癌告知~手術までの経緯(その1) | 【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

【ステージ4:治療6年目突入】腎臓がんと闘うスロッターkazuのブログ

2017年 50歳で腎臓がん&肺転移を告知されました(追記:51歳で脳転移再発、55歳で骨髄転移・骨転移を再々発)
<「癌になることは不幸ではない!」製薬企業で長年医薬品開発を生業とした経験から、前向きに治療に取り組み、日々を幸せに過ごすことを伝えるブログです>

皆さん、こんにちは!

kazuです。ニコニコ

 

まずは、近況を簡単に記します。

 

体調は、相変わらずといったところです。(全般的には良好)

左半身の痺れや軽い発作は相変わらず有りますが、まあ日常生活に支障は無いし普通に会社に行っているので大丈夫です。

 

それと、例のパチンコ負けて2千円で1カ月をクリアしなければいけない問題ですが、無事に給料日までクリア出来ました!

イェーイ爆  笑

(因みに、財布の中の残金は400円でした・・・( ´Д`)=3 フゥ)

 

そして、金曜日に会社の同僚と

「もし、今日家に帰ってお小遣いもらえたら、週末はパチンコ屋だ!」

「何故なら、自分のポリシーは・・・」、

「ギャンブルで負けたお金は、ギャンブルで取り返す!」   ←典型的なダメ人間(--〆)

という話をしていました。

 

そして昨夜、嫁に小遣いを請求したら

「あなたに週末お金を渡すと、ロクなことをしないからアゲナイ!ムキー

とのこと・・・                ←盗聴器仕掛けられている?

 

流石、我が嫁、伊達に長年連れ添っていません!

・・・って喜んでいる場合ではありませんガーン

 

来週平日まで、400円での生活が延長することになりました・・・

あと数日、頑張ります!

 

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さて、これから書く内容は癌の告知から手術までのことを備忘録として記したものです。

 

何故1年7ヶ月ほど前の昔話を振り返ってブログに書くのか、疑問に持つ方もいるでしょう。

実はブログを改めて見直したところ、癌告知以降に発生した「転院⇒手術⇒肺に転移した腫瘍の治験」の部分が書かれていないことに今さらながら気が付いたためです。

 

ステージ4の告知を受けてから手術に至るまで、実は転院や緊急での手術など紆余曲折がありました。

 

何故これらをブログに書かなかったかというと、私がブログを開始したタイミングが手術が終わって3ヶ月後の投薬治療開始時であり、当時は慣れないブログや治療にドタバタする毎日で、その前の部分の経緯をブログに書く余裕が無かったためです。

 

私も腎臓がんになって、自分と同じ薬を使っている方や同じ症状の方の情報を知るべく、インターネットで調べまくりました。

 

なので今後、腎臓がんに罹患して情報を調べる方の参考になればと思い、これまで書き漏れていた「転院⇒治験」に至るまでの話について、何回かに分けて経緯を書いていこうと思います。

 

また(例えば病院選びなど)、治療開始時には知識があまりなかった点で、今では経験によって色々と分かったことについても補足して書こうと思います。

 

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癌告知の経緯(その1~5)で記した様に、私がステージ4の癌告知を受けたH病院は自宅周辺では無く、単身赴任先のH病院でした。

 

H病院の先生からは、

「ここで手術を受けても構わないが、手術後も肺に転移した腫瘍の投薬治療を行うことになるので、自宅周辺の病院に転院するも可能です」

 

「個人的には、手術や今後の通院のことなどを考えると、家族のサポートが受けられる自宅周辺の病院への転院をお勧めしますが、こちらで継続治療することも当然可能です」

 

と言われました。

 

加えて先生から、もし自宅方面への転院を望むなら、(私の住んでいる)都内のがん診療連携拠点病院、及びがん専門病院のリストを渡すので、病院を決めたら(どこでも)紹介状を出します、と言われました。

 

H病院は(他の複数の病院で見つけられなかった)私の腎臓癌を奇跡的に発見してくれた素晴らしい病院であり、また高度医療も行う、その地域では評判も実績もNo.1の総合病院でした。

なので、何の制約も無ければH病院で手術や治療を受けることは良い選択だったと今でも思います。

 

しかし、医師が言う通り自宅から通える様な距離ではなく、今後H病院に通院することは現実的では無かったので、自宅のある都内の病院に転院することに決めました。

 

そんなこともあり、結局H病院で結局癌治療を行うことなく、検査と癌告知だけという短い期間で通院は終わってしまいました。

 

しかし(過去ブログにも書きましたが)H病院で癌が判明するまでの約半年間の間、マイコプラズマがきっかけで咳が止まらなくなり、3つの病院に行って検査しても原因が分かりませんでした。

 

当時は肺のレントゲンを撮ってもきれいであり、(医師もそうですが)私もまさか原因が癌とは夢にも思ってもいなかったです。

 

とはいうものの、咳止め薬や喘息、COPD(慢性閉塞性肺疾患)など、咳に対する全ての治療薬を試しても全く効果が無かったので、自分の体の中で何かおかしなことが起こっているという自覚が有りました。

そのため、諦めずに地域でNo.1の高度医療を行っているH病院を探して、わざわざかかりつけ医に紹介状も書いてもらって診察を受けたことで、運よく腎臓癌を発見してもらいました。

 

今考えると、咳の症状から畑違いの腎臓癌を見つけたH病院の呼吸器内科の医師は凄いと思うし、またある意味奇跡的だったと思います。

 

後々書きますが、実は私の腎臓癌は単に肺転移したステージ4というだけでなく、その後の精密検査で静脈にがん細胞が浸潤しており、あまり芳しくない状況でした。

 

そのため、緊急で手術を行うこととなり、一旦転院した都内の病院から、また直ぐに手術が可能な別の病院に再々転院した経緯があります。

 

なので、もし私が途中で

「ちょっと咳が出る位だから、まあ様子をもう少し見てみよう」

とわざわざ紹介状を書いてもらってH病院に行くようなことをしなかったり、

或いはH病院で(他の病院と同じく)私の腎臓癌を見つけられなければ、そのまま腎臓癌であることに気が付かずに(後述しますが)肺血栓や脳血栓も含めた腎臓がん由来の疾患により、間違いなく今ここでブログを書くことなく死んでいたでしょう。

 

自分が今生きていることは運の要素も当然有るとは思います。

しかし、咳が治らないことに違和感を持ち、幾つもの病院に行って最後は自宅のかかりつけの先生にお願いまでして紹介状書いてもらってH病院に行くという努力をしていなければ、間違いなく今生きていませんでした。

 

癌患者になった多くの方は、自覚症状なり健康診断の結果といったステップを踏んで癌を告知され、それから生きるために病院や最善の治療について調べたり学んだりすると思います。

 

但し私の場合は、癌治療を受ける前に自分が納得するまで前向きに諦めずに治療を受けるということを無意識の内にしていたお陰で、本来は死んでいたであろう命を生き永らえることができたという経験を幸か不幸か最初にしてしまいました。

 

その経験があるからこそ、今の癌治療において絶対に妥協はしない。

なにしろ自分の命がかかっていますから、妥協をしたり、適当な事では絶対に進められません!

 

当然ですが、妥協をしないからといっても、癌の特効薬が無い以上、自分が望む結果に必ずしもならないことは重々承知しています。

 

しかし、妥協したら死んでいたという経験を既にしている以上、自分の治療に関することは分かる範囲で勉強するし、また自分が分からないことは遠慮せずに必ず主治医に質問します。

また自分が理解しない、納得しない治療を受けようとも思いません。

 

これは、治療に関して決して自分のわがままを通すという意味では有りません。

 

自分の今の病状を客観的に正しく理解し、治療の効果(ベネフィット)や副作用(リスク)をきちんと理解した上で、リスク-ベネフィット評価を行い、良いパターンから最悪なパターンを含めた様々なケースを想定した上で、どんな結果になろうとも自己責任を負う覚悟の上で、納得して治療を受けるという意味です。

(幸い、今の主治医は医者としても人としても素晴らしい方なので、治療方針で揉めたりしたことは今までないですが(^^ゞ)

 

<今回はここまでです。次回は都内の転院についてお話します>