の食べ残しや死骸を探すと同時に、生きた獲物を狩る機会も常に窺っていたと考える方がはるかに合理的なはずです。
(つづく)