石川豊信の『色あそび』は大人の艶

本、江戸時代の浮世絵春画である。

 

色あそび(皐月・五月夏「柏餅」)

絵の題(右上)に「菖蒲の内ハ女

房次第」とある。

柏餅をたべながら色ことをなす男

女がおり、隣の部屋で男の子がこ

れを見てあそんでいるようだ。

 

 

色あそび(菖蒲の内は女房次第)

 

色あそび「柏餅」

春から夏のかわりめに、田植えの

前に稔りを願い、女性が身を浄め

て穢れを払う行事、五月忌(さつ

きいみ)があり、その後端午の節

句と結びつく。

その日を「女の家」と呼び、女が

英気を養うために好き放題を認め

るという風習が広くあった。

(女房)

菖蒲の内は女の家なれば、私が

のゆくほどなさんせ

(題句)

いとしやとさすって食べる柏餅

(亭主)

柏餅のうまみと開(ぼぼ)のう

まみととりちがふ

 

鎌倉時代頃から「菖蒲」の読み

が「尚武」に通じ、江戸時代に

は兜・刀や弁慶などを模した五

月人形などを飾る祝い方とかさ

なる。

(男の子)

竹馬のひま行(ゆく)駒の足は

やみ芝居のまねしてあそぼう

 

 

いとしやと さすって 食べる 柏餅

 

『色あそび』(十二月・すすはらひ)

題目「十二月十三日すすはらひに

よし」
畳をあげた部屋には、あわせて5

人の女がいる。

男を抱えた女4人、抱きかかえら

れた男は立ったものを、お尻をつ

きだした女に添え突き入れようと

している。

 

 

『色あそび』(十二月・すすはらひ)

 

(狂歌)

すすはらひてどりにせんと

うしろから

皆熊坂(くまさか)の頭巾

(ずきん)きて

 

(狂句)

又藏(またぐら)へどふ(胴)

つきしたりすすはらい

(古札納)

古札をさあおさめませう 

御中(おなか)おさめましょう

あゝ よい事  〱

 

(女)

せん(先)がござんす

(女)

この次はわたし

(女)

ヘンと突きこめどうつきホウ

 

江戸の頃、師走の街では煤払いが

おこなわれ、煤竹売りがやってき

た。

煤払いがおわると、商家では祝儀

や酒が振舞われ、武家でも無礼講

となり、当主や若旦那を胴上げす

ることが慣例になっていた。

 

 

石川豊信『色あそび』(すすはらひによし)

 

石川豊信と石川雅望

石川豊信(1711-1785)は絵師

であり、狂歌で当時よく知られた

石川雅望(狂歌名宿屋飯盛)こそ

石川豊信の子である。

 

石川豊信、さすが絵師の浮世絵春

画。

「色あそび」で、男は立ったもの

を、お尻をつきだした女のところ

に突き入れ、さらに、かかえら

ながらもその右手の指先、それに

右足の指先は女の開(ぼぼ)にあ

り。これぞ春画の逸作なり。

 

この父にしてこの子あり。

石川雅望(1753-1830)の父・

石川豊信は江戸(小松伝馬町)の

旅籠屋商人であった。

 

石川雅望は当時流行した江戸風の

狂(たわ)れ歌・狂歌では宿屋飯

盛の狂歌名で六樹園と号し、五側

という一大勢力の首領となり、国

学者としても名を残した。

 

石川雅望は太田南畝(狂歌名四方

赤良)と同時代に活躍、そして葛

飾北斎『飛騨匠物語』、喜多川歌

麿『画本千鳥狂歌合』とコンビを

組み絵本を刊行。

 

また大坂の陳阿和尚『竹杖日記』の

跋(あとがき)を書いたのが石川雅

望で、大坂の狂歌人とも縁あり。

 

 

<競艶春画(竹原春潮斎信繁)>

競演春画<燃える青春「公家と姫」>ー男と女の物語(255)

竹原春潮斎信繁(燃ゆる青春「七草開」)ー男と女の物語(256)

春潮斎春画(盂蘭盆会「僧と後家」)ー男と女の物語(257)

浮世絵春画(天神祭「競艶」)ー男と女の物語(258)

 

<競艶春画『開註年中行誌』(仮名垣魯文著・歌川芳虎画)>

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浮世絵春画「雷(鳴神)」ー男と女の物語(259)

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浮世絵春画(霜月「顔見世と雪見」)ー男と女の物語(260)