200万年間も二足歩行を続けて来た猿人が、約200万年前にヒトに進化したのは、サバンナの捕食者となって獲物を追い駆け出したからだと述べました。では、誕生したばかりの我々の祖先は、どのようにして自分達より足の速い四足獣の獲物を狩っていたのでしょうか。それが、獲物が疲労困憊して走れなくなるまで執拗に追い詰めると言う、人類の特性を活かした独自の持久狩猟だったのです。
図84)疾走するチーター
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
私達はサバンナを疾駆する四足動物のスピードに圧倒され、走る点では二足歩行は四足歩行に比べて劣っていると考えがちです。実際、最速の陸上動物とされるチーターは、約3秒で停止状態から時速96kmにまで加速し、全力疾走では時速100kmを超えると言われます。しかし、二足歩行が劣ると思うのは、我々の先入感と言わなければなりません。例えば、二足歩行者のダチョウは時速 55 kmで長時間走る事が可能で、短距離なら時速 70 kmのスピードを出す事も出来ます。元々、鳥類の祖先である恐竜は、足の速い二足歩行の捕食者として登場しているのです。つまり、二足歩行は捕食者にも採用される程、優れた移動様式なのです。
二足歩行の覇者、恐竜
図85)エオドロマエウス・マーフィ(約2億3000万年前)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
最も初期の恐竜の一つが、アルゼンチンで発見された、三畳紀後期の約2億3000万年前の「暁のランナー」を意味するエオドロマエウスです。全長は約1.2 m、体重は約5 kgのイヌほどの大きさの二足歩行の小型肉食恐竜で、時速32kmのスピードで走る事が出来たと考えられています。つまり恐竜は、足の速い二足歩行の捕食者として誕生したのです。
その後、約2億年前の三畳紀末(T-J境界)の大量絶滅を生き延びた恐竜たちは、地球環境が改善して来ると競争相手が絶滅した隙をついて、空地だらけになった生態系のニッチに急速に適応放散・進化し、次のジュラ紀・白亜紀に地上の支配者として大繁栄への道を切り開く事になります。つまり、白亜紀末(K-Pg境界)の恐竜の絶滅が、新生代に入ってからの哺乳類の急速な適応放散・進化を可能にしたのと同様に、恐竜達は大量絶滅によって誰も居なくなった生態系に、生存闘争や自然淘汰などと言った馬鹿げた事に邪魔される事なく、自由奔放に進出して自らの能力を存分に発揮できた事で、劇的な進化が可能になった訳なのです。
図86)オルニトミムス・エドモントニクス(ロイヤル オンタリオ博物館、白亜紀後期)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
高速の捕食者として誕生した恐竜ですが、最速の恐竜は白亜紀後期に北米大陸に生息していた、ダチョウ恐竜とも呼ばれるオルニトミムスです。全長は約3.5mで細長い脚を持ち、最高速度は時速60~80kmにも達したと言われます。
図87)ティラノサウルス・レックス(スー、フィールド自然史博物館)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
さて、二足歩行の捕食者としてティラノサウルスに触れないと、恐竜ファンからそっぽを向かれるでしょう。白亜紀末に北アメリカ大陸に生息していた獣脚類の巨大な肉食恐竜で、最大全長は約13m、最大体重は約9トンに達したと言われます。走行速度については、体重6トンの個体で時速30km前後と考えられています。この巨体で時速30kmものスピードで獲物を追いかけたと言うのも驚きですが、実はもっとスピードが出せた可能性が有るのです。
恐竜の気嚢システム
図88)鳥の肺と複雑な気嚢の配置
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
実は、恐竜(竜盤類)は呼吸システムとして、鳥類と同様の気嚢システムを進化させていました。そして、この空気の袋を骨の空洞の中にも配置して、骨が含気骨(骨の内部に空気の入った空洞が有る)化していました。獣脚類が鳥の祖先だった事を考えれば、ティラノサウルスが鳥と同様のトラス構造を備えた中空の軽い骨と、軽く強力な筋肉を持っていても不思議では有りません。こうした点を考慮すれば、ティラノサウルスの体重が想定よりも軽かった可能性が有るのです。そして、もし体重が3~4トン程度と軽量であれば、時速40~50kmのスピードが出せたと言うのです。
図89)鳥類の吸気と呼気のサイクル
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
因みに、鳥類が発達させた気嚢システムと言うのは、 肺の前後に気嚢と呼ばれる空気の袋を持ち、この気嚢をふいごの様に膨張・収縮させる事で、肺に空気を一方向に送り込む呼吸システムです。これは哺乳類の肺呼吸の様に、袋状の肺に吸い込んだ空気を呼吸ごとに吐き出す必要が無く、常に新鮮な空気で肺が満たされる為に、非常に高効率な呼吸システムになっています。酸素の空気中からの摂取効率は、海抜0mでは鳥類は哺乳類より33%高く、標高1500mでは差はさらに拡大して200%も高くなると言います。その結果、鳥類は空気密度の低い上空1万mでも呼吸が可能で、アネハヅルやインドガンはヒマラヤ山脈を越えて渡りをする事が出来る訳です。
図90)非鳥類型獣脚類(マジュンガサウルス)と現生鳥類の気嚢(紫色:肺、空色:前気嚢、緑色:後気嚢)
(出典:ウィキメディア・コモンズ)
鳥類の肺は、両端が開いた細いパイプを幾つも束ねた様な構造で、それ自体は膨張・収縮ができません。その為、肺に空気を送り込むふいごとして、気嚢を肺の前後に備えている訳です。こうした構造の結果、肺自体は哺乳類のものに比べて小さいのですが、呼吸を補助する大きな体積の気嚢が必要になっています。哺乳類の肺は身体の体積の7%に過ぎませんが、鳥類では気嚢の体積が身体の15%にもなっているのです。
図90)を見れば、この気嚢システムが如何に大きな体積を必要とするか良く分かります。また、体内にこれだけ大きな空洞が存在する事を考えれば、鳥の体重が軽い理由も納得がいくでしょう。つまり気嚢を備えた恐竜は、その大きな図体から想像されるよりもずっと軽量だった可能性が有るのです。それだからこそ、小型恐竜が大空へ進出する事も可能だった訳です。鳥や恐竜は、我々哺乳類とは全く異なる身体構造を持つ生物だったのです。そして、恐竜はこの鳥の仲間なのです。鳥の様に軽量化した身体構造を持つ恐竜が、獲物を追って二本足で高速に走り回っていたとしても不思議では無いでしょう。
こうして中生代後半のジュラ紀・白亜紀には、二足歩行で高速走行する巨大な肉食恐竜が地上に君臨する事になったのです。二足歩行を採用した捕食者が地上を支配していた事を考えれば、二足歩行が四足歩行に劣ると考えるのは根拠が無いと分かるでしょう。我々人類が速く走れない事から、二足歩行は高速走行に向かないと思うのは単なる先入見に過ぎません。人類の走行速度が遅いのは、我々の祖先が速く走る方向に進化しなかったと言うだけの話です。その代わりに、人類は長時間・長距離を走る方向に進化して行きます。つまり、スピードを競う短距離走ではなく、持久走・長距離走を目指したのです。こうして獲得したのが、現在のヒトの身体なのです。
(つづく)