救急車のサイレンが鳴らなくなった日々。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

長渕剛/西新宿の親父の唄

 

 

 

 

 

 

人は、健康を失った時に初めて「普通に生きる」という事の

 

 

難しさを知るのかもしれない。

 

 

僕は今、頚椎後縦靭帯骨化症、胸椎黄色靭帯骨化症、腰椎後

 

 

縦靭帯骨化症という三つの指定難病を抱えて生きている。

 

 

更に、現在の薬では発作を止める事が出来ない狭心症。

 

 

その他にも腹部動脈瘤など、身体の中には“いつ何が起きて

 

 

も不思議ではない”病気が幾つも存在している。

 

 

どの病気も「完治」を目指すものではなく、医療用麻薬によ

 

 

る痛みの緩和や、その場しのぎの対処療法。

 

 

そして狭心症の発作が起きれば救急搬送。

 

 

そんな毎日だった。

 

 

以前住んでいた場所では月に一回多い時は月に三回、救急車

 

 

に運ばれていた。
 

 

夜中に胸を押し潰されるような激痛が来る度、「今回は助か

 

 

るのだろうか」と考えていた。

 

 

救急隊員の顔も、病院の天井も、心電図の機械音も、段々と

 

 

見慣れていく。
 

 

それは決して慣れてはいけない日常だった。

 

 

大学病院に通っていた。
 

 

設備も医師も揃っている、日本でも高度な医療を受けられる

 

 

環境だった。

 

 

けれど、心のどこかで常に孤独だった。

 

 

そして昨年の十一月。
 

 

僕はUターンし、実家へ戻った。

 

 

正直に言えば、不安は大きかった。
 

 

大学病院から町医者へ。
 

 

「本当に大丈夫なのか?」という気持ちは今でもある。

 

 

しかし、不思議な事が起きた。

 

 

Uターンしてから、一度も救急搬送されていない。

 

 

あれほど頻繁に起きていた発作が、今は静かだ。

 

 

理由は分からない。
 

 

食事なのかもしれない。
 

 

水や空気なのかもしれない。
 

 

あるいは、「実家に居る」という安心感なのかもしれない。

 

 

人間の身体は、心と切り離せないのだと改めて思う。

 

 

どれだけ高度な医療があっても、心が休まらなければ身体は」

 

 

悲鳴を上げるのかもしれない。

 

 

逆に、完璧な医療環境ではなくても、「安心出来る場所」が人

 

 

を支える事もあるのだろう。

 

 

そして今、僕は地元の福祉制度にも助けられている。

 

 

この市には「マル福」という制度があり、医療費や薬剤費が

 

 

全て無料になる。

 

 

病院へ行く時は薬手帳だけ持って行けば良い。

 

 

これは本当に大きい。

 

 

難病を抱えて生きるという事は、病気そのものだけではなく

 

 

金銭的負担とも戦う事だからだ。

 

 

薬代を気にする。
 

 

通院回数を減らそうとする。
 

 

「今月は検査をやめようか」と悩む。

 

 

病気を持つ人間にとって、“お金”は命に直結する現実だ。

 

 

だからこそ、この制度には心から感謝している。

 

 

もちろん、病気が治った訳ではない。
 

 

身体の痛みも消えていない。
 

 

狭心症の恐怖も消えない。

 

 

明日どうなるかは分からない。

 

 

けれど、「今日、救急車に乗らずに済んでいる」という事実

 

 

だけで、少しだけ穏やかな気持ちになれる。

 

 

健康な人から見れば、当たり前の日常かもしれない。
 

 

しかし僕にとっては、その“当たり前”が奇跡だ。

 

 

普通に朝を迎え、普通にご飯を食べ、普通に夜を迎える。

 

 

その積み重ねが、今の僕には何より尊い。

 

 

病気は人から多くのものを奪う。
 

 

身体の自由。
 

 

未来への安心。
 

 

時には夢や希望さえ奪っていく。

 

 

それでも、人は小さな幸せを見つけながら生きていくしかない。

 

 

救急車のサイレンが鳴らない夜。
 

 

それだけで、今日は少し良い日なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.