京都御所の徹底ガイド | 西陣に住んでます

京都御所の徹底ガイド

西陣に住んでます-京都御所

(どの写真もクリックすると拡大します)




京都が1000年もの間に日本の(宮処:みやこ)だったのも
日本の国家元首である天皇宮殿が京都にあったからです。


確かに、鎌倉時代と江戸時代には、

それぞれ後の世に鎌倉幕府江戸幕府と呼ばれる

日本の政治・行政の実質上の中枢機関が京都以外の地にありました。

ただ、これらはあくまでも「幕府」であり、そのオフィシャルな意味は、

「天皇に任命された征夷大将軍の遠征時の仮住まい」なんです。


そういった意味で、天皇の宮殿があった京都は、

東京遷都が行われるまで、まさに日本の首都だったわけです。

さて、平安時代には、天皇の宮殿は、

平安宮内裏(へいあんぐうだいり)と呼ばれ、今の西陣の南にありました。

ところが、何度も火災を繰り返しながらその位置を変え、

鎌倉時代に現在の京都御所の位置に落ち着くことになりました。


京都御所は、南北朝時代の里内裏(仮の皇居)である
土御門東洞院内裏をベースとして発展したものです。
建物は江戸時代後期の再建ですが、
裏松光世「大内裏図考証」という平安京の内裏の研究書をもとにして
作られたこともあり、平安宮内裏に近いレイアウトになっています。


ということで、

この京都御所は日本の歴史のメインストリームの生き証人であり、

その内部には、日本の歴史を理解する上での

とても重要なエッセンスがあふれています。

京都の歴史的遺産の中でも最も重要な見所の一つといえると思います。


ところが、残念なことに、京都御所を見学するにあたっては、
春と秋の各一週間程度の一般公開を除いては、
手続きをして宮内庁から見学許可をもらう必要があります。

ということもあり、

京都御所の見所は普通のガイドブックには載っていません。


そこで、この記事では、

めちゃくちゃ重要でありながらあまり知られていない

京都御所の見所をしっかりと紹介したいと思います。


ちなみに、今年の京都御所の春の一般公開は
天皇皇后両陛下御結婚満50年記念京都御所特別公開ということで、
通常公開されるエリアの他に北側のエリアが久しぶりに公開されました。

そんな情報も含めて紹介したいと思います。



西陣に住んでます-京都御所




右矢印築地塀(ついじべい)と御門(ごもん)


京都御所

(パノラマ写真です。ぜひクリック拡大して見てください。)


京都御所は東西250m、南北450mの築地塀[→過去記事] の中にあります。

平安宮内裏(東西220m、南北300m)よりもやや大きいです。


京都御所の中に入るには6つの御門があります。


 建礼門:天皇専用の正門(上の写真)
 建春門:勅使・皇后・皇太子が用いた門
 朔平門:皇后御常御殿の正門
 皇后門:皇后御常御殿の通用門
 清所門:御所の通用門
 宣秋門:摂家・親王・門跡・公家が用いた門


というわけで、間違えるとちょっとヤバそうですね(笑)。

それと東北の鬼門の方向には門がありません[→過去記事]


なお、築地塀に近づくと大変なことになることは
以前紹介しました[→過去記事] 。気をつけてください(笑)。



右矢印御車寄(おくるまよせ)


西陣に住んでます-京都御所


御車寄は、昇殿を許された者が正式に参内する時の玄関です。
昇殿というのは、後述する清涼殿殿上の間に入室することを意味し、
昇殿を許された者のことを殿上人(てんじょうびと)といいます。


例外を除き、殿上人は従五位という官位以上の人に限られました。
逆に武士でも従五位に任官され、天皇の許可があれば昇殿できたんです。


例えば源義経は、源平の戦いに勝利した後、
源頼朝に黙って後白河法皇から従五位をもらいました。
これは後白河法皇と義経が密室で内緒話ができることを意味します。
頼朝が義経を謀反と見て討伐したのも当然のことだったんです。


また、戦国武将には、従五位はややハードルが高い官位でした。例えば、
織田信長が従五位になったのは桶狭間の戦いから8年後の1568年ですし、
羽柴秀吉が従五位になったのは天王山の戦いに勝った1582年です。

松平家康は1566年に三河を統一してちゃっかり従五位をもらっています。
信長や秀吉よりも早く官位をもらったのは、系図を操作して
自分は由緒ある源氏の支流であると主張したためといわれています。
そして、このときドサクサにまぎれて、
松平氏から源姓をほのめかす徳川氏に改名しちゃったんです(笑)。


というわけで、従五位というのはかなりステイタスが高いんです。



右矢印諸大夫の間(しょだいぶのま)


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従五位以上の人を貴人といい、その一族を貴族といいます。
貴族は、政務をする公家と武力で奉仕する武家(中世以降)にわかれます。
また、三位以上を公卿(くぎょう)といい、
昇進しても四位が精一杯の下級貴族を諸大夫(しょだいぶ)といいます。
めちゃくちゃややこしいですが(笑)、このことは案外重要なんです。
この諸大夫の間は、正式に参内した者の控えの間で、
身分に応じて、虎の間(公卿)、鶴の間(殿上人)、桜の間(諸大夫)
のいずれかが用意されています。


桜の間(諸大夫)

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鶴の間(殿上人)
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虎の間(公卿)

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全体を「諸大夫の間」というわりには、
「公卿の間」や「殿上人の間」があるのはちょっとややこしいですね。
「諸大夫以上の間」と改名するのが論理的でしょう(笑)。
清涼殿はもちろんのこと、小御所・御学問所とも回廊で結ばれています。



右矢印新御車寄(しんみくるまよせ)


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新御車寄は、1915年(大正4年)、大正天皇即位の礼に際して、
天皇・皇后の使用する玄関として建てられたものです。
先述した御車寄(おくるまよせ)とは違って
御車寄(みくるまよせ)と読むところがポイントです。
これは天皇と貴族の違いを明確に表しているようです。
カルビーとカルビと軽部さんが似て非なるものであるのと似てます(笑)。


さて、写真の馬車は、なんと
今上天皇皇后両陛下がご成婚パレードでお乗りになられた儀装馬車です。
[読売新聞] [朝日新聞] [毎日新聞]

この展示のすぐ横にあったスクリーンにはパレードの様子も映し出され、
ちょっとホロっときました。
そして、私が特にビックリしたのはこの事実です→[産経新聞]

天皇皇后両陛下におかれましても、長年にわたり
この思い出の儀装馬車をご覧になられていらっしゃらなかったんですね。


なお「儀装馬車」のことを「偽装馬車」と
間違えて記述しているネット記事が多いので気をつけましょう(笑)。



右矢印承明門(じょうめいもん)


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御所のメインの建物である紫宸殿は回廊で取り囲まれています。
この回廊の正面にある門が承明門です。
この門には三つの戸があり、真ん中↓は天皇専用ということです。


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こういったディテイルを重んじるスタンスに伝統を感じてしまいます。
なお、回廊の西面には月華門、東面には日華門があります。



右矢印紫宸殿(ししんでん)


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寝殿造紫宸殿は、御所のメインの建物です。
日本で最も重要なセレモニーであった即位の礼
祝日のイベントである節会(せちえ)が行われました。


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この紫宸殿の中央には、天皇が座る高御座(たかみくら)
その東側に皇后が座る御帳台(みちょうだい)があります。


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紫宸殿

(パノラマ写真です。ぜひクリック拡大して見てください。)


こちらが高御座です。


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この高御座の位置こそ日本国で最もオフィシャルな位置でした。
明治天皇大正天皇昭和天皇の即位の礼もここで行われました。
今上天皇の即位の礼は東京の皇居で行われましたが、
その際にはこの高御座と御帳台が運ばれて使われたそうです。


前面の白砂の庭は南庭(だんてい)と呼ばれています。
南庭には、本家本元の左近の桜右近の橘があります。


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左近、右近は、天皇のセキュリティーサービス、
左近衛右近衛の両部隊を意味します。
セレモニーやイベントがあるたび、
この桜と橘の周辺に両チームが配備されていたわけです。



右矢印清涼殿(せいりょうでん)


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平安宮内裏では、清涼殿は天皇の住まい兼オフィスで、
北に面して(正室)・(側室)の殿舎七殿五舎)がありました。

[過去記事]

紫宸殿との位置関係は平安時代のものと同じです。


室町時代になると天皇は清涼殿の北にある御常御殿に生活の場を移し、
清涼殿は重要セレモニーと殿上人とのミーティングの場となりました。


清涼殿の内部は多くの部屋に仕切られています。


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リヴィングにはスタイリッシュなデザインの御帳台があります。


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北側には、后・妃の出張部屋が

2部屋(弘徽殿上御局藤壺上御局)あります。

[源氏物語] をよく知られている方はよくご存知かと思いますが、

弘徽殿藤壺は実際に有力だったんですね。


南側には、殿上人と会う応接間である殿上の間(てんじょうのま)があります。



右矢印春興殿(しゅんこうでん)


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大正天皇の即位の礼の時に建築されました。
即位の礼の時にこちらに三種の神器を奉安(安置)し、
賢所大前の儀(天皇が即位したことを賢所に告げる神事)という
皇位継承のセレモニーを行ったとされています。
賢所(かしこどころ)というのは、

三種の神器のうち八咫鏡が奉安されている建物です。


ちなみにこのセレモニーはかなり重要なんです。
南北朝時代に後醍醐天皇は北朝になんと偽物の三種の神器を渡し、

偽物を使った賢所の儀により即位した北朝の天皇は正統ではないと

後で主張しました。
実際、三種の神器が北朝に戻るまでの間に即位した北朝の天皇は
いまだに第○代天皇として認められていないんですよ~。



右矢印小御所(こごしょ)


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平安時代の内裏の最東部には、昭陽舎(しょうようしゃ)と呼ばれる
皇太子御殿東宮御所)がありました。
この小御所は、昭陽舎代とも呼ばれる建物で、
皇太子の元服(成年式)などの儀式に用いられ、
将軍や諸侯との対面の場所としても使われたそうです。


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1867年(慶応3年)に王政復古の大号令が発せられた夜、
王政復古のクーデターといわれる小御所会議がここで行われたようです。

なお、このとき会議に使われた建物は、昭和29年に
なんと鴨川花火大会の打ち上げ花火が飛び火して焼失してしまいました。
今の建物は、火災後の昭和33年に再建されたものです。

もちろん、鴨川花火大会は今では行われていません(笑)。



右矢印蹴鞠の庭(けまりのにわ)


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読んで字の如く蹴鞠が行われた庭です。



右矢印御学問所(おがくもんじょ)


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御学問所は、皇族の子女に親王または内親王の資格を与える親王宣下
御進講(講演)、月次の和歌の会などに使われたようです。

内部には素敵な絵が描かれています。


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右矢印御池庭(おいけにわ)


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御池庭は、比較的すっきりした池泉回遊式庭園です。

味わい深い欅橋(けやきばし)が架かっています。


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築島もかなり素敵です。


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右矢印御常御殿(おつねごてん)


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この御常御殿から北は、天皇のプライベートスペースが広がります。
室町時代以降、天皇の日常の生活の場として使われた御殿で、
明治天皇は、東京にお移りになるまでここをお使いになっていました。
京都御所内では最も広い建物で、内部は15室からなっているようです。



右矢印御内庭(ごないてい)


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御内庭は私にはかなりポイントが高い繊細な庭です。
を中心とする植栽が素晴らしすぎます。
庭の奥には味わい深い茶室錦台(きんたい)もあります。


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右矢印御涼所(おすずみしょ)


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御涼所は、天皇の夏季の納涼のための御座所ということです。
東からの風を受けるために東面が広く造られていて
奥には茶室も備えているそうです。



右矢印御三間(おみま)


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御三間は、七夕盂蘭盆会などの内向きの行事に使われたそうです。



右矢印皇后御常御殿 (こうごうおつねごでん)


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ここから北のスペースはいわゆる後宮です。

昔の日本はいわゆる通い婚で、夫婦の生活はこちらにありました。

皇后御常御殿は皇后の日常の生活の場として使われた御殿で

後宮の入り口にあります。

ちなみに、平安宮内裏の後宮でも、

中宮(皇后)や女御(身分の高い側室)の住む弘徽殿藤壺は、

後宮の入り口付近に位置しました。


これには理由があります。

天皇が後宮の奥にある身分の低い側室(更衣)の住む殿舎に行くためには、

この入り口付近の殿舎の前を通らなければならならず、

天皇の行動をチェックしやすいというアドバンテージがあったんです。

[源氏物語]光源氏の母君の桐壺更衣弘徽殿女御にいじめられて

亡くなってしまったのはこのためです。

まさに平安京エイリアンですね(笑)。



右矢印飛香舎(ひぎょうしゃ)


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天皇のオフィシャルな住まいが清涼殿であるように

飛香舎は皇后(中宮)のオフィシャルな住まいです。

後に中宮となる可能性がある女御はこのような牛車にのって入内しました。


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こちらは飛香舎の内部です。左側にある窓に注目してください。


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何かしらの木を垣間見ることができますが、これはの木なんです。


西陣に住んでます-京都御所


中庭に藤の木があるので、この飛香舎は藤壺と呼ばれます。

これは平安時代からの伝統です。

[源氏物語] ファンの皆さんはご存知ですよね(笑)。



右矢印若宮御殿・姫宮御殿(わかみやごてん・ひめみやごてん)


西陣に住んでます-京都御所


若宮御殿・姫宮御殿は、天皇の子女が住む御殿です。


西陣に住んでます-京都御所




以上が、京都御所内部の見所の説明でしたが、

京都御所の一般公開のときには、

美しい人形を使って御所の様子を説明するプレゼンテーションがあります。


今回の一般公開では、天皇皇后両陛下の御成婚50周年を記念して

ご結婚に関連する展示がいくつかありました。


三々九度で知られる三献の儀


西陣に住んでます-京都御所


御成婚時の御装束である束帯十二単


西陣に住んでます-京都御所


などです。


こんなふうに京都御所の内部は魅力でいっぱいです。

まだ、観に行かれていない方は、機会があればぜひ訪れてみてください。

ちなみに入場無料です。


そして、一度見られた方も、何度も見られた方も、

行く度に発見があるかもしれないので

リピートしてみるのもいいかもしれませんよ。


ちなみに私は春・秋の一般公開のたびに必ず行ってます(笑)。




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