癌告知~手術までの経緯(その8)&6月28日のオンコロ腎がんセミナーに参加しました! | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

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2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

皆さん、こんばんは!!

Kazuです。ニコニコ

 

癌告知~手術までの経緯(その7)を書いてから1カ月以上過ぎてしまいました((+_+))

あと数回書かないと現在の薬物療法開始までの期間の話が抜け落ちたままになるので、遅くなりましたが続きを書いていこうと思います。

 

と、その前に1つ報告を。

先日ブログで告知していた、6月28日のオンコロセミナー(【第42回 腎細胞がん】がん医療セミナー)に参加しました。

講師は虎の門病院 臨床腫瘍科の三浦裕司先生。

 

講義内容の詳細は書けませんが、腎がん患者からヘルスケア・製薬企業関係者/医療機関関係者まで満足できる、非常に充実した内容のセミナーでした。

私にとっては非常に分かり易い内容でした。

 

しかし、j元々このセミナーは腎がん患者・その家族だけでなくヘルスケア・製薬企業関係者/医療機関関係者も対象としているので、専門的な内容にも触れられています。

なので、腎がんについて全く知識が無い方には、少し難しい内容だったかも知れません。

しかし、三浦先生は、難しい内容を分かり易く漫画のイラストで例えて説明してくれたりしたので、知識のない方にもかなり配慮した内容だったと思います。

 

会場はほぼ満席になるほど多くの方が参加していました。

そして、その中には私が所属している患者会:avec(再発転移治療中の腎がん患者会)の方、或いはshiro-ouさん主催の腎癌カフェや、松さん主催のJGオフ会、ツナマヨさん主催のツイキャスに参加されている方も多数来られていました。

(本人の了解を得ていなので、ニックネームは差し控えます)

 

直接お会いするのが初めての方、或いは私がkazuと分かって声をかけて頂いた方もいて、非常に嬉しかったです。

また、来週末も腎がん研究会の市民講座セミナーに参加しますので、仲間の皆さんとお会いするのを楽しみにしています!

 

*****

さて、では本題の話の続きです。 

今回は、手術翌日から退院までの話になります。

 

ここで、予めおことわりしておきますが、当時のことは完全に記憶頼りであるため、1日単位での行動は正直覚えていません。

一応、病院の説明資料を見かえして書いていきますが、多少ざっくりした話となる点はご了承下さい。

 

手術翌日は、殆どがベッドで横になっていました。

一応、病院からの説明での観察事項は以下の通りです。

・尿の管の状態確認(血尿などが無いか)

・胴部のドレーン排液の性状確認

・創部などを観察。

・血圧、脈拍、体温を朝・昼・晩に測定

 

それと、傷口は暫く痛かったのですが、これは常時痛み止め薬(カロナール)を点滴することで対応しました。

なお、痛み止め薬の点滴は(痛みの程度に応じて)患者自身が投与出来ます。

 

どういうことかというと、背中に挿してあるチューブが痛み止め薬(カロナール)が入っっている点滴と繋がっており、患者が備え付けのスイッチを押すと自動で投与される仕組みとなっています。

但し、1回投与すると次に投与出来るのが8時間後になります(薬剤の過剰投与を防ぐため)。

誤投与を防ぐため、器械が間違って8時間以内に投与スイッチを押しても薬剤は(8時間経過していないと)投与されない安全装置が組み込まれています。

手術直後はまだ麻酔が効いていてあまり痛みを感じなかったのですが、麻酔が切れたら(当たり前ですが)傷口がズキズキ痛んで、1日に何度も痛み止めのスイッチを押していた記憶があります。

 

そうそう、手術前に主治医から

「傷口の痛みは点滴の痛み止めで緩和されるが、くしゃみや咳をすると薬の効果は無く、恐らく激痛が走るので、なるべくくしゃみや咳をしない様にして下さい」

と言われていました。

しかし、もともと私は肺に転移した癌により咳が止まらなくなって病院に行ったのが、腎臓がんが判明したきっかけ。

なので、「咳をしないで下さい」は、私にとって「痛みを抑えるために呼吸をしないで下さい」と同じ位に無茶なお願いでした(>_<)。

案の定手術直後は咳で激痛に悶えることとなりました(涙)

 

しかし、幸いなことに手術から数日経過して咳の頻度は徐々に治まってきました。

この時は何もしていないのに咳が治まる理由が良く分からなかったのですが、とにかく傷口の激痛から解放されたということで、あまり理由は深く考えていませんでした。

実は退院後の検査で咳が治まった驚愕の理由が判明したのですが、その理由は次のブログで書きますね。

 

*****

話は手術後の経過に戻ります。

手術後の食事についてです。

手術の翌日は食事を取ることが出来ません。

まあ、体に4本の管が刺さっていて、ベットから自力で起き上がることさえ出来ない体では当然です。

そのため、栄養の補給は点滴で行い、また同時に手術後の感染症予防のため、抗生物質の点滴を行いました。

そして、何日目から食事を再開したのかははっきり覚えていないのですが、恐らく3日後前後だったと思います。

そして、食事を再開してから、とんでもないことが起きました!

それは、次のブログで書きますね。

 

*****

入院中は退屈で(笑)毎日同じことの繰り返しだったため、インパクトのあったことしか記憶に残っていません。

その退屈な入院生活の中で真っ先に思い出す印象深い出来事は、手術の翌日にいきなり歩かされたこと(笑)

ちなみに手術前の説明で、容体を確認して問題無ければ、早ければ手術翌日に看護師と一緒に歩行することは予め言われていました。

 

しかし、実際に手術翌日は傷口はズキズキ痛むし、気力も体力も無くて、とてもベッドから起き上がるなんて出来ない状態でした。

なので、歩くのはとても無理!と思っていました。

 

手術の翌日の午前中に看護師さんが来て、

「kazuさん、まずはベッドから体を起こしましょう」

と言われて、電動ベッドのスイッチを入れてくれました。

すると、ベッドが折れ曲がって、体が起き上がる体勢に!

何しろ腹筋の部分に沿って20cm以上ざっくりとメスをいれているので、腹筋使って自力で体を起こすことなんてとても出来ません。

しかし、電動ベッドでは苦も無く体が起き上がる体勢になったので、これは素晴らしい!とちょっと感動しました。

健常人だと、何とも思わない動作が出来なくなることで、当たり前の日常生活を送れることは、実は大変尊いことで感謝しなければならないことなんだと、その時はしみじみ思いました。

(でも、私もそうですが、人間喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうんですよね・・・)

 

そして

看護師:「では、ちょっとベッドから足を下ろしてみますか」

と言われ、言われるがままゆっくり足を下ろすと

看護師:「では私が支えますので、行けるところまで歩いてみますか」

と言われました。

 

これにはビックリ!ガーン

Kazu:「いやいや、絶対に無理です!」

と言ったものの、取り敢えず、一歩二歩でも出来るところまでと看護師さんに押し切られて、結局歩かされました(笑)

 

ちなみに体中に管が刺さっているので、点滴や尿パック等をスタンドにかけて、看護師さんに支えられながら歩きました。

とは言ってもやはり体力は全然なく、傷口も痛むので、病棟のフロアをゆっくりと半周してベッドに戻ってきました。

歩く前は「絶対無理!」と思っていましたが、意外と歩けとことにも驚きました(笑)

 

その後も主治医の回診時に、予後が良くなるように歩くことが重要!とにかく歩いていて下さい!と言われました。

 

その後は、徐々に歩く距離を伸ばしていき、最初の頃は午前と午後でそれぞれ20分ずつを目安に歩き、手術後1週間を超えてからは午前・午後それぞれ1時間ずつ歩く様にしていました。

 

ちなみに知人から聞いた話ですが、30年位前は開腹手術した後は絶対安静で、それこそベッドで2週間位寝かされていたそうです。

 

しかし、今では手術後にずっと動かないでいると予後不良に繋がるとのことで、手術後から直ぐに動くようにして、手術後1週間程度で退院することが平均的な手術パターンだそうです。

恐らく、歩いて体を動くことでイリウスなどの癒着防止やエコノミー症候群(肺血栓)などの防止としているのだと思っています。

 

*****

手術直後は経過観察のため、最初に入院した6人部屋ではなく2人部屋で過ごしましたが、(確か)手術後3日目に元の6人部屋に戻されたと記憶しています。

 

そして、手術後は4本の管が体にささったままでしたが、数日で腹腔内のドレンから血液や体液が殆ど出なくなったため、最初にドレンの管を抜きました。

その後、数日後に背中の痛み止めと尿道カテーテルを抜いて、最後に点滴の管を抜いたと記憶しています。

手術後の3・4日は看護師さんに体を拭いてもらい、その後体から管が抜けたのと、傷口が塞がったタイミングを見てシャワーの許可が出たと記憶しています。

 

それと、最初の2日間は電動ベッドだったので、スイッチ一つで体を起こすことが出来ましたが、その後6人部屋に移動した際は通常のベッドに戻っていました。

そのため暫くは、腹筋を使って自力で起き上がることが出来ませんでした。

(妻が見舞いに来た時などは、手を引っ張ってもらって体を起こすと非常に楽だった記憶があります)

 

この対応として、看護婦さんがベッドの柵に紐を縛り付けてくれたため、起き上がる時にこの紐を引っ張った勢いで何とか自力で起き上がることが出来る様になりました。

この紐は、起き上がるための補助として非常に役立ちました!

 

当時は、てっきり市販されている補助具で、どの病院でも用意しているものなのかと思っていました。

しかし、退院後に他の方のブログを見ると、紐が備え付けてあるという話は殆ど見かけなかったので、私が入院した病院が独自で対応していたのかも知れません。

 

とにかく1週間近くは、この紐を握って勢いを付けて起き上がり、トイレなどに行っていました。

でも、最初の頃はお腹の傷口に激痛が走るので、如何にしてお腹に痛みが走らない様に起きるか?ということに意識を注いでいました。

恐らく、1週間位してようやく紐なしで起き上がれる様になったと記憶しています。

 

今回はここまでです。

何か、「驚愕の理由」や「とんでもないこと」は次のブログに先送りになったので、ブログを読んでいる方は消化不良だと思います。

ただし、続きを書き続けているとただでさえ長文なのが、さらに長くなってしまうので(笑)続きは次回以降にさせて頂きます。<(_ _)>

 

<その9に続く>