「宗教は移ろい、神は残る」という。
ゴッホは南仏アルルでの黄色い家に芸術家の
共同体を作ろうと夢見て、太陽に新しい神を見
出すようになる。
<ゴッホの「ひまわり」>
ゴッホの黄色い家の共同体に、友人たちにはた
らきかけ、家をひまわりで飾った。ゴッホにとって
向日葵は、伝統的に敬虔な信仰心の象徴であった。
ゴッホの「ひまわり」(1889年)
<ゴッホの「耳切事件」>
1888年ゴッホはアルルでゴーギャンと共同生活するこ
と申し出る。ゴーギャンは当時経済的にも精神的にも
疲弊し、ゴッホの弟が経済的援助をあたえてくれると
いうのでこの誘いにのる。
ゴーギャンとゴッホのアルルでの共同生活は、結局
2ヶ月(1888.10月ー12月)しかもたなかった。
突然発作を起こしたゴッホはカミソリでゴーギャン
を襲い、ゴーギャンは無事であたっが、ゴッホは自
分の後耳を切り、その耳を馴染の娼婦に届けている。
世にいうゴッホの「耳切り事件」で、ゴッホとゴーギャン
の共同生活は終篤(1888.12月)し、ゴーギャンはパリへ
去り、ゴッホはサン・レミ精神療養病院(1889.5ー1890.5)
で療養する。
<ゴッホとサン・レミ精神療養病院>
耳たぶを切ったあとのゴッホ(36歳)。
自ら精神療養を希望しサン・レミの病院で療養。
入院中のゴッホは突然気絶したり絵具を飲みこもうと
し、病院長は「てんかん」と診断をくだすが、これまで
ゴッホの病は何かと取り沙汰されてきたが、いまだ解
明されていない。アルルで「ひまわり」を題材にしてき
たゴッホは、一転して「糸杉に心を惹かれている」とい
う。糸杉は死を連想させる木で、ゴッホにとって夢・希
望が儚(はかな)いものとなり、死や孤独が覆いかぶ
さり、イエスキリストが磔刑に処せられたときの十字架
の木、糸杉を題材にした「星月夜」(1889.6)、「糸杉と
星の見える道」(1890.5)などを描く。
<「星月夜」(1889.6)>
イエスキリスト磔刑の十字架の木・糸杉を題材にした「星月夜」
サン・レミの精神療養病院入院直後、ゴッホは「落ち着
いた場所」と気に入ってたが、半年後嫌気をさし、まわ
りの重度の精神患者によって、発作がましに思えると同
時に恐怖感にさいなまれてゆく。サン・レミに1年滞在後
ゴッホは、弟テオの紹介で、画家で医師のガッシエに診
てもらうことになる。
<ゴッホとガッシエ医師>
1890年5月サン・レミの精神療養病院を退院。
7月パリ近郊のオーヴェル=シュール=オワーズに転居。
ガッシエ医師は、日曜画家で、絵画のコレクターであった。
ゴッホはいう。「ガッシエ先生とは友人、いや新しい兄弟で
あるかのような何かを見出している。それほど僕らは身体
的、精神的に似通っており、僕と同じくメラリンコ(躁鬱症)
の特性を持っているようだ。」とよき理解者であったという。
入院2ヶ月後7月29日向日葵の画家は弾丸を腹に撃ち込
み、1890年7月29日ゴッホは亡くなる。37歳。
ゴッホは、「偉大なものなしにやっていけない」といい、キリ
スト教徒から自然崇拝者へとなっていくが、キリストと葛藤し、
生涯をおくった。ゴッホの死後、弟テオも精神的に不安定に
なり、半年後1891年1月25日ユレヒトの病院で他界する。
医師ガッシエは1909年に永眠する。
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