癌告知までの経緯(その5) | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

癌告知までの経緯について、その4からの続きを記す前に今日の出来事を簡単に記します。

 

今日は、近くの公園にランニングに行ってきました。

公園と言っても、野球場などが併設されている、とても広い敷地。

私が走るランニングコースは、1周約1.6km。ここを5周走ります。

退院2週間後の今年9月半ばから、体力つけるのと脂肪が多い体の減量も兼ねて(笑)、週末の天気が良い日に走る様になりました。

 

昔は、会社の昼休みに毎日5km程ランニングしていた時期もありますが、今ではランニングも一苦労・・・

退院後に最初に走った時は、3周する前にバテてギブアップ・・・。だんだん体力も回復して、今では5周は問題無く走れる様になりました。

まあ傍からみれば、ランニングというよりジョギングですが(笑)。大体1周12~13分のスローペースで走っています。

 

今朝は、喉が若干いがらっぽく、若干頭痛も有り「走って大丈夫か!」と思いましたが、体温は平熱。

しばらくして頭痛もおさまってきたので、思い切って走ることにしました!

今日は、5周で1時間3分程。いつものペース通りです。いつもながら、木々の中を走るのは気持ちいい。

 

帰り際に、公園の写真を撮りました。(左側の緑のフェンスは、野球場。よく少年野球の試合を行っています)

 

さて、それでは癌告知までの経緯(その4からの続き)の話しです。

長文になりますが、お付き合いの程・・・

 

癌告知を受けて、昼過ぎに病院から帰路へ・・。

まさか、朝病院に行く時は「癌」と宣告されるとは夢にも思っていなかった。

 

確かに咳が出続けていたので、なにか体におかしなことが起こっているとは思ったけれど、複数の病院でレントゲン取って「肺はきれいです」と言われていたので、癌が肺に転移している状況なんて本当に夢にも思っていなかった。

周りからは「もしかして癌じゃない?」と冗談で言われていたりもしたが、3月に咳の原因調べるため総合病院で検査しても、特に異常があるなんて言われていなかったので、癌ではないと笑い飛ばしていた・・。

 

「俺、腎臓がんで肺に転移している」が頭でリフレインされ、ずっとボーっとしながら運転し、向かった先は馴染みのアミューズメントパーク(いわゆる、パチンコ・パチスロ屋さんです(笑))

 

そこで、貯メダルした会員カードを用いていつもの様にパチスロを打つ・・。

恐らく、ジャグラー・花火(パチスロ興味無い人、意味不明でしょうが、ご勘弁を・・・)などを打ちまわったのだろうが、何を打ったかあまり記憶はない・・・。

 

いつもは趣味であるパチスロを楽しく打つのだが、今日は全然楽しくない・・。

そして、パチスロ打ちながら何で楽しくないか考えた・・・。

 

「何で楽しくないか、それは俺が癌だからだ・・・」

「いや、待てよ・・昨日は楽しく打っていたが、いや、さらにその前ジャグラーで推定設定6打って、BIG53回、REG44回で7000枚以上出して超ハッピーで打っていた時だって(パチスロ興味無い人、本当にご勘弁を・・・(笑))、俺知らないだけで癌だったじゃん・・・」

「1年前、2年前に家族と正月に旅行に行った時の楽しい思い出の日、その時も俺癌だったということじゃん・・・、でもその時の思い出は今でも楽しい思い出だ・・・」

・・・・

「分かった、癌だから楽しくないのではなく、「癌と知った」から、今楽しくないんだ・・」

「あれ、「体は癌」という事実は過去から何も変わっていないのに、

 「俺が癌と知らない」→「楽しい毎日」、

 「俺が癌と知っている」→「楽しくない日」

って、単に俺の気持ちの持ち様だけで、今までの「楽しい毎日」が「楽しく無い日」になっているだけじゃん。何だか、癌で落ち込んでいるのが馬鹿らしくなってきた・・・」

「そうだ、それに「癌だ」と落ち込んでも、癌で無かった昔の日に戻れる訳でもない・・・」

「って、そもそも楽しいはずのパチスロ打っていて、こんなことを考えていて落ち込んでいること自体、本当に馬鹿馬鹿しくなってきたぞ・・・」

・・・

「癌になったと落ち込んでいても癌が治る訳では無く、また癌でない過去に戻れる訳でもないので、落ち込むこと自体、無駄だ・・」

「本当に今自分がやらなければいけないことは、癌になったと嘆き落ち込むことでは無く、癌という病気になったのだから、病気を治すために最善の方法は何か、それを調べて実践することだ!」

・・・

「最善の方法、それはまず自宅から通える病院で、最高の治療をしてくれる病院を探すことだ!」

「よし(単身赴任先のアパートにはパソコン無いので)、明日は会社で最高の癌治療をしてくれる病院をネットで探してみる。まずはここからだ」

 

スロット打ちながらこんなことを考えて、家に帰る頃には「癌だ」というショックは残ったものの結構気持ちはスッキリとしていて、もう落ち込む事は無く、「最高の癌治療をする病院を探すぞ!」という使命感に燃えて就寝したのでした。

 

翌日、会社で(皆さんが殆ど帰社してから)パソコンとにらめっこ。仕事の時以上に情報収集を熱心に行い(笑)、そして都内にあるがん専門病院に行くことに決めました。

 

ちなみに病院から癌告知受けた翌日には、妻と会社の上司には癌であることを告げました。

妻への告知はちょっとどうなるか心配な面も有りましたが、さすが「自立心の強い人」という理由で結婚した妻、癌と告げても動じませんでした。

(自立心が強すぎて、恐妻という面もありますが(笑))、非常に助かりました。

ちなみに製薬業界で働いている私と違い、妻は文系畑で医薬のことは門外漢ですが、最初から妻は「発達した現代医学において、癌で直ぐ死ぬなんてことは無い!」と信じています。

 

また子供には直ぐに癌とは伝えませんでしたが、がん専門病院で「子供にも正しい情報を伝えた方が良い。家族に癌を伝える際に、どうすれば良いかを冊子にしているので参考にして欲しい」と言われ、手術で入院する前日に伝えています。

 

その際、子供達はどう反応するのだろう・・と多少心配しましたが、私の子供は小・中学生で、私の世代の様な「過去には癌=不治の病」の様な変な先入観がないため、「ふ~ん、そうなんだ」とあっけらかんとしていて、こちらもホッとしました。

娘なんかは、私が「大切な話がある」と言った瞬間に「もしかして癌?」と言ってきて、(さすが、子供と言えど女性は感が鋭い・・)と変に感心した記憶が有ります。

 

また今思うと、会社に癌罹患の事実を直ぐに伝えたことは、後々の対応がスムーズに進んだことで非常に良かったです。

会社は直ぐに動いてくれて、原発巣の左腎臓摘出手術を行う前に、通院しながらも会社へ通える様に配慮する形で、単身赴任先から(自宅に一番近い)本社への転勤手続きを進めてくれました。

(当然転勤に先立ち、私の勤務先希望も確認してもらった上で話を進めました)

 

また単身赴任先の上司からは、「今回の転勤は、お前の癌を治してもらい、また元気な体になって仕事をしてもらうため。だから、まず第一優先は癌治療で、転勤先でバリバリ仕事なんてしなくても良いから」(おいおい、そこまで言っていいのか(笑))という温かい言葉も頂きました。

 

さらに、転勤に伴う引っ越しや(単身赴任先で使っていた)自家用車の売却など、入院騒ぎで手がつけられなかった部分まで会社にフォローしてもらい、非常に助かりました。

 

加えて転勤先の部署では、私が病気で通院するということで配慮してほしいと事前に通達があったみたいで(一部の上司を除き、病名は伏せています)、その点でも仕事が非常にやり易く、同僚に気兼ねすることなく通院等でお休みをちょくちょく頂いています。

 

過去には飲み会で会社の不満を同僚に愚痴っていたこともありましたが、癌になってから会社が本当にいろいろとサポート&配慮してもらい、会社の有難味を本当に痛感するとともに、この会社に勤めていて良かったと思っています。