呼吸を制約する四足歩行

 寄り道が多くなりましたが、今回は我々の二足歩行が如何に優れているか考えて見たいと思います。日々二足歩行していると、その優れた点を自覚せずに過ごしてしまいますが、実は四足動物は歩行や走行時の呼吸に大きな制約を受けているのです。



図91)サンショウウオ

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 意外な事ですが、現生の両生類とほとんどの爬虫類は、走りながら同時に呼吸する事が出来ません。トカゲやサンショウウオの様に、胴体の両側に脚を突き出して這いつくばる様に歩く動物では、一歩踏み出すたびに胴体を左右に捻るために、肺の片側は拡張される一方、反対側は圧迫されて、歩行中は正常な呼吸が出来ないのです。結局、彼らは走る時には息を止めている訳で、時々立ち止まって息を継がなければ走り続けられないのです。こうした制約は、発見者の名前をとってキャリア制約と呼ばれています。

 この制約の結果、爬虫類にマラソン選手は存在しません。そして、獲物を追跡して捕える事が困難な爬虫類と両生類は、不意打ちによって獲物を襲う捕食者となったのです。この例外が、インドネシアのコモド島に生息するコモドオオトカゲで、喉のポンプ作用で呼吸を補助する事で、獲物を追って10m以上も走る事が可能と言います。



図92)ペルム紀初期の盤竜類、ディメトロドン(約2.95~ 2.72億年前、全長1.7~3.5m)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この走りながらの呼吸が出来ないという爬虫類の難題解決に挑んだのが、古生代後半の石炭紀(3.59~2.99億年前)に登場した哺乳類型爬虫類とも呼ばれる単弓類です。彼らは、トカゲの様に胴体の両側に脚を突き出すのではなく、胴体の下に来るように姿勢を変化させて腹部を地面から浮かせ、この問題の解決を図ったのです。こうして、古生代最後のペルム紀(2.99~2.52億年前)には、這いまわりから解放された哺乳類型爬虫類が大繁栄を遂げる事になります。約3億年前のペルム紀初めには、初期の単弓類の盤竜類が陸上脊椎動物相の70%を占めるまでに繁栄するのです。これは、約2億4000万年前頃の恐竜の登場よりずっと以前の事です。つまり、中生代後半に恐竜が王国を築く遥か以前に、哺乳類の系統が地上の支配権を確立していたのです。



呼吸制約と二足歩行

 哺乳類の系統は、4本の脚を胴体からまっすぐ地面に伸ばす事で、呼吸の制約を大きく改善する方向に進化して行った訳ですが、四足歩行者にはまだ制約が残っていました。多くの四足動物では、走る時に内臓が浴槽内の水の様に前後に大きく揺れています。チーターの走る様子を考えれば分かり易いですが、前足で着地する度に胃腸が前方にスライドし肺を圧迫して空気を押し出し、次のストライドで身体を前方に伸ばすと、今度は反対に内臓が後方にスライドして肺が空気を吸い込むのを助けます。これによって、肺活量を増大させる効果が有る一方で、一度のストライドでは一呼吸しか出来ないと言う制約を負う事になったのです。つまり、全ての走る四足の哺乳類は、一歩進む事に一呼吸すると言うサイクルに縛られているのです。



図93)獲物を追うチーター

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 ところが、二本の足で走れば肺や胸郭は圧迫を受けずに済みます。二足歩行動物は呼吸を移動運動から分離して、高速で獲物を追跡などする際には必要なだけ何回でも息をする事が可能になったのです。こうして、三畳紀に登場した二足歩行の肉食恐竜は、気嚢システムという優れた呼吸システムを獲得した事も有り、それまでの待ち伏せ型の捕食から、追跡型の恐ろしい捕食者として中生代を支配して行く事になります。そして白亜紀末の恐竜の絶滅後、哺乳類として再び二足歩行を採用して世界征服に乗り出したのが、我々ヒトの祖先だった訳です。



爬虫類と哺乳類
 
 ところで、皆さんは不思議に思いませんか。普通は、哺乳類は大きな脳を発達させた温血動物で、冷血の爬虫類より進化した動物と考えられてきました。 しかし、最初に陸上の王者になったのは哺乳類の系統だったのです。ところが、古生代末に彼等が絶滅すると、今度は劣っていたはずの爬虫類が幅を利かせてきて、中生代には恐竜が巨大化して地上の支配権を確立する訳です。しかし、中生代末に恐竜が絶滅すると、今度は哺乳類が急速に適応放散して、新生代の支配者に返り咲くのです。

 元々、爬虫類と哺乳類の祖先はほぼ同時期に登場しています。デボン紀末に登場した両生類は次の石炭紀に多様化し、その中から石炭紀末の約3億1200万年前に、胚が羊膜を持つことで陸上での産卵が可能となった有羊膜類が出現します。水際から離れられない両生類とは異なり、乾燥した陸上生活に適応した有羊膜類は急速に分布を広げ、哺乳類へとつながる単弓類と、鳥類も含め全ての爬虫類へとつながる竜弓類の2大グループに分岐するのです。



図94)ペルム紀中期の獣弓類、モスコプス(約2.65~2.6億年前、全長2.4〜5m)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 そして、古生代末に有羊膜類として最初の成功を収めたのが、哺乳類の系統の単弓類の方だったのです。単弓類は、爬虫類の系統の竜弓類に先駆けて陸上で適応放散し大型化して行きます。ペルム紀初期の盤竜類と入れ替わる様に登場したペルム紀中期の獣弓類のモスコプスなどは、体長が2.4〜5m、体重はゾウにも匹敵する巨獣で、それまで地球に現れた中で最大の陸上動物だったのです。ところが、哺乳類型爬虫類の多くがペルム紀末(P-T境界)の大量絶滅に巻き込まれて絶滅すると、衰退する単弓類と入れ替わる様にして、三畳紀には爬虫類の竜弓類が多様化して来るのです。



図95)最古の哺乳類、アデロバシレウス(2.25億年前、推定体長:10~15cm)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 実は、哺乳類も恐竜に少し遅れて同じ三畳紀に登場しています。しかし中生代の間、哺乳類は恐竜の足元で逃げ回る、夜行性のネズミの様な存在でしか有りませんでした。一方、二足歩行と気嚢システムを獲得して呼吸効率の面で優位に立った恐竜は、ジュラ紀後期から白亜紀にかけて巨大化し、地上の覇権を握り恐竜王国を築いて行くのです。また、ジュラ紀には小型恐竜から鳥類が進化しています。ところが、白亜紀末に恐竜が絶滅すると、今度は中生代にはネズミ程度に過ぎなかった哺乳類が急速に適応放散して、再び支配権を奪い返すのです。

 足掛け3億年にも亘る目まぐるしい覇権の交代劇ですが、実はこの背景には地球環境の大変動が有りました。この間に、酸素濃度の激変が立て続けに起こっていたのです。 



酸素と二酸化炭素濃度の大変動

図96)過去40億年の酸素濃度の推移

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 実は、哺乳類型爬虫類が大繁栄をした古生代の終わりと、恐竜が繫栄した中生代とは全く異質な時代でした。石炭紀(3.59~2.99億年前)からペルム紀(2.99~2.52億年前)にかけては、地球史上でも異常なほど酸素濃度が高く、反対に二酸化炭素濃度も異常に低い時代だったのです。約3億年前の石炭紀末には、酸素濃度が最高で約35%(現在は21%)にまで達したと言われます。図93)の石炭紀末の所で赤線のグラフがピークを付けているのがそれに当たります。この時代が、如何に特異な環境であったか分かると思います。そして、この高酸素の環境下で昆虫が巨大化しています。1m近い翅開長を持つトンボのメガネウラや、翅開長48cmのカゲロウ、体長1mのヤスデやサソリなど巨大節足動物が繁栄していたのです。



図97)石炭紀の巨大トンボ、メガネウラ(約 3 億年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この高い酸素濃度には植物の進化が深く関わっています。最初に上陸に成功した植物は約4億6500万年前の苔の仲間です。約4億2500万年前には維管束植物が登場しますが、クックソニアに代表される茎が枝分かれしただけで葉の無い植物でした。ところが、 約3億8000万年前頃には葉を持つ植物が登場し、デボン紀後期には森林が陸地をほぼ覆い尽くす迄になっていたのです。そして、石炭紀の始まる約3億6000万年前頃にはリンボク、フウインボク、ロボクなどのシダ植物が大繁栄して、葉を広げた背の高い巨木の森が世界中に広がっていました。この大繁殖した陸上植物が、大量の酸素を吐き出していたのです。

 この植物の上陸に合わせる様に、オルドビス紀中頃から上昇を始めた酸素濃度は、約4億1000万年前頃のデボン紀初めに一旦ピークを付けます。その後下がり始めた酸素濃度は、約3億7400万年前のデボン紀後期の大量絶滅(F-F境界)期にボトムを付け、ペルム紀の史上最高値に向けて再び上昇して行くのです。



図98)最初期の維管束植物、クックソニア(4.33~3.93億年前)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

図99)石炭紀の森

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 実は、大気中の酸素濃度と二酸化炭素濃度は、反比例の関係に有る事が知られています。つまり、酸素濃度が高い時は、二酸化炭素は低い傾向が有るのです。実際、酸素濃度がボトムを付けたデボン紀の大量絶滅時には、二酸化炭素濃度は反対に急上昇してピークを付け、現在の15倍程度の濃度になっています。その後、石炭紀に向けて現在と同程度の濃度にまで急落して行くのです。そして、酸素濃度が異常に高かった石炭紀からペルム紀にかけては、二酸化炭素濃度は反対に異常に低い状態がなべ底の様に継続するのです。この古生代後期の異常に低い二酸化炭素濃度も、植物の大繁殖が関係しています。

 現在、陸上と海洋の植物は、二酸化炭素から毎年1050億トンものバイオマス(生物体量)を光合成し、その半分づつを陸上と海洋の植物で受け持っています。しかし、バイオマス全体に占める割合では、海や淡水の単細胞の植物プランクトンは僅か1%にもなりません。一方、陸上植物は総バイオマスの90%以上も占めています。しかも、3億3000万年前から2億6000万年前にかけての高酸素期には、大量の植物が湿地に埋没して膨大な量の石炭が形成されていたのです。実に、地球上の石炭鉱床の90%がこの時代に誕生したと言われます。

 つまり、石炭紀からペルム紀にかけての地球史上でも異常な高酸素期には、二酸化炭素が植物体と大量の石炭とに固定され、その結果、濃度が急減していたのです。また、生物が死亡すると有機物は微生物により二酸化炭素と水に分解され、この過程で酸素が消費されます。しかし、有機物の一部が分解を免れて地中に残ると酸素の消費が抑えられ、大気中の酸素量は徐々に増えて行く事になります。この時代、大量の植物が石炭として埋没した結果、酸素が有機物の分解に使われる事なく、大気中に溢れる事に繋がったのです。こうして、古生代後期に異常に高い酸素濃度と、極端に低い二酸化炭素濃度の時代が現出した訳です。また、この時代には温室効果ガスの二酸化炭素の急減で寒冷化が進み、南アフリカは広範囲にわたる極地の氷冠に覆われる事になりました。(後期古生代氷河期:LPIA )

 

図100)石炭紀・ペルム紀のゴンドワナ 超大陸とカルー氷河(青色)(後期古生代氷河期:LPIA 、3.6~2.55億年前) 

(出典:ウィキメディア・コモンズ)



ペルム紀末の激変

 ところが、2億5100万年前のペルム紀末の史上最大の大量絶滅を境に、世界は一変してしまうのです。図95)を見ると、酸素濃度が(第5段階)の石炭紀末にピークを付けた直後に急落しているのが分かります。そして、酸素濃度は中生代の三畳紀(2.52~2.01億年前)からジュラ紀(2.01~1.45億年前)にかけて下がり続け、ペルム紀初期には35%もあったものが、約2億年前のジュラ紀初めには12%と、現在の半分近くにまで一気に下落してしまうのです。5億4400万年前のカンブリア紀爆発の開始時の酸素レベルが13%と言いますから、それよりも低い値だった訳です。この極端に低くなった酸素濃度がようやく本格的に上昇し始めるのは、次の白亜紀(1.45~0.66億年前)に入ってからになります。

 一方、二酸化炭素の方は反対に、ペルム紀末の大量絶滅期に劇的な急上昇をして一瞬ピークを付け、その直後に急落します。この時には、ペルム紀前半の現在と同程度の二酸化炭素濃度から、一気にその10倍程度にまで激増するのです。しかし、三畳紀前半にはピークから急減し、三畳紀後半からジュラ紀にかけて再びじりじりと上昇して行きます。このペルム紀末の二酸化炭素濃度の急上昇時には、気温も急上昇して海水温は40℃、陸上では60℃にもなったと言われます。この異常な高温の中で、史上最大の大量絶滅が起こるのです。このように、ペルム紀と三畳紀の境界で、酸素と二酸化炭素濃度の劇的な変化と気候変動が起きていた訳です。そして、ペルム紀末の二酸化炭素の急上昇期を除くと、ジュラ紀が中生代では最も低酸素で高二酸化炭素の時代となっていたのです。



図101)ジュラ紀後期の竜脚類、アパトサウルス(約 1.52~ 1.5億年前、全長21~26m)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この結果、 古生代後期の石炭紀・ペルム紀は酸素濃度が高く、二酸化炭素濃度は低い寒冷な時代だったのに対し、反対に中性代は酸素濃度が低く、二酸化炭素濃度が高い温暖な時代となっていたのです。勘の良い方はお気付きと思いますが、恐竜は三畳紀の異常に酸素濃度低い時代に登場し、その低酸素環境に適応して気嚢システムと言う優れた呼吸システムを進化させ、二足歩行に挑戦していたのです。そして、気嚢システムと二足歩行によって低酸素環境下での酸素の取り込みの改善に成功した恐竜は、哺乳類を押しのけて適応放散し、酸素濃度が改善して来ると一気に巨大化して行ったのです。草食恐竜の竜脚類(カミナリ竜)は、ジュラ紀前期から白亜紀後期まで長期に亘って生息した恐竜ですが、その最盛期のジュラ紀後期には全長30mを超える超大型種まで出現しています。

 ペルム紀末の史上最大の大量絶滅では、生物種の90~95%が絶滅したと言われます。この大量絶滅を乗り越えた三畳紀は、低い酸素濃度が続き、生物にとっては厳しい時代でした。しかし、この中で僅かに生き残った生物が、大量絶滅で空き地だらけになった生態系に適応放散し、新しいデザインの様々な生物が進化して来る事になります。「カンブリア爆発」 と同様に、三畳紀は様々な動物デザインの壮大な実験場となっていたのです。 この生物の急激な多様化は「三畳紀爆発」とも呼ばれます。恐竜や哺乳類の登場は、その一つだったのです。

 白亜紀に入って本格的に上昇を始めた酸素濃度は、新生代の初めの一時的な下落を除いて、ほぼ一貫して上昇を続け、現在の21%に到達します。また、ジュラ紀後半にピークを付けた二酸化炭素も、白亜紀以降一貫して下がり続けて現在に至ります。つまり、中生代以降の約2億5000万年間で、現在は最も酸素濃度が高く、二酸化炭素濃度は低い時代なのです。

 大雑把に言うと、恐竜は低酸素で高二酸化炭素の温暖な時代に適応した生物であり、反対に哺乳類の方は高酸素で低二酸化炭素の寒冷な時代の生物だと見る事が出来きます。そして、古生代から中生代、さらに新生代と酸素と二酸化炭素の環境が変化する度に、それぞれの大気環境に適応した生物が進化して、地上の支配権を獲得していったと言う訳なのです。


(つづく)