EDENSZERO第293話『友達』感想② | ルーメン・イストワール

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EDENSZERO第293話の感想②です。

①はこちら。

 

星の記憶

レベッカが子を産むその時、時を同じくしてマザーと対面してるピーノ

どこかの宇宙で無数の流れ星が煌めくような世界でマザーと向き合っています。

ピーノは「私はたしか…機能を停止して…死……」と言っていて、どうやら291話ラストで意識を失った直後の様子。

前回は地球が救われた話が描かれ、その地球では16年経ちシキとレベッカが出会い、数年が経った四季大宇宙ではレベッカが出産しようとしている今現在。

前回・今回で時を駆け巡りましたが、ピーノだけが止まっていた時間。

今ここでシキ達の刻んだ時間とリンクしました。

マザーが説明するのは「ここは星の記憶です 全ての時間と生と死の世界」

「星の記憶」は、真島先生の過去作『RAVE』にも『FAIRYTAIL』にも存在する語句。

それぞれ示す意味は違いますが、どちらにも「星の記憶」とされるものが存在しています。

EDENSZEROが宇宙モノだと分かった時から絶対星の記憶は出るだろうな〜〜!と思っていました。

しかし、話も最終盤を迎え流石に読みは外れたかと思っていましたが、まさかこう繋がるとはw

マザーは地球に戻ってしまいましたが、オーバードライブによって生まれたマザーの概念のようなものはどこか別の時空に存在しているという事なんでしょうか?

思えば、マザーは正体が地球というだけでは全ての説明のつかない特別な存在です。

シキに宇宙の運命を二分する選択肢を与える事ができたり、時喰みに喰われた事を認識できたり、未だにどういう事だったのだろうという謎を抱えている。

マザーは、かつて地球でしたが、星のオーバードライブという本来あり得ない事象が起きた事で、他ではあり得ない特異な存在になってしまったのかもしれません

この「星の記憶」とは、かつて二万年後の世界で惑星エデンの機械が祈りを捧げていた「青き楽園」なのでしょうか?

エデンの機械は「マザーよ…この者たちの魂を…青き楽園へ導きたまえ」と言っていたんです。

マザーは「魂」を司る存在だと思われていた。

もしかしたらそれは「全ての時間と生と死の世界」である「星の記憶」を指していたのかもしれません。

 

マザーに会った者はもう一度生まれる

「あなたのおかげで私は救われ地球の姿に戻る事ができました」と感謝を伝えるマザー。

「今度は私があなたたちを助ける番です」と視点を変え「マザーに会った者はもう一度生まれる」という言葉が回収されます。

これは物語最初期から言われていたマザーの伝説。

エルシーが教えてくれた話です。「そういえばジギーがこんな話をしていたな…マザーにたどり着いた者はもう一度生まれる」

この言葉の真意はずっと分かっていませんでした。

「もう一度生まれる」というぐらい自分が大きく変わるような夢を叶えてくれるのかな?と個人的に思っていた。

最終話にてついにその言葉が回収。

「マザーに会った者はもう一度生まれる」の言葉の通り、ピーノは「人間」としての転生を叶えました。

ずっと念願だった「人間になりたい」という夢を叶えた。

結局マザーが願いを叶えてくれるというのは本当だったという事なんでしょうか

個人的にはそれはシャオメイがシキ達をマザーまで導く為のブラフでマザーにそういう力はないと思っていたのですが、最終話で覆りました。

やっぱりマザーに叶えられない願いはなかった…??

今回の話を読むと、とはいっても叶えられる願いと言えば「転生」の類だけという印象を受けました。

「マザーに会った者はもう一度生まれる」の言葉の通り「転生」の類じゃないと不可能な気がしました。

本当に願いに制限がないなら「マザーに会った者はもう一度生まれる」という伝承は生まれないと思うんです。

わざわざああいう言い回しになったからには「転生」の類のみ叶えられるからじゃないかと。

しかしこの「転生」というのがミソで、要は「人生をやり直す事ができる」という意味になると思います。

人の抱く「願い」というのは根本的に「後悔」と結びついてる気がするんです。

だから「人生をやり直す事ができる」というのは「どんな願いでも叶える事ができる可能性を秘めてる」んじゃないかと。

そういう意味で「転生」と言っても「あの時あの場面の自分に戻りたい」とかも叶えてもらえる願いの範疇であってもおかしくないんじゃないかと思いました。

星の記憶は「全ての時間と生と死の世界」ですので。「時間」も操作可能。

この解釈なら、過去にマザーに到達したかもしれない人物もどういった願いを叶えてもらったかロマンが広がるなと思いました。

 

勇者

ピーノの事を「シキを支えここまで連れてきた勇者」と表現するのも良いですね。

ピーノにおいては「英雄」ではなくて「勇者」なんですよね。

こういう些細な言葉の持つ意味を考えるのも好きで、この物語において「英雄」とは特別な意味を持っているんです。

シキの「魔王として破壊の限りを尽くさなかった方の未来(2話)」であり「マザーを救う存在(276話)」であり「冒険の果てに得る称号(1話)」。

総じて「シキの二分される未来の一つ」で、それはシキが持ちうる可能性でした。

他の誰かに使われる言葉ではなく、ここで「英雄」が出てきたら解釈違いだった。

ここでピーノのは「勇者」という言葉が使われるのが面白い。

ピーノって「勇者」だったんだという発見がありました。

思えば、ピーノは魔王四煌星の後継機として「エデンズの"光"」と呼ばれていました。

その意味はエデンズワンを倒す意味で作られたからではないかと思っています。

あの「光」というのも「勇者」という言葉と繋がる。

「光」で「勇者」と言えば、真島先生の過去作『RAVE』の主人公・ハルで、以降も真島作品において「勇者」は「光」で「ハル・グローリー」のイメージが強く描写されます。

だからピーノが「勇者」と言われて腑に落ちた。

「勇者」だから「エデンズの"光"」だったのかと

EDENSZEROにおいて「魔王」と対比されたのは「英雄」。

だから「英雄」が「魔王」と交わる事はなかったですが「勇者」なら「魔王」を導く事ができたのですね

壮大で勇敢な心を持ったピーノ。

ノーマで記憶を失った状態で再起動し、旅を経た成長は「裏主人公」と言うに相応しい功績でした。

その物語の過程も「勇者」という言葉がしっくりくる。

EDENSZEROは「魔王の物語」であり「勇者の物語」でした

 

ピーノの夢の結末

「今…シキに子供が生まれようとしています 人間の女の子」と状況を説明するマザー。

「あなたはその子として生まれます 人間として生きていくのです」と言い、ピーノの夢を叶えました。

シキとレベッカの子は無事生まれ「名前はもちろん…」「うん」「ピーノ」と約束されし未来に向かう物語。

もうこの時点で感動的で、かくいう自分ももしピーノの「人間になりたい」という夢が叶うならシキとレベッカの子供だったら良いなと想像していました。

完全に期待していた絵面に多幸感に包まれる未来。

素晴らしい最終話ありがとうございましたという気持ちを全裸待機させていたその時、突如「ちょっと待って下さい」と後ろから入ってきた機械生命体のピーノ

「勝手に名前を使う事は拒否します」と拒みました。

大粒の涙を流してピーノを抱きしめるシキは感動的な再会なのですが、気になるのはそうなった経緯

ピーノは星の記憶でマザーに「機械の姿」で再び生きる未来を選びました。

「ご主人の子供はご主人の子供です」と区別し「私はこの姿で冒険をしてきました 私は私なんです 機械とか人間とか気にしないんです 私のご主人は」と答えました。

ピーノはずっと「人間になりたい」という夢を追ってきて、それはこのユニバース0での最終決戦でも大切にしていたものでした。

しかし、それを目前であえて手放すという判断。

完全に予想外の展開で、なのに凄く納得感がある。

この姿でシキ達と友達になり、この姿で冒険をしてきたピーノだから、機械の自分を大切にしました。

「人間になりたい」という自分の夢を否定したわけではありません。しかし、この旅を通してそこまで大事な夢以上に大切なものを見出す事ができたんです

人間になれたらもちろん嬉しかったし幸せだったと思うけど、それはその夢以上に大切なものを手放す事になるんじゃないかと。

言ってしまえば人間として生まれたらそれまでの記憶を失ったかもしれない。

そうなるくらいなら、記憶を残した上でシキ達とずっと友達でいたいと思ったんじゃないでしょうか

 

友達

この結末の何が凄いってシンプルに順当なハッピーエンドというわけじゃなく、今まで丁寧に紡いできたものにあえて反する選択を選んだというところです

こういう結末意外性はあっても納得感が生まれるのってなかなか難しい。

だって読者だって一緒に旅をしてきたから。

ずっと読んできた物語にある意味らしくない結末が描かれたら当然受け入れ難い。

ある種の作者のエゴのようなものが暴走し、読者は何も望んでいない結末になりそうなものです(実際奇を衒い過ぎてよく分からない作品になるのもあるあるだしな)。

しかし、今回のピーノにおいては「確かに物語を通して至るべき答えはこうだった」と思える納得感がありました。

今にして思うと、自分もよく想像していたピーノがシキレベの子として生まれ変わりってENDは寂しい思いもあったと思います。

事実、前回の地球での転生の時点で既にやっぱり寂しさは拭えず心のどこかで「再会」を願っていた。

そういう気持ちもあってやっぱりシキ達とピーノの再会はこの上なく嬉しかったし、あえて再び「機械の生」を選んでくれたところに何よりこの旅を肯定していると感じました

シキ達もそうですし、ずっと読んできた自分にとってもエデンズゼロは特別な存在です。

他で替えがきかない大切な存在、大切な日々。

それをピーノの最終的な答えが認めてくれていたと思います。

「私はこの姿で冒険をしてきました 私は私なんです」ってある意味読者の自分も共感する言葉です

他でもないEDENSZEROだから読んできた時間は自分にとってEDENSZEROだからこその特別な日々だった

「機械とか人間とか気にしないんです 私のご主人は」という言葉は、旅立ちのグランベルでレベッカが言っていた言葉。

「友達って機械とか人間とかじゃないでしょ!!!!」

この言葉に支えられて立ち上がり、ノーマでは次はシキがこれを口にしてピーノの心を救っていました。

「機械とかじゃねえ 友達だろ!!」

「機械とか人間とかじゃねえ」精神…これもEDENSZEROで再三強調されたテーマです

この言葉が最後に再び出てきたのも特別だった。

この言葉を受け取ったピーノが変わるには十分過ぎるほど説得力があり、物語のラストアンサーであり、全ての原点回帰でした。

 

エデンズゼロの仲間たち

目覚めたピーノを見る全員のリアクションも何気に面白い。

数年経って目覚めるんだからそりゃ驚愕だよな〜。

全員幽霊を見るかのように驚いてる。

中でも面白いのはギャグ顔ぐらい気の抜けた顔をしてるワイズですが。

あのメンバーの中であそこまで脱力感溢れる表情を浮かべる事ができるからワイズは好き。

良い意味で気取ってないのが好感持てるのです。

ピーノに駆け寄る皆の光景も幸福に満ちてた!

全員友達を想う優しい表情を浮かべていて、こういうアットホーム感こそEDENSZEROの魅力だったよなぁ

FAIRYTAILの暴れん坊的なパワフルさとは違う寄り添う優しさがEDENSZEROの居心地良さだったと感じています。

まさにピーノを囲む仲間達はそういう穏やかな空気で満ちていました。

真っ先にピーノを抱き抱えるシキは順当として、次に駆け寄ってるのがハーミット、ワイズというのも何だか良かった。

この二人は「傷を抱えているから優しくできる」心があって、二人らしいなと感じました。

あの面々の中でも人一倍ピーノとの再会を嬉しく思ってる事実が嬉しい。

「機械とか人間とか気にしないんです 私のご主人は」に続いて、最後にピーノが言ったのは「エデンズゼロの仲間たちは…」

「エデンズゼロ」が映し出されて「THE・END!」

シキだけじゃなく、エデンズゼロの仲間全員人間も機械も大切にしていました。

レベッカはハッピーと親友ですし、ホムラはヴァルキリーの弟子ですし、ワイズも昔機械の友達がいました。ライトニング・ロー戦でラグナも「人間と機械の共存」について「いや…もう現実になってるんだ 少なくともオレ達の船では…」と言っていました。

「エデンズゼロ」というグループのテーマは間違いなく「人間と機械の共存」だったと思います。

他とは一線を画す人間と機械の友情がエデンズゼロたらしめるものだった。

そんなラストアンサーを象徴するラストページ。

FAIRYTAILの「みんなにも見つかるといいね 妖精の尻尾のようなかけがえのない存在…愛する仲間たち」に対する「機械とか人間とか気にしないんです 私のご主人は エデンズゼロの仲間たちは…」

個人的に最終話予想として時喰みの「楽園(エデンズ)など無(ゼロ)だ」発言で否定的なニュアンスでタイトル回収が塗り替えられてしまった事から、最後は肯定的な意味でタイトル回収がされるのではないかと思っていました

ある意味これはそうなったかな。

「エデンズゼロ」という仲間の存在その特別性が際立ったラストページはこの物語の終わりに相応しい!

日が照らす船の景色も綺麗で幻想的で見惚れました。旅の終わりに相応しい景色でした

 

6年間、ご愛読いただきありがとうございました!真島先生の次回作にご期待ください♪単行本最終33巻は、8月16日(金)発売予定です!!

 

EDENSZERO…完結お疲れ様でした!!!!

自分も気がつけば(?)1話から最終話まで感想書き切ってました。

FAIRYTAIL連載時からこのブログは運営していたのですが、その時は毎週感想書けるほどのスキルがなく、当初は連載初期だけちょっと書けたらいいや的なモチベーションで始めたのが毎週の感想ブログでした。

まさかこんなに続くとは思わなかったです。

最初の頃は書くのも一苦労で、本当に全然書けない時もあって、書いてアップした瞬間から今書いた感想記事を嫌いになるぐらい自己嫌悪激しくエネルギーにムラがありました。

いつしか毎週スムーズに書けるようになり、ちょっとずつ色んな書き方、編集、構成に手を加えていって、今自分の満足いく感想記事が書けるようになっています。

ブログ大好きでずっと続けていますけど、自分の中で進化できたのは『EDENSZERO』が大きかったです。

毎度感想を書く事も含めて自分にとって「読む」という行為で、毎度細かいところでも気になったポイントはピックアップしてここの面白さを掘り下げてみたり、この存在の正体や意味は何なのかと真面目に考えてみたり、自分のEDENSZEROに感じた思いを全部ぶつけました。

大袈裟に言うと、物語の終わりを見届けた今でも初見時の感想を呼び起こす事ができるのがこのブログです。

ここまで自分が頑張る事ができたのは、一重に『EDENSZERO』の面白さがあり、連載初回から毎週リアルタイムで追える事ができたのは貴重な体験でしたし、毎週色んなキャラとの出会いや戦いをワクワクして読んでいました

中でも1番思い出深いのは、やっぱりジギーの真相が明らかになる楓大戦編あたり

200話ラスト、実に4年ぶりに「二万年後」描写に触れられるのは、自分の中で通称「200話ショック」と呼ばれていて、大きな衝撃と興奮がありました。

あの時ほど早く次を読ませてくれと願った事はないです。ジギー=シキも予想はしてたもののその話の繋がり方、「エデンズゼロ」というタイトル回収と物語の起源に読んでて脳汁がドバドバ出ました

FAIRYTAIL、RAVEと比べて売上的には振るわなかったというのは、EDENSZEROを語る上で避けては通れない観点かもしれませんが、それでも自分は声を大にして言いたい。EDENSZEROは面白かった

マザーの正体、ジギーの正体、物語のループ構造、ベリアル・ゴア編でのターニングポイントだったり、葵大戦の全てを変える結末…どれも真島先生にしか描けない壮大なストーリーで大好きでした

最近のマシマスペースで「EDENSZEROは話が難しかったのが反省点」と言っていて、真島先生の中で反省もあるのかなと思うのですが、何なら話が難しかったのも自分は面白かった部分だと思ってるし、RAVE、FAIRYTAILに負けず劣らずの面白い漫画だった事が真島先生に伝わると良いなと思ってます。

キャラクターも大好きで、ジギーが生まれたのは発明だと思ってますし、メインキャラだとワイズ、ハーミット、ジンが好き。

もう彼等に会う事ができないと思うと本当に寂しい。

願うなら、どういう機会でも良いからまたエデンズゼロの仲間たちと会いたいな。

真島ヒロ先生、EDENSZERO連載お疲れ様でしたずっとEDENSZEROは大好きです!!!!