人を見ていると不思議でならない。

と思うことがあり、自分にもありうる

のが、どうも「心の病」と呼ばれる

ものである。

 

ゴッホの心の病気

極端な話だが、狂人と呼ばれたゴッホ。

彼は発作的に切った自分の耳を娼婦に

届け、アルルの村の人々は、この彼を

排斥する運動を起こす。そののちゴッ

ホはパリ近郊に移り、自ら命を発ち生

涯を終えた。

 

その後ゴッホはさまざまな病名がつい

ている。

彼の奇行によって、例えば癲癇(てん

かん)、躁鬱(そううつ)病、総合失

調症(精神分裂症)、境界性障害、横

視症(色覚異常)・ヒステリー(転換

障害)、強迫性パーソナリティ障害(

OCPD)など。挙げるときりがない。

 

ところで、ゴッホが自ら命を絶つに至

った原因は、祖先から受け継いだDNA

(遺伝要因)、家庭環境、人間関係、時

代背景などの影響があり、心の病は、さ

まざなことが重なった結果によるもので、

ゴッホでなくても、誰にもあり得るよう

で、人の心には不可解ことが多い。

 

 

「包帯してパイプをくわえた自画像」(1889年)

 

ゴッホと「心の療養」

南仏アルルでのゴッホ。ゴッホは画家たちが

合宿し、作品を創りだす共同体(黄色の家)

を作り、当時前衛画家といわれたゴーギャン

にアルルに誘いの申し出をし、2人で共同生

活する。

夢を叶えたゴッホ。とこが、ふたりの強烈

な個性はぶつかり合い、アルルを去ろうと

するゴーギャンをカミソリで襲い、ゴーギ

ャンは難を逃れるが、ゴッホは、自分の耳

を切り、馴染の娼婦に「大切にとっておく

ように」と渡し、黄色の家に戻った。

 

 

「黄色い家」(1888年)

 

ゴッホと「境界性パーソナリティ症」

ゴッホは、アルルを去り、自らサン・レミ

の精神病院で療養する。

院長の診断では「うつ病」だった。院内を

自由に散策し、絵を描くことが許されるが、

ここでも激しい感情の嵐が起こり、ひど

く苦しむことになる。

当時のゴッホは「境界性障害」といわれる。

「境界性障害」は精神病と神経症の境界(

ボーダーラインケース)に存在する精神状

態をいう。

境界性障害はのち「境界型人格構造」と呼

ばれ、さらに現在は「境界性パーソナリテ

ィ症(BPD)」の呼び名にかわる。

BPDとして自覚されるまで、神経症やうつ

病と思っている人が少なくないという。

児童虐待の被害者や過食症のひとのなかに

「境界性パーソナリティ症」を併発してい

るケースが多いという。

 

 

 

ゴッホは、サン・レミを去りパリ近郊に移

る。

1890年5月サン・レミの精神療養病院を退

院し、7月パリ近郊のオーヴェル=シュール

=オワーズに転居し、ガッシエ医師(画家)

のもとで療養をする。

 

ゴッホはいう。「僕らは身体的、精神的に似

通っており、僕と同じくメラリンコ(躁鬱症)

の特性を持っているようだ。」とガッシエ医

師はよき理解者であったという。

ところが、入院2ヶ月後7月29日向日葵の画

家は弾丸を腹に撃ち込み、1890年7月29日

ゴッホは37歳で亡くなる。

 

境界性パーソナリティ症(BPD)

BPDは、パーソナリティによって起こる。

ひとは、人を理想化すると極端にその人に依

存する。

全幅の信頼を寄せると、ひとは依存を脅か

すわずかな事であっても絶望や攻撃に移り、

ひとは極端から極端に走ってしまう。

 

かつて、ゴッホは説教師の従姉に情熱を傾

け、アムステルダムまで追いかけた家の前

で、ランプの炎に手をかざしている間だけ

でもいいから会わせてくれと懇願し、拒否

されて家を去る。

さらに子持ちの娼婦に対する同情から結婚

を考え、両親や弟から猛反対される。

 

ゴッホは、ゴーギャンに見捨てられとき、

精神の破綻をきたす。

パーソナリティの幼さ、「白か黒か」の二

分法的な考えに陥り、人間関係でも「白黒」

の極端から極端なスタイルが見られ、ゴッホ

は自ら命を絶った。

 

ところで、このような事態を避けるには、

限界設定のなかでも信頼関係を保ち、見捨

てられないという保証が何よりも大切だと

いう。

 

フランス(オーヴェル)と日本人

ゴッホの死後。ゴッホ終篤の地オーヴェルの

ガッシエ家に日本人が訪ね、ゴッホの作品を

見ている人物がいる。

山本鼎(かなえ)、森田恒友の2人(1914

年)、

里見勝蔵、間部時雄、硲伊之助の3人(19

21)。

里見の訪問記が翌年1月に『白樺』に掲載さ

れる。

 

1922年以降芳名録(3冊)に記録される。

1922年黒田重太郎、中澤弘光、児島喜久

雄、里見勝蔵、土田麦僊(ばくせん)。

2冊目に新たに前田寛治、斎藤茂吉(医師)

らの名がある。

 

1924年7月佐伯祐三一家がガッシエ家を

訪問し、芳名録に署名する。

3冊目の芳名録「出頭没頭」に1928.8.2

5式場隆三郎が訪問、医師の式場隆三郎は

1932年「ファン・ホッホの生涯と精神病」

出版、書簡集「兄フィンセントに宛てたテ

オ・ファン・ホッホの手紙」を式場の名で

出版する。

 

 

 

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