癌告知~手術までの経緯(その3) | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

さん、こんにちは!!

Kazuです。ニコニコ

 

昨夜の日付が変わる夜12時には、テレビの各放送局で令和へのカウントダウンを放送していた様ですが、私にとって「令和」に変わるのは生前退位ということもあり、時代が変わるという大きなインパクトがあまり無いのが正直な印象。

 

家族は皆テレビを見ていましたが、私だけもう寝る用意して、たまたまトイレに行っていたタイミングでどうやら令和になった模様(笑)

 

子供達からは「パパはおしっこしている時に令和になった(笑)」と笑っていました(^^ゞ

 

さて令和になってのGW、皆さん如何お過ごしでしょうか?

 

我が家は子供達が学校の部活や塾、友達との遊びなので予定がバラバラ。

なので、家族で何処か旅行に行くという様なことは有りません。

 

子供が小さい時はマザー牧場、ドイツ村、八景島シーパラダイス、富士のぐりんぱ等々、関東の色々な観光地に行きました。

 

そしてGWに観光地に行った時の思い出が、何処も「経験したことが無い交通渋滞(笑)」

駐車場待ちで3時間以上とかはザラ(笑)

流石に、普段は車で30分有れば着くところが半日以上かかるとか、キ〇ガイの沙汰でしょう(本当に笑えない・・・)

それでも子供が小さいころは、GWに車で観光地に出かけていました。

今思えば、GWに渋滞するのが分かっていて、よく出かけていたなぁと思います。

 

子供も小学高学年と中学生となった今、我が家では「GWは家でゆっくり過ごすのが一番!」というところに落ち着きました(笑)。

 

ちなみに私はGW後半に(一人で)実家に行く予定のみです。

まあ、実家までは電車で1時間も有れば着く距離なので、楽なものです。

 

***********************

癌告知~手術までの経緯(その2)からの続きの話です。

 

前回は、2017年7月28日(金)にがん専門病院に転院し、手術の日程が10月後半に決まり、また手術に向けた準備として造影剤入りCT検査を行ったところまで書きました。

そして、次の診察は8月2日(水)に決まりました。

 

8月2日は、超音波検査、麻酔科術前回診を行った後、泌尿器科で診察を行うこととなりました。

この診察で予想しない衝撃的な展開となりました。

 

8月2日の泌尿器科の診察で、主治医が開口一番、

 

主治医:

「この前の造影剤CTの結果、単純CTでは分からなかったことが判明しました」

「実は、心臓から腎臓に繋がっている静脈にも癌が浸潤していることが判明しました」

「幸い心臓まで癌が浸潤してはいませんが、このまま当初の予定の10月半ばまで手術をしないで放置することは、リスクが高くて医師としてはとても許容できません」

(この時は画像を見た記憶が全く無いので、口頭での説明だったと思います)

 

正直、ビックリしました。

でも、この流れは手術を前倒しでやってくれるのかなキョロキョロと思っていました。

 

主治医:

「当院では手術の予定が詰まっているため、手術が直ぐに出来る別の病院に転院しなければなりません」

(kazu:えっびっくり、前倒しで手術することは出来ないんだ・・・)

 

主治医:

「kazuさんは、早く手術が出来る病院に心当たりはありませんか?」

 

Kazu:「(思わず)ええっ(゚д゚)! そんな当ては無いですよ!」びっくり

(心の叫び:総理大臣の様な著名人でもないただの一般人が、そんな当てが有る訳ないでしょうが!)

 

すると、

主治医:(残念そうに)

「そうですか・・・では、転院前のH病院で手術を行うという選択肢は無いですか?」

 

Kazu:

「いやいや(。-`ω-)、それは有り得ません(キッパリ)」

「わざわざ家族のサポートが受けられる様に自宅のある都内の病院に転院したので、今更戻ることは絶対にないです」

「そもそも、H病院で直ぐに手術が出来るかどうかも分からないし・・・」

 

主治医:(さらに残念そうに)

「そうですか・・・」

 

Kazu:(この後の展開、どうなるのだろう・・・凄い不安(>_<))

 

主治医:

「・・・では、最後の手段として、K病院に私が懇意にしているY先生という方がいます」

「もしkazuさんが宜しければY先生にK病院で直ぐに手術が出来るか確認してみますが、どうしますか?」

 

Kazu:(即答で)

「是非お願いします!!」

 

主治医:

「では、早速確認してみましょう」

(その場で直ぐにK病院に電話)

「もしもし、K病院ですか?私はがん専門病院のSというものですが、泌尿器科のY部長をお願いします」

(このやり取りで、主治医の知り合いのK病院のY医師は、どうやら泌尿器科の部長であることが判明)

「・・・そうですか、分かりました」

 

主治医:

「kazuさん、今K病院に電話したのですが、残念ながらY先生は今週お休みということで、連絡取れませんでした」

(注:学会で不在だったのかも知れません)

「Y先生が出勤する来週に再度連絡して確認することで宜しいでしょうか?」

 

Kazu:

「はい、宜しくお願いします!!」

 

・・・

という流れで、せっかく万全を期して選んだ「がん専門病院」では結局手術は出来ず、2回通院しただけでまた転院しなければならない羽目にショボーン

それも今回は自分で選択権が無く、自分が意図しない病院に強制転院えーん

 

実は、K病院も都内のがん診療連携拠点病院でしたが、私が最初に病院選びをした時には転院先の候補に挙げていない病院でした。

 

不満を言っても、元を辿ればがんに罹患してから最低でも5年以上は放置してステージ4となり、結果的に直ぐに手術をしないといけない状況まで追いやった自分に全ての非が有るのは重々承知しています。

但し、その当時はK病院で受け入れ不可と言われたら本当に手術難民状態となる可能性があったので、ただひたすらK病院で受け入れて貰えることを願っていました。

 

そして、翌日の8月3日(木)~5日(土)にかけて、前から予約していた家族旅行で河口湖のプレミアムリゾートホテルに行きました。

 

当時は、どうにもならない先のことに悩んで、せっかくの家族旅行を不安な気持ちで過ごしても自分の為にもならないし、また家族旅行を楽しみにしていた子供達の為にもならないと思ったので(この時は、まだ子供達にはがんのことは伝えていなかったと記憶しています)、もう開き直って旅行を満喫していました(笑)

 

そうしたら、8月4日(金)に私の携帯電話にがん専門病院からの着信履歴が。

折り返し電話すると、主治医からの電話でした。

 

主治医:

「本日K病院のY先生と連絡がつきました」

「K病院では、直ぐに手術が出来るとのことなので、受け入れOKだそうです」

 

Kazu:

「本当ですか!良かったです!」爆  笑

とりあえず、最悪の状況は防げたといことで、ホッとしました。

 

主治医:

「では早速ですが、8月7日(月)にK病院で診察を含めた転院手続きをして下さい」

「なお、転院に際して当院(がん専門病院)のデータをCDでお渡しするので、8月7日は一度当院に来ていただき、データを受け取った後でK病院に伺うようにして下さい」

 

こんな流れで、K病院への転院が決まりました。

 

そして、転院するまでの間に、一応K病院のことやY部長の経歴をネットで調べてみました。

Y部長の細かい経歴を書くと私の身バレにつながるので(笑)詳細は省きますが、経歴を見る限りでは安心出来そうな医師ではありました。

 

そもそも自分が選んだがん専門病院で、主治医が懇意にしている先生が実はとんでもない医師ということは考え難いため(「類は友を呼ぶ」と思っているので)、まあ、Y部長に命を預けても大丈夫だろうと腹をくくっていました。

 

まあ、K病院で直ぐに手術をしなければいけない状況で選択肢は無いため、仮に不安があったとしても命を預けるしかありません。

あれこれ悩んでもまな板の鯉状態に変わりはないので、あまり深く考えない様にしよう(笑)と思ったものです。

 

そして、結果から先に言うとY部長は「大当たり(笑)!」でした。

 

実は手術後にY部長から言われたのが、今回の手術は静脈にがんが浸潤しており手術の難易度は高く、他の病院では手術が出来ないと受け入れを断られるところもある様な状況だったそうです。

 

つまり、Y部長は全国の泌尿器科の中でも高度な手術が出来る技量を有したレベルの高い医師だったということです。

(手術前にはY部長は一切そんなことは言いませんでしたが、患者を不安にさせないための配慮だったと思います)

 

実は手術を行う前に(K病院には泌尿器科の医師は何名もいる中)、Y部長から「手術は私が直接行います」と言われていました。

 

手術前は、「がん専門病院のS医師の紹介なので、Y部長がわざわざ執刀してくれるんだ」程度しか思っていませんでした。

 

しかし、後から考えると、実は紹介だからとかの単純な話ではなく、非常に難易度の高い手術なので(技術のある)Y部長自らが執刀したというのが真相のようです。

 

さて、今回の話はここまでです。

 

次回は、2017年8月7日(月)にK病院へ転院した話からになります。

 

<その4に続く>