ときは季節とともに移りゆき、

時代が走馬灯のように変わって

はめぐる。

今は夏。空が青く、紀州の海は

妙に蒼い。

 

 

湯浅広港

 

有田ICから湯浅に入る。

湯浅は古くから醤油の町として

知れらている。

 

顯国神社

顯国神社祭礼

江戸時代には醬油醸造家たちが

家の格子を外し、室内外を飾り

付けをし、町全体が祭一色であ

ったという。現在でも10月中旬

に各町の馬(組馬)が醬油醸造

で栄えた街並みを歩くという。

 

 

 

顯国神社(和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅1914)

 

防波堤(広村堤防)

防波堤と広村堤防の間の道をゆく。

広村堤防は安政元(1854)年11月

5日の安政の津波後に濱口梧陵が3

年余かけ私財1572両を投じ、延べ

約5万7千人が働き高さ6m、基底

の幅20m、延長600mにおよぶ堤

防を完成させる(1859年12月)

これを広村堤防という。

 

 

左(東)側が広村堤防(1859)年

 

東濱口家(現在公園)

濱口家の祖は、房州(現千葉県銚子

市)の「廣屋」という醤油問屋を営

んでいた。

その濱口家の紀州での拠点となった

のが東濱口家住宅(公園)である。

 

 

東濱口家住宅(東濱口公園)

 

東濱口家住宅と濱口梧陵

 

 

東濱口家住宅蔵の安政の津波跡

 

濱口家邸の蔵には安政元年11月4日

午前8時過ぎに東海大地震があり、

翌5日午後4時に南海大地震があり、

そのときの津波の高さ5.04mが蔵

にも現在残されている。

濱口梧陵(1820-1855)は、銚子

の「廣屋」の分家の長男として誕

生し紀州廣村で生まれ、本家の養

子になり34歳のときに7代目儀兵

衛を相続し、後年濱口梧陵を名乗

る。

 

 

 

濱口梧陵と稲むらの火

 

イメージ 4

 

広八幡神社に逃げる村人(「安政聞録」)

 

濱口梧陵と広八幡神社

濱口梧陵は、安政元年の11月5日夜、

津波が襲来した後に梧陵は、自身の

田にあった藁(わら)の山に火をつ

け高台にある広八幡神社への避難路

を示す明かりとして村人を誘導し、

9割以上270人を救った。

 

梧陵が「濱口梧陵手記」に記す。

5日午後4時になり大震動がある。

その激しさは前日のものとくらべ

ものにならない。

瓦飛び、壁崩れ、堀倒れ塵煙が空

をおおう。(略)八幡神社に避難

してみれば、幸いに難を避けて

こに集まる老若男女。

今や悲鳴の声をあげて親を訪ね子

をさがし、兄第を呼びあい、あた

かも、鼎(かなえ・食物を煮る器)

沸いているがごとくである。

道端の10余の稲村に火を放つ。

これで、漂流者にその身を寄せ

安全な場所を標示する。

この計り無駄でなく、この火に

ってかろうじて命が助かったも

の少なくない。

 

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広八幡神社(和歌山県有田郡広川町上中野206)

 

濱口梧陵と勝海舟(出合い)

勝海舟と濱口梧陵との出合い。

嘉永3(1850)年江戸日本橋で

渋田利右衛門は、才能はあるが

しい勝海舟(1823-1899)を

自分に代わって海舟の志を支え、

支援して欲しいと頼まれた梧陵

以後梧陵は、三歳年上の勝海舟

と梧陵は、互いに尊敬し、生涯の

友となってゆく。

 

勝海舟と濱口梧陵(欧米視察)

海舟は、梧陵念願の欧米視察の

機が訪れたことを知らせるために

紀州に来て、咸臨丸で一緒に渡航

することを誘う。

梧陵は悩んだあげく、広村での築

堤、江戸の被災・家業などを優先

し、この誘いを断った。

その後梧陵が宿願の欧米諸国見学

に出発するとき勝海舟は秘蔵の雑

賀孫市の槍の矛先を梧陵に送る。

 

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濱口梧陵(1820-1885)

 

広八幡神社「梧陵濱口君碑」

広八幡神社境内には勝海舟撰文

「梧陵濱口君碑」がある。

 

 

イメージ 4

 

勝安房(勝海舟)撰文による梧陵濱口君碑

 

以下「濱口梧陵君碑」をもとに要約

して記す。

明治17(1844)年5月諸外国の事

情視察のために欧米の旅に航海。

惜しんで余りあるのはアメリカ合衆

国一国で止まった。ニューヨクのホ

テルで病疫、明治18年4月21日享年

66歳であった。

君の学問は現在世の中で最も必要で

大事なものを根幹にして学ばれた。

安政の津波で、君は命じて、砲声を

連発させ、田のほとりの稲むらに火

をつけ、人々はそれを頼りに逃げ、

死を免れた。この機智に長じたのも

世の中で最も必要な学問をした例と

いえる。

私は若い頃君と共に剣道の技を一緒

に学びそれ以来40年となり、まるで

夢のようである。が、君とは再び会

うことができない。

濱口家当主勤太が私に人を通じて君

の平素の行い、業績を記せと頼まれ

その大略を書く。

 

イメージ 7

 

勝海舟(1823-1899)

 

 

濱口梧陵の言葉「後世百世の安堵

を図る」にあるように、梧陵の偉

業を讃えるために、広村堤防には

感恩碑(1933年建立)、広川町

では毎年11月に津波祭を催してい

る。

 

 

湯浅広港

 

 

広八幡神社(和歌山県有田郡広川町上中野206)

 

 

 

 

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