癌告知~手術までの経緯(その5) | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

皆さん、こんばんは!!

kazuです。ニコニコ

 

GW10連休も残すところあと2日になりました。

いつも夜遅くまで起きて朝は9時過ぎに起きる生活なので、そろそろ早寝・早起きの生活リズムにしないとヤバいです。ガーン

GW明けは通勤のために朝5時半に起きなければならないので(^^ゞ

 

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癌告知~手術までの経緯(その4)からの続きの話です。

2017年8月16日(水)に入院するのですが、その前に一つやり残したことを片付けなければなりませんでした。

 

それは、子供達にがんであることを伝えること。

この話は「癌告知までの経緯(その5)」でも書きましたが、子供達には入院する前日(8月15日)にがんであることを伝えています。

 

元々がん専門病院でも

「子供にも正しい情報を伝えた方が良い。家族に癌を伝える際に、どうすれば良いかを冊子にしているので参考にして欲しい」

と言われており、隠し通すつもりはさらさらありませんでした。

 

しかし、前回ブログで書いた様な入院前のドタバタもあり、話す機会が見つけられないままズルズルと入院前日まで経ってしまいました。

 

子供たちは父親ががんであることをどの様に受け取るのか、少々不安ではあったものの、話してみたら意外なほどあっけらかんとしていたので、こちらもホッとしました。

 

過去ブログにも書きましたが、私の子供は小・中学生で、私の世代の様な過去の「癌=不治の病」の様な変な先入観がありません。

また私自身も医薬業に勤める身なので、感傷的にならずに病気である事実を淡々と説明したこともあり、そういう姿を見て不安に思うことも無かったのだと思います。

 

ただ、他の療友の方々は、似た年齢の子供達にがんに罹患していることを告白すると結構泣かれてしまったというブログを見かけます。

もしかしたら私の子供達はあまり父親に興味が無い、或いはどうなってもあまり気にしない、などの感情の方が実は大きい・・・

なんてことはないよなぁ・・・と一抹の不安を覚えてしまいます。

何しろ子供が生まれた時には既に単身赴任生活だったので、子供達と一緒に過ごす時間が(他の父親と比べて)圧倒的に少ないと思うので(;´Д`)

 

さて、いよいよ8月16日(水)の入院の話になるのですが・・・

正直入院中は1日単位で何をしていたか全く覚えていません(^^ゞ

 

実は、これまでの話(その1~4)も2年近く前の話を記憶の糸を辿って書いているので、良く見ると1日程度の内容ではズレというか、日時の矛盾している点が有るかも知れません。

基本的には、過去の診断明細書や領収書を引っ張り出して読み直して書いているので、大きな流れでの話として矛盾は無いはずですが、紙の記録が無い部分については私の拙い記憶頼りとなるため、多少の日付のズレが生じる可能性が有る点はご了解下さい。

 

幸いなことに、入院時には様々な同意書に署名を行っており、これらの書類を基に記憶を辿って入院時のことを書いていきます。

 

入院した8月16日の週は、会社はちょうどお盆で1週間休みでした。

(前回のブログで引っ越しの準備で会社を2日休んだと書きましたが、よくよく思い出したら元々お盆休みでした)

 

結果的には、会社の長期の休みに引っ越し準備や入院がぶつかることになり、有休を少しでも減らさずに済んだのでラッキーでした。

(今年の3月は脳転移の入院もあり有休がギリギリで、この時の有休の貯金が無ければ、下手すれば欠勤扱いになる可能性があったので)

 

診察の予約時間は14:30だったので、妻と一緒に電車で病院に向かいました。

 

そうそう、入院のために必要なものを準備して持って行かなければならなかったのですが、(多くの病院がそうだと思いますが)パジャマとタオル、それとサンダルはレンタルがあるのを事前に病院のホームページで調べていたので、家に持って帰って選択する手間ひまを考えたらお金払ってもレンタルの方が楽!ということでパジャマとタオル、それとサンダルはレンタルにしました。

 

ちなみに自分で持っていったものは、コップ・歯ブラシ・時計・財布・下着・Tシャツ位だったと思います。

後に髭剃りが必要になったので、妻が電動髭剃りを買って持ってきてくれました。

(剃刀を持っていったのですが、手術後は暫くシャワーも浴びれないため、剃刀は役に立たなかった)

 

あと、シャンプーとボディソープは病院のコンビニで旅行用の小さいのを買いました。

また下着とTシャツは3枚程度予備を持っていて、妻が洗濯で持って帰る分補給するといった感じでした。

 

基本的に、妻はほぼ毎日お見舞いに来てくれました。

普段は鬼嫁ですが(笑)、こういう時の献身的な姿は感謝の念に堪えません。

それと、自分の子供達や親も手術後に何度かお見舞いに来てくれました。

 

さて、病院に着いてから診察を受けましたが、主治医から「手術説明文書」を渡されて手術の説明を受けました。

今読むと、かなり細かく書かれていますね。

書類をまるまるブログに起こすのはちょっとはばかられるので、部分的に抜粋しますね。

 

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①病名:左腎がん、肺転移

②予定している手術:根治的左腎摘出術

③必要な理由:(省略)

④方法の概略

⇒腹部を切開し、腸管を内側によける。

腹部の大血管を剥離して、腫瘍と腎を剥離する。

腎周囲には脂肪組織があり、この外をGerota筋膜という薄い膜が取り囲んでおり、この膜の外側で剥離する。この膜により取り囲まれた状態で腎を摘除する。

⑤併症、実施後の身体障害の程度:(以下、詳細は省略)

・出血、・隣接臓器の損傷、・術後感染、・イレウス、・リンパ漏、・直接手術に関連しない合併症

⑥別の手段:(省略)

⑦実施しない場合の予後

⇒生命の危険があります。

⑧一般的な術後経過

⇒硬膜外麻酔併用の場合、術後疼痛緩和のため硬膜外チューブから疼痛緩和のため麻酔剤を持続的に注入致します。

これにより疼痛は大幅に緩和されます。

疼痛が強い場合は看護師或いは担当医に言っていただければ追加処置を致します。

3日目あたりまでは感染がなくても38度程度の発熱が見られることがあります。

術後2~3日目の内に歩行を開始します。

腸管の動きが良くなれば経口摂取を開始します。

遅くとも5日目あたりまでには経口摂取が開始できると思います。

術後3日目頃、膀胱に留置したカテーテルを抜去します。

術後7~9日目には皮膚を留めている金属を抜鉤します。

順調にいけば、術後約10日で退院できます。

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貰った書類をあらためて見ると、主治医がどの様にお腹を切るのかも手書きで書いて説明してくれました。

そして、これらの説明が終わったところで「診療行為(手術・検査・治療行為等)に関する意思確認書」に署名しました。(私と、同席者の妻も)

 

まあ、ここら辺の流れはどの病院も同じですが、一般の方々が恐らく説明でビビッてしまうのは「合併症、実施後の身体障害」のリスクに関する説明だと思います。

 

私は医薬業界に携わる身なので、「ああ、インフォームド・コンセントね」で納得できますが、初めて手術を受ける方は、必要以上にビックリするかも知れません。

 

後でインフォームド・コンセントの説明をしますが、要は医師側が患者の権利を無視して自分たちの都合だけで医療を行うことのないように、医療の効果や危険性についてきちんと説明して患者に同意を得た上で治療を行わなければならない、というルールです。

 

この危険性について、説明の上手な医師は「重大度と頻度」に基づいて説明します。要は、死につながる危険性が有るが、実際に起こることはまずない、といった様にです。

但し説明のあまり上手でない医師は重大度をメインで話して、頻度の部分が患者に伝わらないことがあります。

 

幸いなことにY部長は説明が上手で妻も不安なく聞いていましたが、医師の説明の仕方や、患者自身の知識不足により不安になることがあるかも知れません。

 

ただし、インフォームド・コンセントでは、患者に理解できる平易なことばで説明することが求められており、また要望や質問が可能で、患者が医師から病気の内容、治療法、治る確率やその治療法の問題点、危険性などを詳しく知らされ、患者が納得してから治療を受けることが趣旨となっています。

 

なので、患者側も分からない・不安だという時には、納得がいくまで主治医に説明を求めて下さい。

それが患者の権利でもあるからです。

 

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※インフォームド・コンセント(informed consent)

患者が医師から治療法などを「十分に知らされたうえで同意」すること。

医師側が患者の権利を無視して自分たちの都合だけで医療を行うことのないようにと、医師が患者に治療法の種類や長所・短所などをすべて話した上で、患者の考えを反映させて医療の内容を決めていく方式。

欧米では1960年代に確立した概念。

 

昔の日本の医療は、医師が患者に一方的に「与える」あるいは「施す」ものであり、医療内容に関して患者が意見を述べるなどということは考えられなかった。

だが医療というものは本来、医師と患者の共同作業で進められていく性格のものである。

 

日本では1990年に日本医師会生命倫理懇談会が「説明と同意についての報告」を出してから(インフォームド・コンセントの概念が)一般的に知られるようになった。

 

この報告書では医師が日常診療の場で

(1) 病名と病気の現状

(2) 行なおうとする治療の方法

(3) その治療方法の危険度

(4) 病気についての将来予測等

を患者に説明し,同意を得るよう求めている。

 

また、なにも治療をしない場合や他の病院での治療法とも比較して、患者に理解できる平易なことばで説明することになっている。

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さて、主治医の診察が終わった後は、病室(6人部屋)に移動して看護師さんから入院スケジュールの説明(手術前日・手術当日、及び手術後について)を受けました。

そして入院診療計画書へのサインを行いました。

 

今あらためて入院診療計画書を見たのですが、主治医はY部長を含めて3名、主治医以外の担当者として6名の名が連なっています。

手術はチームで行うと話していましたが(全員が手術室にいたのかは分かりませんが)、少なくとも私の手術には医師だけでも9名が携わっていたことになります。

 

また輸血を行う可能性があったので、(説明書を用いての)輸血等に関する説明と同意書へのサイン、それとHIV検査の説明書および同意書へのサインを行いました。

 

さらに、手術時には全身麻酔及び硬膜外麻酔を行うので、麻酔科医から(説明書を用いての)説明と同意書へのサインを行いました。

 

ちなみに、翌日は朝8時15分に手術室へ入室することになりました。

手術当日の朝、妻は(弁当作りも含めた)子供の学校に行く準備のため、手術室の見送りはちょっと無理でした。

また、自分の両親もこの時間に来るためにはかなり早起き&通勤ラッシュの中を来なければならず、80歳を超えた年齢でそれはとても無理なので、手術が終わる時間に合わせて来れば良いと伝えました。

よって手術当日の見送りはなく、自分一人で手術室に行くことになりました。

 

なお手術前日の自分の気持ちとしては、緊急で手術が必要と言う状況から運よく転院先が見つかり、入院前の引っ越しのドタバタも終わったことから、不安に思う気持ちよりもようやく手術が出来るという安堵感の方が大きかったです。

正直、もうなる様にしかならないと開き直っていたというのが、一番の感覚だったと思います。

 

そうそう、最後に入院前に主治医から、一般的には手術前後で数キロ体重が減ると言われました。

自分の場合は、(後述しますが)術後の腸の癒着による絶食などがあり、手術前後で体重が10kg近く減りました。(約75kg⇒66kg)

但し、手術前は単身赴任先での暴飲暴食が原因で標準体重より15kg位重い体重だったので、体重が減ったことは逆に良かったです(^^ゞ

 

その後も化学治療による副作用で体重が減ったこともあり、今ではちょうど標準体重付近(約62kg)で落ち着いています。

この体重を維持すべく、今は頑張って体重コントロールしています。

 

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さて、今回の話はここまでです。

次回は、手術当日(2017年8月17日)からの話になります。

 

<その6に続く>