※BGMでも聴きながらお読み下さい。
夜はふたりで / オフコース
毎日がゴールデンウィークのような生活、と聞くと、多くの
人は羨ましいと感じるかもしれない。
けれど、その中身は決して単純な「休み」ではない。
自由であるはずの時間は、どこか輪郭がぼやけ、喜びや張り
合いもまた曖昧になる。
かつて働いていた頃、ゴールデンウィークには確かな始まり
と終わりがあった。
連休に入る前日の、あの胸が軽くなるような解放感。
そして終わりが近づくにつれて、少しずつ忍び寄る憂鬱。
あの感情の振れ幅こそが、日々の生活にリズムを与えていた
のだと思う。
今はどうだろう。
毎日が休みのようでありながら、あの「始まりの嬉しさ」も
「終わりの切なさ」もない。
ただ静かに時間が流れていく。
日々の予定はある。
通院の日、100円ショップへ必要なものを買いに行く日、ガ
ソリンを入れに行く日。
晴れて暖かい日には、電動カートで少し遠くまで出かける。
いわば自分なりの「遠足」だ。
帰ってきた後は、障碍者用の手押し車を使い、近くの畑の道
で日向ぼっこをする。
特別なことではないけれど、こうした時間が確かに一日の中
に存在している。
去年のことを思い出す。
顔も腕も手も、日差しに焼けて真っ黒になった。
今年も同じように、いやそれ以上に焼けたいと思っている。
なぜだろうか。
ただの見た目の問題かもしれない。
それでも少しでも「健康に見える自分」でいたいという気持
ちがある。
肌の色ひとつで、外から見える印象は変わる。
せめてそこだけでも、かつての自分に近づきたいと思う。
不思議なことに、冬から春にかけて蓄えた体重は、夏になる
と自然と落ちていく。
遠足に出る回数が増えるからだろうか。
特別な運動をしているわけではないが、外に出て動く機会が
増えることで、身体は素直に反応する。
今年もそうであってほしいと、少しだけ期待している。
そんな日常の中で、どうしても気が重くなる予定がある。
それが通院だ。
月に何度か訪れるその日は、他のどの予定よりも気が進まない。
診察といっても、実際には処方箋をもらうための形式的なや
り取りに感じてしまうことが多い。
これにどれほどの意味があるのだろう、と考えてしまう。
思い出すのは、コロナ禍の頃の対応だ。
あの時は、対面の診察を省略して、医師が薬局へ直接連絡を
送るような仕組みがあった。
ああした方法が、今も続いていればどれだけ楽だろうと思う。
毎回足を運ぶ必要がなければ、その分の負担は確実に減る。
医療の在り方も、もう少し柔軟になってもいいのではないか
と感じる。
毎日がゴールデンウィークのような生活。
その響きの裏側には、単なる自由とは違う現実がある。
それでも、晴れた日に外へ出て風を感じたり、少しずつ季節
の変化を体で受け取ったりする中で、小さな楽しみは確かに
存在している。
特別な出来事がなくてもいい。
ただ、今年もまた、夏の終わりに「よく日に焼けたな」と思
えたら、それで十分なのかもしれない。
May be the best year of my life.








