癌告知~手術までの経緯(その9)<腸が癒着した悲しい話> | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

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2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

皆さん、こんばんは!!

Kazuです。ニコニコ

 

今回は癌告知~手術までの経緯(その8)からの話の続きになります。

 

さて、手術後は傷口がくっ付くのを待つと同時に、歩いて徐々に体力を回復させます。

それと並行して、手術直後は食事が無くて点滴で栄養補給していましたが、数日後には食事を取る様になります。

食事も最初はおかゆですが、徐々に普通の食事へと変わっていきます。

そして、通常では手術の傷口がくっ付いて痛みが(ほぼ)取れるまで入院し、手術後1週間程度で退院となるのが一般的だと思います。

 

入院中はとにかくやることが無くて退屈でした(笑)

私は携帯電話がガラケーでスマホは持っていないので、スマホで検索なんてことは出来ません。

なので、手術後はひたすらフロアのお散歩と(有料カードを購入して)病室のベッドでテレビを見て時間を潰していました。

 

唯一退屈せずに済んだのは家族が見舞いに来た時。

ちなみに妻は毎日見舞いに来ていたので、妻がいる間はずっとお喋りして退屈せずにすみました。

子供の面倒で忙しい中、毎日お見舞いに来てくれた妻には感謝しかありません。

 

さて、この様な状況下ですんなりと傷口が塞がり、体力も回復して退院出来れば良かったのですが、そうは事が上手く運びませんでした。

 

点滴から流動食(おかゆ)に変更となり、食事を取りだした時に、いきなり激しい腹痛に見舞われました。

痛み止めのカロナールでも全然痛みが治まりません。

 

直ぐに検査(CTか、レントゲンのどちらかは忘れた(^^ゞ)で確認したところ、傷口と腸が軽い癒着(いわゆるイレウス)を起こしていることが判明しました。ショボーン

 

(これが、前回のブログ食事を再開してから、とんでもないことが起きました!」と言っていたことです)

 

そのため、また絶食生活に元戻り・・・

ちなみに手術の傷口は、カロナールの点滴で痛みが緩和しました。

 

しかし、この腸癒着に伴う痛みは、痛み止めの点滴が全く効かない!!

看護師さんに相談して強い痛み止めの点滴をお願いしたのですが、これ以上強いのはいわゆるモルヒネ系の薬で、

これはよっぽどのことが無いと投与しないとのことでした。(そりゃ、そうだ・・・)

 

まあ、痛みで気分が悪くなって吐くといったレベルではなく、なんとか我慢?できるレベルだったので、ヤセ我慢しました(笑)。

(ベットで寝る時の体勢を色々変えて少しでも痛みが無い姿勢がないか試みましたが、あまり変わりませんでした)

しかし、腹痛で夜中も殆ど眠れない状況が数日続きましたえーん

 

そして数日絶食(点滴)を行い、ようやく痛みがひきました。

絶食から解放されてやれやれと思って、再開した食事で暫くして出てきたのが、大好きなカレーうどん爆  笑

喜んで完食すると、またまた強烈な腹痛がびっくり

原因は同じイレウス。ガーン

 

これには嫁は呆れていましたが、息子は

「カレーだったら全部食べたくなるのは分かる、うん!」

と妙に同調してくれたのが救いでした(笑)

 

主治医によると、癒着の程度は軽いので腸閉塞の様な重篤なことにはまずならないとのこと。

少量の食事で体(腸)を慣らしていって、暫くすれば腸の動きも良くなって腹痛は改善するはずと言われました。

しかし、また暫くは地獄の腹痛が続くことになりました。

 

結局、この腸の癒着による腹痛が原因で、当初の退院予定を1週間もオーバーして結局手術(2017年8月17日)から2週間後の8月31日にようやく退院となりました。

 

そうそう、退院の時のワンポイントアドバイスとして(高額療養費制度を活用するため)入院前に限度額適用認定書の発行手続きを済ませて会計時に認定書を提示したため、限度額以上の支払いはしなくて済みました!

 

仮に会計時に限度額認定書を持っていなくても、後から手続きすれば限度額以上に支払った金額は後日(約3か月後)に戻ってきます。

しかし、その場合は会計時に支払いを一旦負担しなければならないため、まとまった金額が必要になります。

 

そのためにも、事前に手続きをしていた方がいろいろと楽だと思います(詳細は、以前高額療養費制度について書いたこのブログを参照)

 

それと、もう一点は生命保険関連の手続きを退院時に(出来る範囲は)済ませてしまいました。

退院する前に保険会社に事前に連絡して、保険会社が発行する書類に診断書を書いてもらう必要があるか、その他必要な書類や手続き、病院で発行してもらう書類などを事前に確認し、書類を受け取った上で退院時に病院にまとめてお願いしました。

 

これも、退院してからでも手続きはできます。

しかし、わざわざ時間と金をかけて(用も無いのに)病院に行って書類手続きするのも非効率なので、ここら辺も事前に準備して手続きした方が良いです。

(手続きの詳細が分かっていれば郵送でも対応できますが、切手代が無駄になるし、そもそも不明点とかがあれば直接病院でやりとりした方が解決することが多いため)

 

さて、こうして退院の手続きは完璧に進んだのは良かったのですが・・・・ 

 

退院する時も肝心の体の調子、特にお腹の具合は正直あまり良くありませんでした。

退院時には嫁が子供達と共に車で迎えに来てくれたのですが、いざ退院手続きして車に乗り込むときになって、腹痛と同時に吐き気がして凄く気持ちが悪くなりました(オイオイ)・・・

 

どうやら顔もガーン真っ青になっていたみたいで、

嫁から

「まだ具合が悪いのに、退院で家に戻ってこられても困る!」

と言われたのですが、既に退院手続きは完了し、お金も払ってもう駐車場まできてしまったので、いまさら入院延長も出来ない・・・

(よっぽど重症だったら別ですが)

何とか我慢して車に乗り込み、虚ろな気分で何とか吐かずに家まで帰ることが出来ましたキョロキョロ

 

そうそう、腹痛の原因であった腸の癒着については、後の診断で執刀を行った主治医から厳しい一言を言われました。

主治医によると、私が行った開腹手術のレベルでは、通常腹痛という自覚症状を伴う様な癒着はほぼ起こらないとのこと。

 

何故、私だけが腹痛を伴う様な傷口と腸の癒着を起こしたか?

その理由は、私は他の人に比べて内臓脂肪が異常に多かったこと!えーん

 

実は、手術直後に主治医から

「kazuさんは脂肪が多くて、手術が凄く大変だったよ・・・」

と言われていました。

私は、てっきり皮下脂肪が多くて、お腹にメスを入れるのが大変だったんだと勘違いしていました。

 

実際は、皮下脂肪ではなく内臓脂肪が多かったとのこと。

そのため、手術時に臓器が内臓脂肪に埋もれて良く分からず、埋もれた脂肪から臓器を見つけて、且つ執刀するのが大変だったと言われました。

そして、(恐らく)そのとんでもない量の内臓脂肪が原因で癒着も起こってしまったとのこと。

 

因みに私は、むか~しの動物実験で(腹腔内の脂肪と傷口は癒着し易い)ということを経験上知っていたので、主治医の説明に納得。

そして、主治医から術後の経過で気を付けることを聞いた際に言われたことは

「内臓脂肪を減らさないとダメですよ!!!」

と、きつ~く言われました。てへぺろ

 

私は入院直前には80kg近く体重がありましたが、今では62kg周辺で推移しています。(ちなみに身長は170cm未満・・・)

ということで、手術後は減量を達成&維持をしているのですが、理由としては、単にダイエットして見栄えが良くなりたいという単純な理由だけではありません。

 

体重が増える、つまり内臓脂肪が増えて、再びイレウスによるあの腹痛(激痛)になることはホントもう勘弁だからです。ショボーン

(なので、退院後暫くは食事の量を増やすのもおっかなびっくりでした。お陰様で、今では普通に食べられる様になりましたが・・・)

 

既に手術から時間が経過しているので、内臓脂肪が増えたからと言っていきなりイレウスや腸閉塞にならないとは思いますが、内臓脂肪が増えるのは病気のリスクが増えるのと同義なので、嫌でも頑張って体重維持するつもりです(笑)

あの痛い思いはもう2度としたくないので、自分の努力で病気のリスクを下られるのなら、出来ることはなるべくやっておこうと思い、現在に至っています。

 

【悲報】でも、これだけ頑張って標準体重維持しているにも関わらず、コレステロールが多くて薬による治療をつい最近始めることになりました(涙)

以前のブログ参照)

とても悲しい・・・えーん

 

でも、次の診断で、きっとコレステロールや中性脂肪の数値が減っているはず!と期待するめげない自分がいますてへぺろ

 

これにて、癌告知~手術までの経緯シリーズは完了です! 

 

*****

 

 

 

 

 

 

って、ここまで読んで「あれ?」っと思った方は、鋭い!

 

そう、前々回のブログで「肺転移による咳が、手術後(腎臓摘出後)になぜか治まった」ということについて、衝撃の理由を書くといっておきながら、そのことについて触れずじまいでした。

 

実は、衝撃の理由は退院してから薬物治療を受ける約3カ月弱の無治療の期間に判明しました。

ということで「癌告知~手術までの経緯」シリーズは一旦ここで完結とし、新シリーズとして「手術・退院後~薬物治療開始までの経緯」を書こうと思います。

 

衝撃の理由に触れるのは勿論ですが、肺転移した腫瘍の一次治療(薬物治療)に関してはいろいろな選択肢が有る中、単に医師の勧めに従ったのではなく、私の考えを中心に選択しています。

(当然、私の独断ではなく、主治医との相談の上で決めたことですが)

 

一次治療の選択に至る経緯も含めて新シリーズを数回書く予定なので、皆さまもう暫くお付き合いの程、宜しくお願いします。