幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。



『方丈記』



 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

シグナル 『20歳のめぐり逢い』

 

 

 

 

昨日は、弟が来てくれた。

 

 

いつものように、畑仕事をするためである。

 

 

僕が今の身体で出来ることには、どうしても限界がある。

 

 

畑仕事を手伝おうと思っても、身体中が痛い。

 

 

思うように身体を動かすことも出来ない。

 

 

そんな僕が畑に出れば、弟の手助けになるどころか、かえっ

 

 

て足手まといになってしまう。

 

 

だから、僕に出来ることは本当に少ない。

 

 

弟が毎週のように食べているインスタントラーメンを作って

 

 

あげる。

 

 

せいぜい、それくらいだ。

 

 

でも、それでもいいと思っている。

 

 

弟が畑で汗を流している間、僕は家の中でラーメンを作る。

 

 

「いつも畑仕事をしてくれてありがとう」

 

 

そんな気持ちを込めて作る。

 

 

インスタントラーメンだから、たいした料理ではない。

 

 

それでも、何もしないよりはいい。

 

 

弟が来てくれることは、僕にとって本当にありがたいこと

 

 

なのだ。

 

 

今の僕には、弟のように身体を使って畑仕事をすることは

 

 

出来ない。

 

 

昔だったら、もう少し何か出来たのかもしれない。

 

 

けれど、今は違う。

 

 

身体中が痛い。

 

 

そして最近は、狭心症の軽い発作も何度か起きている。

 

 

発作が起きると、僕は処方されているミオコールスプレー

 

 

を舌の下に噴霧して、少し安静にする。

 

 

その間は、何かをするどころではない。

 

 

身体を休ませるしかない。

 

 

以前なら主治医との約束で必ずERに救急搬送して貰ってい

 

 

ました。

 

 

ところが――。

 

 

なぜか、そういう時に限って母が部屋まで来る。

 

 

「これをやってほしい」

 

 

「これをして」

 

 

と、自分の用事を僕に頼んでくる。

 

 

母には悪気はないのだと思う。

 

 

いつも僕が母のことをやっているから、頼めば僕がやって

 

 

くれると思っているのだろう。

 

 

だから僕も、つい普段通りに動こうとしてしまう。

 

 

でも、発作が起きている時だけは、さすがに無理だ。

 

 

「今、発作が起きているから、すぐには無理だよ」

 

 

そう言うと、母は少し黙る。

 

 

その沈黙の中に、母なりの心配があるのだと思う。

 

 

たぶん母も、「大丈夫なの?」と思っているのだろう。

 

 

でも、僕は少し休めば、結局また母のところへ行く。

 

 

自分の身体が痛くても、発作が少し落ち着けば、母の用事を

 

 

済ませる。

 

 

これが今の僕の日常なのだ。

 

 

母のことをやらなければならない。

 

 

弟は畑仕事をしてくれている。

 

 

そして僕は、家の中で出来ることをする。

 

 

それぞれが、それぞれの立場でやれることをやっている。

 

 

ただ、時々思う。

 

 

僕はいつまで、こういう生活を続けられるのだろうか、と。

 

 

身体は以前のようには動かない。

 

 

病院にも通っている。

 

 

薬も飲んでいる。

 

 

そして狭心症の発作まで起きる。

 

 

そんな時、どうしても「自分の人生」というものを考えて

 

 

しまう。

 

 

僕ももう、若くはない。

 

 

「何が何でも長生きしたい」という年齢でもない。

 

 

もちろん、生きることを諦めているわけではない。

 

 

今日もこうして生きているし、明日も普通に目を覚ましたい

 

 

と思っている。

 

 

ただ、心の奥底には、ずっと忘れることのできない二人が

 

 

いる。

 

 

美玖と、僕の婚約者だ。

 

 

僕には、二人と一緒に過ごすはずだった人生があった。

 

 

でも、それは途中で途切れてしまった。

 

 

だから時々、「もし、いつか僕の人生が終わる時が来たなら

 

 

その先では「二人に会えるのだろうか」

 

 

そんなことを考えることがある。

 

 

僕にとって美玖と婚約者は、過去の思い出というだけでは

 

 

ない。

 

 

今でも心の中にいる大切な存在だ。

 

 

だから、正直に言えば、

 

 

「いつか早く二人のところへ行って、三人で暮らせたらいい

 

 

のにな」そんな気持ちになることもある。

 

 

これは、今すぐ何かをしようという話ではない。

 

 

ただ、長い人生を生きてきた僕の心の中にある、偽らざる

 

 

気持ちなのだ。

 

 

そして母のことを考える。

 

 

もし僕が先にいなくなったら、母はどうなるのだろう。

 

 

そんなことも考える。

 

 

でも、その時には弟がいる。

 

 

僕が残したものが少しでも役に立つなら、それを使って母を

 

 

施設に入れるなり、弟が何とかしてくれるだろう。

 

 

だから、そのことについては、今の僕は以前ほど心配して

 

 

いない。

 

 

母にとっても、僕より弟の方が好きなのではないかと思う

 

 

ことがある。

 

 

兄弟なのだから、それぞれ母との関係が違って当然だ。

 

 

僕が母の面倒を見ているからといって、母の気持ちまで僕の

 

 

思い通りになるわけではない。

 

 

それでも、ここまで母のそばにいられたことには意味があっ

 

 

たと思っている。

 

 

母が僕を必要としている間は、出来ることをする。

 

 

発作が起きた時には、

 

 

「今は無理だよ」と伝える。

 

 

少し休んで、身体が落ち着いたら、また母の用事をする。

 

 

それでいいのだと思う。

 

 

そして弟が来てくれたら、僕はラーメンを作る。

 

 

弟が畑仕事をしている姿を見ながら、

 

 

「ありがとう」と思う。

 

 

僕には出来ないことを、弟がやってくれている。

 

 

弟には弟の役割があり、僕には僕の役割がある。

 

 

たとえ僕の役割が、毎週インスタントラーメンを作ること

 

 

くらいしかなくても、それだって家族の中では一つの役割

 

 

なのだと思う。

 

 

僕は、自分の身体が以前のように動かないことを悔しく思う

 

 

時がある。

 

 

弟の手伝いが出来ないことを申し訳なく思う時もある。

 

 

母の用事をすぐに出来ない自分を情けなく感じることも

 

 

ある。

 

 

それでも、出来ないものは出来ない。

 

 

無理をして倒れてしまえば、それこそ家族に迷惑を掛ける。

 

 

だから、発作が起きた時くらいは休む。

 

 

そして、落ち着いたら出来ることをする。

 

 

それが今の僕に出来る、精一杯の生き方なのだろう。

 

 

「長生きしたいのか」

 

 

と聞かれたら、今の僕には簡単には答えられない。

 

 

生きている以上、明日も生きていたいと思う。

 

 

母がいる間は、母のそばにもいたい。

 

 

弟にも、まだラーメンを作ってやりたい。

 

 

けれど、心の奥には、美玖と婚約者への強い思いが残って

 

 

いる。

 

 

いつか人生を終える時が来たなら、その時には二人に会い

 

 

たい。

 

 

そんな思いを抱えながら、僕は今日も生きている。

 

 

そして、明日もまた生きる。

 

 

母の薬を確認し、必要なら病院へ行く。

 

 

自分の身体にも気を配る。

 

 

弟が来れば、ラーメンを作る。

 

 

そして、出来ることを出来る範囲でやる。

 

 

それでいい。

 

 

僕の人生は、決して思い描いていた通りにはならなかった。

 

 

失ったものもたくさんある。

 

 

今でも胸の中に残っている後悔もある。

 

 

それでも、こうして家族と暮らし、弟が畑を耕し、僕がラー

 

 

メンを作る。

 

 

そんな何気ない一日にも、人生はちゃんと残っている。

 

 

だから今日も、出来ることを一つずつやっていこうと思う。

 

 

いつか来るその日までは。

 

 

そして、もし本当にその先に美玖と婚約者がいるのなら――。

 

 

その時は、三人でゆっくり話をしたい。

 

 

僕がこれまで歩いてきた人生のことを。

 

 

母のことを。

 

 

弟のことを。

 

 

そして、二人に会えなかった長い年月のことを。

 

 

それまでは、もう少しだけ、この世界で頑張ってみよう。

 

 

弟にラーメンを作りながら。

 

 

母のそばにいながら。

 

 

そして、自分の身体と相談しながら。

 

 

それが、今の僕に出来ることなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May Be The Best Year Of My Life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

たしかなこと 平原綾香

 

 

 

僕が此所の実家に帰って来た時、僕の身体は本当にガリガリ

 

 

に痩せていました。

 

 

今の自分の姿からは想像できないくらいです。

 

 

あの頃は、いろいろなことが重なって、食べることさえ十分

 

 

に出来ていなかったのだと思います。

 

 

そんな僕にとって、実家に帰って来て何より懐かしかった

 

 

ものの一つが、母の作る料理でした。

 

 

母が作ってくれたご飯を食べる。

 

 

それが何とも言えず嬉しかった。

 

 

「やっぱり母親の料理はいいな」

 

 

そんな気持ちもあったのでしょう。

 

 

僕は食べました。

 

 

それこそ、ガツガツと食べました。

 

 

痩せていた身体を元に戻したいという気持ちもあったと思

 

 

います。

 

 

しかし、人間というのは不思議なもので、最初は「少し太ら

 

 

なければ」と思っていたものが、いつの間にか「太り過ぎ」

 

 

に変わってしまうことがあります。

 

 

僕の場合も、まさにそうでした。

 

 

その後は、飴を舐めたり、お菓子を食べたりすることも増え

 

 

ていきました。

 

 

気が付けば、帰って来た頃から15キロ以上も体重が増えて

 

 

 

いました。

 

 

15キロです。

 

 

改めて数字にしてみると、かなりのものです。

 

 

顔だけを見ると、以前とそれほど変わっていないように見え

 

 

るかもしれません。

 

 

自分でも鏡を見ると、「そんなに太ったかな」と思うことが

 

 

あります。

 

 

ところが、問題はお腹です。

 

 

お腹の脂肪が、とんでもないことになっています。

 

 

以前の僕のお腹とは、まるで別物です。

 

 

これは何とかしなければいけない。

 

 

そう思うようになりました。

 

 

今、僕は少しずつ減量に挑んでいます。

 

 

ご飯の量を減らしています。

 

 

そして、飴やお菓子を食べる量も減らしています。

 

 

本当のことを言えば、飴もお菓子も完全に止めた方がいいの

 

 

かもしれません。

 

 

特にお菓子については、僕自身も「もう止めよう」と決めま

 

 

した。

 

 

これからは、なるべく食べないようにするつもりです。

 

 

一方で、飴については、完全にゼロにするのではなく、口寂

 

 

しい時にほんの少しだけ舐める程度にしようと思っています。

 

 

今までのように何個も何個も食べるのではなく、「少しだけ」

 

 

という自分なりのルールを作る。

 

 

それなら何とか続けられるのではないかと思っています。

 

 

飴を減らす理由は、単純に痩せたいからだけではありません。

 

 

僕には糖尿病のこともあります。

 

 

以前、糖尿病になったことがありますから、また同じことを

 

 

繰り返さないように気を付けなければなりません。

 

 

「大丈夫だろう」

 

 

そう思って何も考えずに食べ続けるのは、もう止めなければ

 

 

いけないと思っています。

 

 

もちろん、ここまで太ってしまった原因を考えれば、僕自身

 

 

の節制のなさもあります。

 

 

これは認めなければいけません。

 

 

目の前に飴があれば舐める。

 

 

お菓子があれば食べる。

 

 

そして、「今日はこれくらいならいいだろう」と自分に言い

 

 

訳をする。

 

 

そんなことを繰り返しているうちに、15キロ以上も体重が

 

 

増えてしまったのです。

 

 

だから、自分自身を反省する必要はあります。

 

 

でも、それだけではないとも思っています。

 

 

僕にはストレスがあります。

 

 

それも、かなり大きなストレスです。

 

 

毎日の母の介護です。

 

 

母は、今では自分で出来ることがかなり限られています。

 

 

茶碗を洗うこと。

 

 

洗濯物を畳むこと。

 

 

それくらいです。

 

 

それ以外のことは、僕がやらなければなりません。

 

 

特にお風呂は大変です。

 

 

母をお風呂に入れる時には、僕がほとんどすべて介助しなけ

 

 

ればなりません。

 

 

そして、入浴が終わったら、それで終わりではありません。

 

 

母の身体を僕が全部拭いてあげなければなりません。

 

 

オムツを用意する。

 

 

パジャマを準備する。

 

 

明日の洋服を用意する。

 

 

下着の着替えを準備する。

 

 

飲む水も僕が準備する。

 

 

他に薬の振り分けから準備をし朝・昼・晩・寝る前と一回

 

 

ずつ準備する。

 

 

母が必要とするものを一つ一つ用意していかなければなりま

 

 

せん。

 

 

そうして考えてみると、母が自分で出来ることは本当に少な

 

 

くなりました。

 

 

だから僕は、母の介護をしながら、自分自身の身体のことも

 

 

考えなければならないのです。

 

 

これは、簡単なことではありません。

 

 

僕自身も病気を抱えています。

 

 

身体の痛みもあります。

 

 

心の病気とも長く付き合っています。

 

 

そんな自分が、毎日のように母の介護をしている。

 

 

疲れない方がおかしいのかもしれません。

 

 

身体が疲れるだけなら、まだ何とかなるのかもしれません。

 

 

本当に怖いのは、心まで疲れ切ってしまうことです。

 

 

疲れてくると、人間はどうしても楽な方へ行きたくなります。

 

 

甘いものを食べたくなる。

 

 

飴を舐めたくなる。

 

 

お菓子を食べて、少しだけ気持ちを紛らわせたくなる。

 

 

僕の場合、それが一つのストレス解消になっていたのだと思

 

 

います。

 

 

だから、「自分はなんて節操がないんだ」と自分を責める

 

 

だけでは、本当のところは見えてこないのかもしれません。

 

 

食べ過ぎたことは、自分の責任です。

 

 

でも、その背景には、毎日の疲れや介護のストレスもある。

 

 

その両方を自分で認めた上で、これからどうするかを考え

 

 

なければならないと思っています。

 

 

僕は、痩せたい。

 

 

以前の身体に少しでも近づきたい。

 

 

特に、この増えてしまったお腹の脂肪を何とかしたい。

 

 

そして、糖尿病についても、再び悪くならないように気を

 

 

付けたい。

 

 

だからと言って、一気に何もかも我慢するつもりはありま

 

 

せん。

 

 

急に全部を禁止して、それが苦しくなって、また元に戻って

 

 

しまっては意味がありません。

 

 

ご飯の量を少し減らす。

 

 

お菓子は止める。

 

 

飴は必要以上に食べない。

 

 

口寂しい時には、ほんの少しだけ。

 

 

そんなところから始めてみようと思っています。

 

 

そして、体重だけではなく、自分の生活そのものを少しずつ

 

 

見直していきたいと思います。

 

 

僕は今まで、自分の身体を随分と酷使してきました。

 

 

病気になっても頑張る。

 

 

痛くても頑張る。

 

 

母のために頑張る。

 

 

やることがあれば、自分のことを後回しにする。

 

 

そんな毎日です。

 

 

でも、自分の身体を大切にしなければ、母の介護を続ける事

 

 

も出来ません。

 

 

母のためにも、自分自身の身体を守らなければならない。

 

 

そう考えるようになりました。

 

 

15キロ以上増えた体重を、すぐに元へ戻すことは出来ない

 

 

でしょう。

 

 

ましてや、僕の身体にはいろいろな事情があります。

 

 

だから、焦らずに少しずつです。

 

 

今日より明日。

 

 

明日よりその次の日。

 

 

ほんの少しずつでも、自分の身体を取り戻していければいい。

 

 

以前のような身体に戻ることが出来たら、それはきっと嬉し

 

 

い事です。

 

 

でも、それ以上に大切なのは、これから先も母のそばにいて

 

 

そして自分自身も倒れずに毎日を過ごしていくことです。

 

 

僕は母を支える。

 

 

そして、自分の身体も支える。

 

 

その両方を、これからは考えていかなければならないので

 

 

しょう。

 

 

「食べ過ぎた自分が悪い」

 

 

そう言って終わらせるのではなく、

 

 

「なぜ食べ過ぎてしまったのか」

 

 

そこまで考えてみる。

 

 

そうすれば、これから先の自分の生活も少し変わってくるか

 

 

もしれません。

 

 

15キロ以上増えてしまった体重。

 

 

大きくなってしまったお腹。

 

 

それを見るたびに、「どうしてこうなったんだ」と思うこと

 

 

もあります。

 

 

でも、これも今までの僕が生きてきた結果です。

 

 

だったら、これから少しずつ変えていけばいい。

 

 

僕は今、そう思っています。

 

 

無理をせず、焦らず、でも諦めず。

 

 

甘いものに逃げたくなる日があっても、自分を責め過ぎない。

 

 

それでも、少しずつ節制する。

 

 

母の介護で疲れ切った日には、「今日もよく頑張った」と

 

 

自分自身にも言ってやる。

 

 

そしてまた明日から、出来ることを一つずつやっていく。

 

 

僕の身体は、僕にしか守れません。

 

 

だからこれからは、母を大切にするのと同じように、自分の

 

 

身体も少しだけ大切にしてやろうと思います。

 

 

15キロ増えた体重を、いつかまた少しずつ減らしていく。


 

そして、以前のように「お腹がすっきりしたな」と思える日

 

 

を迎える。

 

 

それを、これからの僕の小さな目標にしたいと思います。

 

 

「幸せはそしてあなたの中に」。

 

 

その幸せを見つけるためにも、まずは自分自身の身体を大切

 

 

にすることから始めようと思います。

 

 

 

 

 

May Be The Best Year Of My Life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

夢一夜

 

 

 

 

一昨日は、本当に忙しい一日だった。

 

 

前の日から、ある程度は予定が分かっていた。

 

 

母を二つの病院へ連れて行かなければならない。

 

 

そのうち一つは、僕自身も通院している病院なので、母の

 

 

診察だけではなく、僕も診察を受けて薬をもらわなければな

 

 

らない。

 

 

そして、それだけでは終わらない。

 

 

病院が終わったら、母のマイナンバーカードの更新のために

 

 

市役所にも行かなければならない。

 

 

さらに、前日に「明日は掃除をする」と決めていた。

 

 

こうして書き出してみると、最初からかなり盛りだくさんの

 

 

一日だった。

 

 

朝から母を連れて病院へ向かった。

 

 

病院に着いてからの手続きは、基本的に僕の役目だ。

 

 

受付をして、必要な手続きをして、診察を受けて……。

 

 

母のことだから、僕がやらなければならないことが多い。

 

 

もちろん、母本人にしかできないこともあるけれど、病院に

 

 

行く時はどうしても僕が動く場面が多くなる。

 

 

最初の病院は院外処方だったので、診察が終わった後には

 

 

薬局にも行った。

 

 

病院を出れば、それで終わりではない。

 

 

薬局へ行き、処方箋を出して、薬を受け取る。

 

 

こういう一つ一つのことが、積み重なっていく。

 

 

そして次の病院へ。

 

 

そこは僕自身も通院している病院だったので、母の診察だけ

 

 

ではなく、僕も診察を受けてきた。

 

 

こちらは院内処方なので、診察を終えた後、その病院で僕も

 

 

薬を受け取ることができた。

 

 

母のことをやりながら、自分自身のこともやらなければなら

 

 

ない。

 

 

介護をしていると、どうしても自分のことが後回しになりが

 

 

ちだけれど、僕自身も病院に通っている身だ。

 

 

自分の診察も薬も、決して忘れるわけにはいかない。

 

 

そうして二つの病院を終えた。

 

 

「これで今日は終わりかな」

 

 

と思いたいところだったが、まだ用事が残っている。

 

 

今度は市役所だ。

 

 

母のマイナンバーの更新のために、市役所へ向かった。

 

 

これも僕が手続きをする。

 

 

病院でも僕。

 

 

薬局でも僕。

 

 

市役所でも僕。

 

 

母を連れて歩きながら、必要な手続きを一つずつ済ませて

 

 

いく。

 

 

そうしてようやく、すべての用事が終わった。

 

 

時計を見ると、もうかなり遅い時間になっていた。

 

 

当然、お腹も空いている。

 

 

そこで、遅い昼食を摂った。

 

 

流石に、ここまで来ると、身体もかなり疲れている。

 

 

でも、まだ僕にはもう一つやらなければならないことが

 

 

あった。

 

 

一昨日から気になっていたこと。

 

 

そう、掃除である。

 

 

最近、家中に掃除機を掛けていなかった。

 

 

そのため、部屋の隅や天井などにゴミやゴミ糸が目立つよう

 

 

になっていた。

 

 

本当なら前日に掃除をするつもりだったのだが、母の薬が足

 

 

りなくなりそうなことに気づいたため、病院へ行くことを

 

 

優先して、掃除は翌日に延期していた。

 

 

だから、昨日の僕の頭の片隅にはずっと、

 

 

「今日は掃除をしなければ……」という気持ちがあった。

 

 

とはいえ、二つの病院へ行き、市役所にも行った後である。

 

 

正直に言えば、

 

 

「もう掃除は明日でもいいんじゃないか?」

 

 

という気持ちもあった。

 

 

そこで、遅い昼食を食べた後、少し休むことにした。

 

 

パソコンを開いて、NHK―ONEで朝ドラを観る。

 

 

さらに、前の朝ドラの再放送も観た。

 

 

テレビやパソコンでドラマを観ている時間というのは、僕に

 

 

とって貴重な休憩時間だ。

 

 

何も考えずに画面を眺めていると、それだけで少し気持ちが

 

 

落ち着く。

 

 

「少し休んだし、やるか……」

 

 

そう思った。

 

 

そして、とうとう掃除機を出した。

 

 

家中に掃除機を掛けた。

 

 

部屋から部屋へ移動し、床を掃除する。

 

 

普段なかなか掃除できないところにも掃除機を掛ける。

 

 

気になっていた隅っこもきれいにする。

 

 

そして、天井の隅にあったゴミ糸なども気になるところは

 

 

できるだけきれいにした。

 

 

掃除をしていると、最初は、「こんなに汚れていたのか……」

 

 

と思う。

 

 

でも、少しずつきれいになっていくのを見ると、今度は、

 

 

「やっぱり掃除して良かったな」と思えてくる。

 

 

そして、すべて終わった。

 

 

家の中を見回してみる。

 

 

一昨日まで気になっていた部分が、きれいになっている。

 

 

その瞬間、何とも言えない気持ちになった。

 

 

嬉しい。

 

 

スッキリした。

 

 

そして何より、「やるべきことをやった」という満足感が

 

 

あった。

 

 

ただし――。

 

 

身体は完全に限界だった。

 

 

精魂尽きた、という言葉がぴったりだった。

 

 

病院を二つ。

 

 

薬局。

 

 

市役所。

 

 

そして最後に家中の掃除。

 

 

一日でこれだけのことをやれば、疲れて当然だろう。

 

 

椅子に座った時には、

 

 

「もう今日は何もしたくない……」

 

 

という感じだった。

 

 

でも、不思議なことに、疲れ切っているのに気持ちは少し軽

 

 

かった。

 

 

それは、ずっと心のどこかに引っ掛かっていたことを終わら

 

 

せることができたからだと思う。

 

 

掃除というのは、しなくてもその場では困らない。

 

 

今日しなくても、明日しなくても、すぐに何かが起きるわけ

 

 

ではない。

 

 

だから、どうしても後回しになってしまう。

 

 

けれど、「やらなければ」と思い続けていると、それが小さ

 

 

なストレスになる。

 

 

部屋の隅にゴミがある。

 

 

天井にゴミ糸がある。

 

 

掃除機を掛けたい。

 

 

でも、身体が疲れている。

 

 

そんなことを何度も考えているうちに、それが頭の片隅に

 

 

ずっと残ってしまう。

 

 

だからこそ、昨日全部終わらせたことで、その引っ掛かりが

 

 

取れたのだと思う。

 

 

「これでしばらく大丈夫だ」

 

 

そう思える。

 

 

きれいになった部屋を見ると、それだけで気分も違う。

 

 

もちろん、毎日ピカピカにすることなんて僕にはできない。

 

 

母のこともある。

 

 

病院もある。

 

 

自分の身体のこともある。

 

 

家事もある。

 

 

その他にも、その時その時でやらなければならないことが出

 

 

てくる。

 

 

だから、家の掃除まで完璧にしようと思ったら、僕の身体が

 

 

先に参ってしまう。

 

 

できる時にやる。

 

 

気になった時にやる。

 

 

そして、やったら十分。

 

 

それくらいでいいのだと思う。

 

 

一昨日はまさに、そんな一日だった。

 

 

朝から母を病院へ連れて行き、僕自身も診察を受け、薬を

 

 

もらい、院外処方の薬を薬局で受け取り、市役所へ行き、

 

 

遅い昼食を食べ、少し休み、朝ドラと前の朝ドラの再放送を

 

 

観て、それから家中の掃除をした。

 

 

文章にしてしまえば、ただそれだけの一日なのかもしれない。

 

 

でも、実際に全部やってみると、ものすごく疲れる。

 

 

それでも、最後に家の中を見回して、

 

 

「今日はよくやったな」

 

 

と、自分に言ってやりたい気持ちになった。

 

 

僕は別に、何でもできる人間ではない。

 

 

身体も思うようには動かない。

 

 

疲れやすい時もある。

 

 

何もしたくない日だってある。

 

 

それでも、その時その時で必要なことを一つずつ片付けて

 

 

いく。

 

 

母のためにやらなければならないこと。

 

 

自分自身のためにやらなければならないこと。

 

 

そして、家の中で生活していくために必要なこと。

 

 

それらを一つずつ終わらせていく。

 

 

そして全部終わった時には、身体は疲れ果てていても、心は

 

 

少し軽くなる。

 

 

昨日は、そんな一日だった。

 

 

「疲れたなぁ……」

 

 

本当にそう思う。

 

 

でも、「やるべきことをやれて良かった」とも思う。

 

 

家の中も少しきれいになった。

 

 

病院も終わった。

 

 

薬も確保できた。

 

 

市役所の用事も済んだ。

 

 

これで、しばらくは心配することが一つ減った。

 

 

だから今日は、少しくらいゆっくりしてもいいだろう。

 

 

一昨日あれだけ頑張ったのだから。

 

 

でも、その後には夕食の支度。

 

 

母の入浴介助と褥瘡の処置と水の準備、睡眠薬を母に渡して

 

 

飲ませないといけない。

 

 

そしてまた明日から、母と僕の生活を一つずつやっていかな

 

 

ければならない。

 

 

人生というのは、案外こういう小さな「やるべきこと」の

 

 

積み重ねなのかもしれない。

 

 

大きなことを成し遂げなくてもいい。

 

 

今日やるべきことをやった。

 

 

それだけで十分な日もある。

 

 

一昨日の僕にとっては、まさにそんな一日だった。

 

 

身体は精魂尽き果てるほど疲れたけれど――。

 

 

心に引っ掛かっていたものは、きれいに片付いた。

 

 

それだけでも、頑張った甲斐はあったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

May Be The Best Year Of My Life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

雨に泣いている -柳ジョージ & レイニーウッド

 

 

 

 

最近、ずっと気になっていたことがある。

 

 

それは……掃除だ。

 

 

いや、正確に言えば、掃除機を全く掛けていない。

 

 

毎日のように家の中で生活しているのだから、当然と言えば

 

 

当然なのだけれど、ふと部屋の隅を見ると、ゴミが溜まって

 

 

いる。

 

 

そして、壁際や家具の陰には、いつの間にか細かなゴミや

 

 

ホコリが集まっている。

 

 

さらには、天井の隅を見上げると、なんとも言えないものが

 

 

見える。

 

 

そう、ゴミ糸だ。

 

 

「いつの間にこんなところに……」

 

 

と思うのだが、よく考えてみれば、掃除機を掛けていないの

 

 

だから、当然と言えば当然である。

 

 

本当なら、今日こそ掃除機を出して、部屋の隅々まで綺麗に

 

 

しようと思っていた。

 

 

床だけではない。

 

 

家具の隙間、部屋の隅、天井の角。

 

 

普段は見て見ぬふりをしているような場所まで、今日は一気

 

 

に掃除してしまおうと思っていた。

 

 

ところが――。

 

 

やっぱり、予定通りにはいかない。

 

 

母のピルケースに、一週間分の薬を仕分けして入れていた時

 

 

のことだった。

 

 

「あれ?」

 

 

ある病院から出ている母の薬が、もう少なくなっていること

 

 

に気がついた。

 

 

薬というのは、無くなってから慌てるわけにはいかない。

 

 

毎日飲まなければならない薬なら、なおさらである。

 

 

そこで、掃除は明日に延期することにした。

 

 

そして今日は、母の病院へ行く。

 

 

ついでと言ってはなんだけれど、同じ病院なので、僕自身も

 

 

診察を受け、薬をもらわなければならない。

 

 

さらに、それだけでは終わらない。

 

 

母の褥瘡の処置に使う薬とガーゼ、それを固定するための

 

 

テープも買わなければならない。

 

 

ガーゼも、必要な分をまとめて購入しておくつもりだ。

 

 

そして病院が終わったら、その帰りにもう一つ用事がある。

 

 

母が通っている施設から指定されている、リハビリシューズ

 

 

を買わなければならない。

 

 

これも必要なものだから、買わないわけにはいかない。

 

 

「いったい、いくらするんだろう……」

 

 

以前の記憶では、リハビリシューズというのは、意外と高か

 

 

ったような気がする。

 

 

普通の靴なら、安いものを探そうと思えば探せる。

 

 

けれど、施設で使うものとなれば、履きやすさや脱ぎ履きの

 

 

しやすさ、安全性なども考えなければならない。

 

 

単純に「一番安い靴を買えばいい」という話ではない。

 

 

必要なものには、それなりにお金が掛かる。

 

 

しかも、我が家の場合は母の分だけではない。

 

 

母にも僕にも、それぞれ病院があり、薬がある。

 

 

そして介護用品や日用品も必要になる。

 

 

母と僕は要介護2の状態だから、生活していく上でどうして

 

 

もこうした出費が増えていく。

 

 

ガーゼやテープなども、僕が思っていたより頻繁に必要に

 

 

なる。

 

 

しかも、こうしたものは自費である。

 

 

介護に必要なものだからといって、何でも無料になるわけで

 

 

はない。

 

 

だから、買い物に行くたびに、

 

 

「今月はあといくら使えるだろう」

 

 

と、どうしても考えてしまう。

 

 

ただ、我が家にとって本当にありがたいこともある。

 

 

マル福という制度のお陰で、治療費と薬代が無料である

 

 

事だ。

 

 

これがもし普通に自己負担だったら……と思うと、正直怖く

 

 

なる。

 

 

母にも僕にも病院があり、薬があり、定期的な診察がある。

 

 

それを二人分となれば、医療費だけでも相当な金額になる

 

 

だろう。

 

 

もし今、治療費や薬代まで普通に支払わなければならなか

 

 

ったら、我が家の家計はかなり厳しいどころか、本当に予算

 

 

が破産してしまうと思う。

 

 

だからこそ、無料で受けられていることには、本当に感謝し

 

 

ている。

 

 

「助かっているなぁ……」と思う。

 

 

もちろん、無料だからといって、病院に行くこと自体が楽に

 

 

なるわけではない。

 

 

明日は母の病院。

 

 

そして僕の診察。

 

 

母の薬を受け取り、僕の薬も受け取る。

 

 

褥瘡の薬とガーゼを買い、固定用のテープも買う。

 

 

そのうえで、施設指定のリハビリシューズを探して購入する。

 

 

そして家に帰ってきたら、そこからまた母のことをやらなけ

 

 

ればならない。

 

 

考えてみれば、今日やろうと思っていた掃除機掛けまで残っ

 

 

ている。

 

 

「明日、掃除できるかな……」

 

 

そんなことまで考えてしまう。

 

 

でも、これは仕方がない。

 

 

掃除は多少遅れても、すぐに命に関わるものではない。

 

 

しかし、薬は違う。

 

 

必要な薬が無くなってしまえば困る。

 

 

褥瘡の処置に必要なものも、無ければ困る。

 

 

施設で必要と言われているリハビリシューズも、母が施設で

 

 

安全に過ごすために必要なものだ。

 

 

だから、掃除機より先にやることがある。

 

 

家の中にゴミが溜まっていても、天井の隅にゴミ糸があって

 

 

も、今は後回しにするしかない。

 

 

そう考えると、家事というものは本当に不思議だ。

 

 

「今日はこれをやろう」

 

 

と思っていても、別の用事が入れば簡単に予定が変わって

 

 

しまう。

 

 

しかも、母の介護をしていると、自分一人の都合だけでは

 

 

予定を決められない。

 

 

母の薬が足りなければ病院へ行く。

 

 

母に必要なものがあれば買いに行く。

 

 

施設から必要だと言われれば、それも準備する。

 

 

そして、その合間に自分自身の病院にも行く。

 

 

そうして一日が終わっていく。

 

 

気がつけば、「今日、掃除機を掛ける予定だったのに……」

 

 

となる。

 

 

でも、それでいいのだと思う。

 

 

家の中は、明日掃除すればいい。

 

 

明日が無理なら、明後日でもいい。

 

 

ホコリやゴミは、逃げていかない。

 

 

……いや、できれば逃げてほしいけれど(笑)。

 

 

それよりも、母がきちんと薬を飲めること。

 

 

褥瘡の処置ができること。

 

 

施設で必要な靴を用意できること。

 

 

そして僕自身も診察を受け、薬を切らさないこと。

 

 

今はそちらの方が大切だ。

 

 

掃除機は、待っていてくれる。

 

 

でも、薬は待ってくれない。

 

 

そう思えば、今日掃除を延期したことも、決して悪いことで

 

 

はない。

 

 

それにしても――。

 

 

また明日も忙しいなぁ……。

 

 

そう思いながら、明日の予定を頭の中で一つずつ確認する。

 

 

母の病院。

 

 

僕の病院。

 

 

母の薬。

 

 

僕の薬。

 

 

褥瘡の薬。

 

 

ガーゼ。

 

 

テープ。

 

 

そしてリハビリシューズ。

 

 

忘れないように、買うものを頭の中で何度も繰り返す。

 

 

そして全部終わって家に帰ってきたら、もし体力が残って

 

 

いたら掃除機を掛けよう。

 

 

もし残っていなかったら――。

 

 

その時は、また明日でいい。

 

 

人生も、家事も、介護も、予定通りにはいかない。

 

 

だからこそ、その時その時で、今やらなければならない事を

 

 

一つずつ片付けていく。

 

 

それで十分なのだと思う。

 

 

さて、明日は長い一日になりそうだ。

 

 

「また明日も忙しいなぁ……」

 

 

そう呟きながら、今日はもう休むことにしよう。

 

 

掃除機は、明日まで待っていてもらおう。

 

 

家の隅のゴミも、天井のゴミ糸も、まだそこにいてくれるだ

 

 

ろうから。

 

 

 

 

 

May Be The Best Year Of My Life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

神田川 ~かぐや姫

 

 

 

 

 

僕には、毎日のルーティーンがあります。

 

 

と言っても、たいしたことではありません。

 

 

朝起きて、NHKの朝ドラを観る。

 

 

そして、お昼になれば朝ドラの再放送を観る。

 

 

さらに、大河ドラマの前回放送分をもう一度観る。

 

 

これが、僕の日々のちょっとした楽しみです。

 

 

テレビを観ること以外には、母の介護と食事の準備があり

 

 

ます。

 

 

以前から母のことはいろいろとやっていますが、今ではそこ

 

 

に母の入浴も加わりました。

 

 

そして、褥瘡の処置もあります。

 

 

薬の管理もあります。

 

 

こうして書き出してみると、意外といろいろなことをやって

 

 

いるのだな、と自分でも思います。

 

 

その中でも、毎週必ずやらなければならない仕事があります。

 

 

それが、薬の仕分けです。

 

 

今日は、母の分と僕の分、それぞれ一週間分の薬をピルケー

 

 

スに仕分けしました。

 

 

「薬をケースに入れるだけでしょう?」

 

 

そう思う人もいるかもしれません。

 

 

確かに、作業そのものだけを見れば、たいしたことではあり

 

 

ません。

 

 

でも、実際にやってみると、これが案外疲れるのです。

 

 

何が一番疲れるのか。

 

 

それは、神経を使うことです。

 

 

薬を間違えるわけにはいきません。

 

 

一日分を間違えて入れてしまったら大変です。

 

 

朝の薬。

 

 

昼の薬。

 

 

夜の薬。

 

 

そして、それぞれに種類があります。

 

 

特に母の薬は、一つにまとめられているわけではありません。

 

 

いろいろな薬が、それぞれバラバラになっています。

 

 

だから、一つずつ確認しながらピルケースに入れていかなけ

 

 

ればなりません。

 

 

「これは朝」

 

 

「これは昼」

 

 

「これは夜」

 

 

そうやって確認しながら、一週間分を仕分けていきます。

 

 

単純な作業のように見えて、実はかなり神経を使います。

 

 

僕自身の薬は、比較的楽です。

 

 

僕の薬は、三つの病院から処方されたものが一つの包装に

 

 

まとめられています。

 

 

だから、僕の分については、それほど難しくありません。

 

 

包装されたものを、それぞれの日のケースに入れていけば

 

 

いい。

 

 

でも、母の薬はそうはいきません。

 

 

バラバラの薬を一つずつ確認していかなければならない。

 

 

だから、母の薬を仕分ける時は、どうしても緊張します。

 

 

「間違っていないだろうな」

 

 

「これは今日の分で合っているよな」

 

 

そんなことを頭の中で確認しながら作業します。

 

 

そして、全部入れ終わった後も、もう一度確認します。

 

 

それでも、「本当に大丈夫かな」と気になります。

 

 

薬の管理というのは、それくらい神経を使う仕事なのだと思

 

 

います。

 

 

しかも、それを毎週やっています。

 

 

一週間分を仕分けたと思ったら、また一週間が経つ。

 

 

そして、また次の一週間分を仕分ける。

 

 

これの繰り返しです。

 

 

毎週やっていることだから慣れているように思われるかも

 

 

しれません。

 

 

でも、慣れてしまって気が緩むのが一番怖い。

 

 

だからこそ、毎回同じように慎重にやらなければなりません。

 

 

そうすると、作業が終わる頃には結構疲れています。

 

 

身体が疲れるというより、神経が疲れる。

 

 

そんな感じです。

 

 

「神経が擦り減る」

 

 

という表現が一番近いのかもしれません。

 

 

いっそのこと、一週間分ではなく一カ月分を一気に仕分けし

 

 

てしまえばどうだろう。

 

 

そんなことを考えることもあります。

 

 

一カ月分を仕分けるとなれば、その時は大変でしょう。

 

 

何日分もの薬を一度に確認しなければなりません。

 

 

間違えないように、かなり集中しなければならないでしょう。

 

 

でも、一度終わってしまえば、その後しばらくは薬の仕分け

 

 

をしなくてもいい。

 

 

そう考えると、一カ月分の方が楽なのではないかと思ってし

 

 

まいます。

 

 

ただ、母の薬については、そう簡単にはいかないのでしょう。

 

 

薬の変更があるかもしれない。

 

 

病院へ行けば処方が変わることもある。

 

 

そう考えると、今のように一週間ごとに仕分ける方が安全な

 

 

のかもしれません。

 

 

結局、面倒でも今の方法を続けるしかありません。

 

 

母の薬は、母自身では管理することが難しくなっています。

 

 

だから僕がやる。

 

 

それが今の我が家では当たり前になっています。

 

 

でも、「当たり前」だからといって、簡単な仕事とは限り

 

 

ません。

 

 

介護というのは、そういうことの連続なのだと思います。

 

 

食事を作る。

 

 

洗濯をする。

 

 

入浴を手伝う。

 

 

褥瘡の処置をする。

 

 

薬を管理する。

 

 

病院へ連れて行く。

 

 

そして、その一つひとつに責任があります。

 

 

どれも、適当に済ませるわけにはいきません。

 

 

だから、介護する側の神経は少しずつ疲れていく。

 

 

本人には見えない疲れです。

 

 

外から見れば、

 

 

「薬をケースに入れているだけ」

 

 

に見えるかもしれません。

 

 

でも、そのケースの中には、母が一週間きちんと薬を飲む

 

 

ための責任が詰まっています。

 

 

だから、間違えたくない。

 

 

間違えてはいけない。

 

 

その気持ちが、作業の間ずっと頭の中にあります。

 

 

そして、今日も無事に一週間分の仕分けが終わりました。

 

 

これでまた一週間、母と僕の薬を間違えずに飲めるように

 

 

準備出来ました。

 

 

そう考えると、疲れたけれど、やるべき仕事を終えたという

 

 

安心感もあります。

 

 

僕の一日は、朝ドラから始まって、昼には再放送を観て、

 

 

大河ドラマを楽しみ、そして母の介護や家事をする。

 

 

そんな毎日です。

 

 

一見すると、のんびりした生活に見えるかもしれません。

 

 

でも、その中には、母の命や健康に関わる仕事もあります。

 

 

テレビを観て笑っている時間もあれば、薬を前にして真剣な

 

 

顔になっている時間もある。

 

 

それが今の僕の日常です。

 

 

介護生活というのは、特別なことを毎日やっているわけでは

 

 

ありません。

 

 

むしろ、同じことを毎日、毎週、繰り返していく生活なの

 

 

だと思います。

 

 

だからこそ、その「繰り返し」の中にある疲れは、意外と

 

 

大きい。

 

 

今日も薬を仕分け終わって、

 

 

「疲れたなぁ……」

 

 

と思いました。

 

 

でも、これでいい。

 

 

母がきちんと薬を飲めるようにする。

 

 

それも僕の大切な仕事です。

 

 

僕自身も難病を始めとして色々な病に侵されている。

 

 

だから僕自身も自分の命を削って母の面倒をみているし腰

 

 

や膝等、様々な痛みに耐えてやっているのです。

 

 

また一週間が過ぎれば、次の薬の仕分けが待っています。

 

 

そして僕は、また一つずつ確認しながらピルケースに薬を入

 

 

れるのでしょう。

 

 

「間違えないように」

 

 

と神経を使いながら。

 

 

面倒だなと思うこともあります。

 

 

疲れるなと思うこともあります。

 

 

いや疲れ切ります。暫く動けなくなります。

 

 

それでも、母のためにやらなければならない。

 

 

それが今の僕の役目です。

 

 

そして仕分けが終わったら、また朝ドラを観て、大河ドラマ

 

 

を観て、いつもの日常に戻る。

 

 

そんな何気ない一日を、これからも一日ずつ積み重ねていく

 

 

のだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

May Be The Best Year Of My Life.