ひとはどこから来て、何処に行くのか。

人は何者かと夢の楽園を求め続けて

いた画家のゴーギャン

 

<ポール・ゴーギャン>

ポール・ゴーギャン(1848ー1903)は、2月革命の年

にフランス共和国パリで誕生、ナポレオン3世のク

ーデターで、祖母(社会主義者)のぺルーにゆき、

彼が7歳のときに一家はフランスに戻る。のちカトリ

ック系寄宿舎に3年通い、1873年に彼(25歳)はデン

マーク人女性メソット(23歳)と結婚し、2人の間に5人

の子どもが生まれる。実業家としても成功し、彼は絵

画取引の傍ら絵を描き、印象派の画家とも交流していた。

<ゴーギャン(「抱擁」)>

1893年8月ゴーギャン(45歳)はタヒチからフランスに

戻り、タヒチの題材にした紀行文「ノア・ノア」に「抱擁」

(1894ー95年作)を描く。この頃から、人はどこから来

て何処にゆくのかと興味を持ち絵で表現している。

 

 

ゴーギャン「抱擁」(1894-95年)

 

<タヒチ>

1895年タヒチに向かう、二度目のタヒチ滞在となる。

島の娘(14歳)パウラを妻とし、できたその子どもが

亡くなり、彼は幼児の再生や復活を祈りつつ「赤児」

を描く(1896年)。

<「われわれは何処から来たのか>

1897年2月。ゴーギャンの大作、絵が仕上がる。

 

 

ゴーギャンの「われわれは何処から来たか…」(1897ー98年2月作)

 

絵の題が長い。

「われわれは何処から来たのか

われわれは何者か

われわれは何処に行くのか」

(われわれは何処から来たのか)

 

 

絵の右端に幼児が眠る。

幼児のもとはヴァン・ド・ヴェルドの「天使の見守り」

のキリストに対応し、生の始まりがキリスト降誕と重

ねられている。

(われわれは何処に行くのか)

 

 

絵の左端に若い女性と老いた女性がいる。

若い女性は、タヒチの夢の女性「ヴァイルマティ

を描く。

 

 

ゴーギャン「ヴァイルマティ」(1897)

(ヴァイルマティとエヴァ)

ヴァイルマティは、タヒチ島のアレオイ(移動芸能・

祈祷集団)と呼ばれる民の母たる女性で、アレオイ

の最初の人間はオロという神と人間の娘ヴァイルマ

ティのあいだに誕生したという。アレオイは、本能を

礼賛し、性に対して、フリーセックス集団で、性交の

実演までしたという。ところが聖書の教えをひろめに

きた宣教師たちに敵視され姿を消してゆくが、文明

の虚飾を嫌ったゴーギャンにとって、ヴァイルマティ

は魅力ある存在だった。

左端に老婆がうずくまる。

老婆は避けようのない死を受け入れ座りこんでいる。

かつて彼は「ブルタニュのエヴァ」で楽園を追われ、

死すべき運命を課せられるエヴァを描くが、しゃがみ

こんだエヴァの姿は、ゴーギャンが幼年期に過ごした

ペルーのミイラに由来するという。

 

 

ゴーギャン(「ブルタニュのエヴァ」(1889年)

 

<ゴーギャンの夢(何処に行くのか)>

この作の数か月後訃報が届く。いまひとりの娘

のアリーヌが死ぬ。(1897.1)

8月友人に告げる。「アリーヌの死を知って、わたしは

すべてを疑い、挑むように笑った。徳が、仕事が、何

の役に立つというのだ…」と。

最愛の娘アリーヌの死で、精神的な打撃を受けたゴ

ーギャンは同年末に自殺をするが、一命とりとめる。

ゴーギャンを魅了したタヒチの女性。この楽園は静寂

で、ひとの輪廻を描くのか、「われわれは何処から来

たのか われわれは何者か われわれは何処に行く

のか」と語りかける絵である。

その後ゴーギャンは1901年9月にマルキーズ諸島に

渡り、14歳の少女ヴァエホを妻にし、1903年5月8日

ポール・ゴーギャンは急死する、54歳。

 

 

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