癌告知~手術までの経緯(その4) | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

皆さん、こんばんは!!

Kazuです。ニコニコ

 

GWは、相変わらず家でのんびりと過ごしています。

明日は実家に行く予定で、(パチンコ屋を除き)GW唯一の外出予定となります。

このままあっという間に10連休が終わりそうな予感です(^^ゞ

 

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癌告知~手術までの経緯(その3)からの続きの話です。

 

がん専門病院のS医師から紹介で、2017年8月7日(月)にK病院の泌尿器科の診察、及び血液検査CT検査など一通りの検査を受けました。

(前の病院で検査していても、転院した病院では(仮に同じ検査でも)また繰り返して行う様です)

 

初めてお会いした泌尿器科のY部長は、私より年配の先生でした。

 

診察の時の細かい話は(もう2年近く前なので)覚えていないのですが、手術に関しては以下の様な話があったと記憶しています。

・開腹手術で原発巣の左腎臓を全摘出すること。

・心臓から腎臓に繋がる静脈に腎臓がんが浸潤しているため、これも合わせて摘出。

ここら辺の話は既に転院前の病院で状況を把握していたので、特筆することはありません。

 

それと手術までの間のリスクの説明を受けたのですが、以下の話を印象的に覚えていいます。

 

Y部長:

「頻度はかなり低いものの、静脈に癌が浸潤している場合、がん細胞は例えるなら高野豆腐みたいに柔らかいものであり、このがん細胞がボロッと取れて血管内を移動すると最悪肺で詰まることがある」

「これが肺塞栓症(エコノミークラス症候群)と言われるもので、その場合は即死する可能性がある」

「またがん細胞が仮に脳で詰まれば、脳血栓を引き起こす」

 

さらに腎臓から静脈にがん細胞が浸潤して、これがどんどん先まで浸潤すると、最悪の場合心臓にまで達してしまうとのこと。

この場合は処置が困難になるが、私の場合は心臓までは達していないことでした。

またY主治医は今まで心臓まで達した患者症例は見たことがないので、稀な例であると話していました。

 

そこでピンときたのが、がん専門病院のS医師から「2ヶ月も手術を先延ばしするのは医師として許容出来ない」と言われたことです。

 

結局、静脈に浸潤した部分の画像を直接見る機会は無かったのですが、手術後に行った病理組織診断の結果、以下の様に書かれていました。

「多数の静脈侵襲をmassive(大きな塊の,重量感のある,ずっしりとした)に認め、腎静脈に腫瘍栓が形成されている。静脈壁浸潤を伴う

 

私は医師ではないので、静脈に浸潤した癌細胞によりどれ位のリスクが有る状況だったのかは分かりません。

しかし、「手術を先延ばしにするのは医師として許容できない」と言われたのと、

病理組織診断に「腎静脈に腫瘍栓が形成されている」と書かれていることから、

恐らくあまり良い状況では無かったのでは、と今となって思います。

 

まあ、手術前のリスクで死ぬ可能性が有ると言われても、手術をしなければ間違いなく死を待つのみの状況なので、もう手術をするしか選択肢はありません。

まさに、まな板の鯉の状態(笑)。

後は、手術を行うまで何事も無いことを願うだけでした。

 

ただ、ちょっと不思議な感覚だったのは、そういう危機的な状況とは裏腹に、自覚症状的には咳が出る以外は全くの健康体であったこと。

本当に腎臓がんなの?という感じでしたが、この頃には肺に転移した方の腫瘍の影響でたまに血痰が出る様になっていたので、まあ正常な状態ではないことは自覚していましたが、日常生活を送る上では何の支障も有りませんでした。

 

単身赴任先のH病院で腎臓がんを見つけられなかったら、恐らくそのままバリバリ仕事をし続けて、恐らくポックリと死んでいたでしょう。

本当に、呼吸器内科にも関わらず腎臓がんを発見してくれたH病院のS医師は命の恩人で、感謝しかありません。

 

あとY部長から言われたことは、手術は4時間位を予定していること。

実際には手術室には朝9時前に入るが、麻酔をしたり、その他もろもろ手術するまでの段取りで1時間位は必要なので、実質5時間位は要すること。

そのため、手術が終わって病室に戻るのは午後2時位だろうとのことでした。

(妻も同席していたのですが、このやり取りが後々誤解を招くことになります・・・)

 

最後に手術に関して何か質問や不安なことは無いかとY部長に聞かれて、

 

kazu:

「実は便秘で手術前に便が出ない可能性があるのですが・・・」

と聞いたところ、

 

Y部長:

「大丈夫、大丈夫(笑)」

「手術中にうんち漏らす人は普通にいるし、その様なことが起こる前提で医師も対応しているから、前々気にしなくていいよ!」

と言われて、安心した記憶があります。

(結局、前日になんとか排便があり、手術中にウンチ漏らす事態にはなりませんでしたが(笑))

 

でも、他の方の手術の話を聞くと、病院によっては事前に下剤で強制的に排便するところもあるみたいで、この主治医は手術経験が豊富で様々なトラブルに柔軟に対応できる医師だったんだと、後になって思いました。

 

そうそう、泌尿器科には複数の医師がいるのですが、手術はY部長自らが執刀すると言われました。

また手術自体も過去に同様の手術を何度もしており、複数の医師でサポートしながら行うので心配する必要は全くないですよ!

と言われて安心した記憶があります。

 

そして、具体的な手術の日程の話になったのですが、

Y主治医:

「今週でも手術入れられるけれど、どうします?」と言われました。

 

しかし、流石に今週中はちょっと急だと言うことで、翌週の8月17日(木)に手術の予定を入れることにしました。

(入院は、手術の前日の8月16日になりました)

 

何故翌週に手術を延ばしたのかというと、実は単身赴任先からの引っ越しの準備や会社の転勤に伴う仕事の引継ぎが全く出来ていなかったためです。

 

実は、癌告知までの経緯(その5)で書いた様に、単身赴任先の会社の上司に腎臓がんに罹患したことを直ぐに伝えました。

その後の会社の対応は非常に早く、原発巣の左腎臓摘出手術を行う前に、通院しながらも会社へ通える様に配慮する形で単身赴任先から(自宅に一番近い)本社への転勤が決まりました。

 

但し急に手術をしなければならなくなったため、仕事の引継ぎはもちろんのこと、単身赴任先の引っ越しの準備も全然出来ていませんでした。

 

そして、手術の日程が決まったのは良かったのですが、翌日の8月8日から、入院する前日の8月15日の8日間の単身赴任先の片付けが地獄の日々となりました(;´Д`)

 

簡単に言うと、いきなり

「今日から1週間以内に今住んでいる家から立ち退いて下さい!この家にある家財道具や服などの荷物は全て処分して下さい!」

言われた様な状況です。

 

まあ、普通に考えるととても無理ですよね(笑)

さらに、今回荷物を自宅に移動するだけなら楽だったのですが、大変だったのは荷物を処分しなければならなかったことです。

(つまり、断捨離をしなければならなかった)

 

実は、単身赴任先での生活が約10年となり、完全に自宅と単身赴任先での2重生活となったため、かなり単身赴任先での荷物が増えていました。

そして、単身赴任先の荷物は自宅では不要なため、引っ越しの際は処分しなければなりません。

 

(さらに都合が悪いことに)子供の成長と共に自宅の荷物が増えて、自宅に置ききれない荷物はスペースのある私の実家にも置いていました。

しかし、とある事情でそれらの荷物が実家に置けなくなり、この荷物も私の単身赴任先のアパートに移動して、半ば私の単身赴任先は倉庫代わりの状態となっていました。

 

当然これらを自宅戻しても置く場所がないため、今回の転勤に伴いこれらは全て処分しなければなりません。

但し荷物の中にはアルバムや、子供たちの思い出の品も混じっているため、おいそれと全部機械的に捨てる訳にはいかない(T_T)

 

さらに8月8日~10日の間には単身赴任先での仕事の引継ぎも終わらせる必要がありました。

会社では(製薬企業という業界事情もあり)ルールに則って引継ぎの記録をきちんと残して行わなければなりません。

なので、突貫で資料を作成したり、引継の教育をしたりと殆ど夜中まで作業→家に帰ったら、寝る間も惜しんで家の片付けの繰り返しでした。

 

ちなみに、私は個人で学術書など結構高価な本を沢山買って持っており(買値で50万以上)、ネットとかでそれなりの値段が付くことは知っていました。

 

それらの本も単身赴任先に置いてあったのですが、「そのうちに売ればいいや」と思っている間にがんが発覚し、結局売るタイミングを逃してしまいました。

 

流石に捨てるのは勿体ないので、軽自動車に段ボール6箱位の書籍を積んで、片道2時間かけてブックオフに行って売ったものの、二束三文の値段にしかならず・・・(確か数千円)

注)専門書は、専門書専門の古本屋で売らないと高値で売れません。ブックオフは漫画などが中心の古本屋なので、どうしても安く叩かれます・・・

 

さらに服や一部の家財道具もリサイクルショップに持って行って売っぱらいました。

今考えると、これらもメルカリなどに出品すれば(先の書籍も含めて)数十万単位の金額の売値になったと思います。

 

しかし時間が無かったため、時間を優先して処分することに・・・

結局、全ての売値を合わせても数千円でした(;´Д`)

 

いま考えれば、非常にもったいないことをしたと思いますが、とにかく時間が無かったのでしょうがないですね(涙)。

 

でも、これ以上に悲惨だったのは、その他売れないようなゴミの処分。

これまた廃棄物処分場に往復1時間位かけて何度かゴミを捨てに行ったのですが、何とゴミの総量は1トンと400kg(笑)

これには私もビックリ!

 

最後の2日間は年休を取って不眠不休で片づけを行い、最後はこの電車に乗らないと入院の時間に間に合わないという時間ギリギリまで粘ったのですが、アパートの荷物は殆ど処分出来たものの、掃除までは手が回らずに放置・・・

(アパートは会社名義で借りており、引き上げ前に総務課長が部屋の惨状を見て自ら掃除をしてくれた、ということを後日談で聞きました・・・感謝と共に非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです(;´Д`))

 

更にいうと、車も処分する時間が無くて会社の駐車場に放置・・・

これも最終的には(会社の善意で)総務課長に処分して頂いて、非常に助かりました!

 

まあ、こんな感じで最後まで片付けをして最後は終電の特急で帰ってくる予定でしたが、片付けがぎりぎりで危うく乗り過ごす羽目になり、20kg以上の重い荷物を持ってダッシュで駅の構内を走り抜けて、何とか電車に飛び乗って間に合いました。

徹夜続きでの力仕事&最後は荷物を抱えてのダッシュで、電車に飛び乗ってから暫く動けず・・・

手術する前に、本当に死ぬんじゃないかと思いました(^^ゞ

 

・・・

でも今となって思えば、入院の直前までドタバタしていて良かったと思います。

何故なら、療友の方々でがんの手術を受けたことがある人は、手術を受けるまでの間は非常に不安な気持ちだったと思います。

 

しかし自分の場合は、手術のことより、とにかく期限までに仕事の引継ぎとアパートの荷物を引き渡し期限までに処分することに頭がいっぱいで、がんの不安を感じる余裕なんて全く有りませんでした。

いや、もっと言うと片づけのプレッシャーが半端なかったので(普通に考えて間に合うレベルでは無かった)、入院する前の1週間はがんのことを完全に忘れていた状態でした。

 

私の経験は特殊だと思うのですが、日々がんと闘っている療友の方々に役立つと思うことは、この様にがん以外のことで目的を持って生活しているとがんを忘れる時間が多く、日常生活の中でがんに対する不安が軽減されるのでは、と思った次第です。

 

実は、私ががんになっても前向きに生きていけることをブログで発信していますが、逆に多くの方が不安を抱えて生きていることも充分に承知しています。

 

では、前向きに生きている私と、不安を抱えている方の違いは一体何か?

単純に「性格の違い」ではないということは、(過去ブログで書いた通り)昔いじめられっ子で、それこそネガティブ思考だった私自身が良く把握しています。

 

じゃあ、どうすれば不安を抱えている方が前向きに生きられるようになるのか?

私は理系の人間なので、その部分を感覚的ではなく、理論的に理解して説明したいという気持ちがどうしても湧いてきます。

 

そんな中、実はつい最近大きなヒントになることが療友のロハスさんのブログに書かれていました!

 

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<以下、ロハスさんのブログ「日々是決戦、目的と手段」からの抜粋です>

 

癌の講演会で、「目的と手段」の話しを聞いた事があります。

 

私の経験則では、病気治しが、「目的」になると、全てが病気の事ばかりになって他の事に手がつかなくなってしまいました。

なんとかこの現状を打破したい生きたいと思うとね、それ以外考えられなかったんですよね。

 

それをワンステップ進めて、例えば「海外旅行に行く」が「目的」になると、治療や日々の養生は「手段」になるわけで日々の取り組みに意味が出てくるのではないかと考えます。

 

目的は人それぞれだと思いますが、私は「娘や妻の成長を一緒に感じながら自分も成長する事」 これが今の「目的」です。その為に、やれる事をやる、これが「手段」。やっと、最近そんな風に少し思う事が出来る様になってきた様な気がしてます。

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このロハスさんのブログを読んだ時に、ホントに「あっ、この考えだ!」と思いましたね(#^^#)

 

つまり、がんに罹患して不安に思っている、或いはストレスを抱えている方の多くは、がんを治したり治療することが第一の「目的」になっているのではないでしょうか?

 

そしてポジティブな思考でいられる私自身は、実は(無意識の内に)今までがんの治療は一度も「目的」ではなく「手段」としてしか捉えていない!

 

ロハスさんのブログを読んで、今まで無意識に思っていたことが理屈として意識付けされたお陰で、「なぜ自分は大多数の人と違ってポジティブな思考なんだろう?」と言う点が納得できた気がします。

 

自分の「目的」は、もう十代の頃から変わらず「明日死んでも後悔しない様に日々を幸福に生きる」こと。

 

こう書くと仰々しくなりますが、要は日々楽しく生きることを大きな目標として、その目標に向かって、例えば旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、友人や家族と楽しく過ごしたりすることを「目的」としています。

 

この目的を達成するために、「手段」として働いてお金を溜めたり、風邪をひかない様に体調管理したり、癌治療をおこなったりする、というのが自分の考え方。

 

そう、私は「癌を治す、或いは共存して長生きする」ことを「目的」としたことは一度もありません。

 

元々、がんに罹患して「癌を治す、或いは共存して長生きする」ことを無意識の内に「目的」としている方は、もしかしたらピンとこないかも知れません。

 

しかし、「癌を治す、或いは共存して長生きする」ことを目的として治療を行い、その目的が達成されたら例えば旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、友人や家族と楽しく過ごしたりすることを結果として行う考え方と、

「旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、友人や家族と楽しく過ごしたりする」ことを目的として、その目的を達成する手段として「癌を治す、或いは共存して長生きする」ために治療を行うのでは、文字面は似てはいるものの、実は精神的なモチベーションの在り方としては全然違うものになると思います。

 

ロハスさんも述べていますが、「目的」は人それぞれ異なるものなので、自分の身の丈にあったもので目的を考えるのが良いかと思います。

それこそ、家の花に毎日水をやることを目的としても良いかと思います。

 

「総理大臣になる!」(笑)と言う様な「目的」というよりも「夢」に近いものだと、やはり現実味が薄くなってしまい、モチベーションが維持できないと思うので。

 

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<参考>

「家の花に毎日水をやる」は、似た格言を聞いたことが有る方が多いかも知れません。

 

①「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」(樋野 興夫 著:がん哲学外来の主宰者)

⇒興味が有る方は、ネットで調べてみて下さい。本の著者というだけでなく、がん哲学外来の講演活動なども出てきます。

 

②「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」

Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.

(ルター(1483-1546):ドイツの宗教改革者の格言)

【解説】この言葉から受け取れるものはたくさんあると思いますが、幸せは何気ない日常の中にあり、見返りや成果だけでなく、将来の希望を育てる行為そのものこそ素晴らしい喜びに満ちていると解釈することもできます。

 

⇒私(kazu)は、②のルターの格言が好きというか、自分の考え方に非常に近い気がして共感が持てます。

 

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さて、今回の話はここまでです。

 次回は、2017年8月16日(水)にK病院へ入院した話からになります。

 

<その5に続く>