戦国時代に一漁村であった泉州大津の
地に、紀州九度山のあの幸村一族の真
田紐がどうして伝わったのだろう。
紀州街道の大津川に架かる盾並橋北詰が泉大津
大津
大津は現在の泉大津。
南海泉大津駅前、アルザツインタワー
紀州街道の大津
真田庵から岩出に出て、風吹峠越えで、
大津までは約60km。
「天保国郡全図」天保8(1837)年
風吹峠を越え、信達、市場、貝塚、岸和田、
大津にはいる。
ここは大阪湾に面し、紀州街道沿いにある。
戦国時代に真鍋氏が、大津浦の近くの高台
に城を築き、戦に備えていた。
後の天正14(1576)年にこの城跡に南
溟寺(なんめいじ)が創建され、周辺は緑
照寺、強縁寺などの寺もあり、寺町のよう
な景観であったようだ。
真田幸村が大坂にはいった大津は津御堂(
南溟寺)の周りに寺が幾つかある漁村だっ
た。
堺から大津に
堺は大津の北にあり、大津から堺まで約7
km。
「天保国郡全図」天保8(1837)年
真田幸村が九度山で考えだした真田紐は、
後藤又兵衛によって大津に伝えられといわ
れている。
堺行て来て、真田(オリヤ) を習ふて
それは 泉又の 又兵衛さん。
の俚謡があり、和泉(河合)又兵衛は堺
より真田織を習得し泉大津に伝えたよう
だ。
大津の村人は、堺の市で魚を売りさばく
一方で、真田紐の技術を習得し、大津に
その技術を伝えたようだ。
明治には、真田紐の副業が80軒を越え
たが、いまは真田紐を生産しているとこ
ろは無いが、これを基盤に明治以降、毛
布の製造がはじまり、現在、国内の9割
を越える生産をしている。
真田織の商家「金比羅参詣名所図会」
真田幸村とゆかりがある泉大津を
訪ねてみた。
南海電車の泉大津駅近くにあるテ
クスピア大阪の泉大津市立織編館
(おりむかん)にゆき、真田紐な
どの展示を見、「真田紐の美と歴
史」を参考にして記す。
真田幸村脱出図
紀州・九度山(和歌山県伊都郡九度山町)
4月16日
4月17日
4月18日
4月20日