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社会保障を考える

社会保障法の実現を目指して共同の可能性を考えたい

 

 

親の責任とは?問われたら責任を問われても誰も責任を、100%果たして、終えることはできないのではないのではないか思うのですがどうでしょうか。西日本新聞のコラム・「風向計」(1月6日付)が取り上げたのは、北海道の障害者施設の歴史のことです。記者は38歳でうつ病との闘いのなかにいたとのこと・・・。

 

 コラムでは、「北海道江差町のグループホームで、結婚や同棲を希望する知的障害者に、施設側が支援継続の条件として不妊処置を求めていたことが分かった」という。記者は障害者であろうと、なかろうと、子どもの行き先を保障することはできないはずだと自らの体験をまじえて述べています。

 

反対の側の意見も、当時の対応が適切なのかどうか論議があったと思います。障害者であろうが、障害者でなかろうが、親の責任を問われればそこに問題がありそうです。親の責任は多様で多彩だと思われます。そして多くは親の責任は問うことが難しい内容だと思いますが・・

 

 

 紙おむつという便利な製品が広がり、大人用の紙おむつのCMが増えています。市場としての課題が認知されているのだと思います。紙おむつの使用の広がりがある現実を下記の記事は広げているようです。

 

「増える『大人用紙おむつ』ごみ 捨て方改革 官民で検討進む

12/29(木) 21:00配信 産経新聞

高齢化に伴い使用済みの大人用紙おむつの廃棄量が増え、社会問題となりつつある。自治体の焼却炉への負担が重く、高齢者施設でも処理費用がかさむ。国はおむつごみ処理問題の解決に向け、廃棄ルールの指針を今年度中に策定する。民間企業も処理装置を開発するなど、官民をあげた対策が加速している。(外崎晃彦)(以下略)」

 

処理過程において、においもほぼない状態で処理されてきるという。ごみの量が増えるのは当たり前と思っていましたが、自分も使い始めるのを見ていくと容易ならざる問題だと気になります。認知症の問題が80歳代の人から70歳代までに広がりつつあるのを知るといつかはごみの問題としての社会問題として広がりをもつのではないか。認知症の付属問題とは違う、認知症以外の在宅問題が急速な解決の広がりが期待されているのではないか。

 

 

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」という今から80年前に原作・吉野源三郎が閉塞した現況に問題提起をしました。その後 漫画版が羽賀翔一氏によって刊行されました。私の机の小さな本棚に見えるところにあります。平和を問うことにさえクレームがあります。

生きていくための指針にしておきたいと言うがなかなか同志を見つけることは難しい。そこに宮崎駿氏の新作として登場するそうです。西日本新聞では次のように紹介しています。

 

「宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』 23年7月公開、10年ぶり長編アニメ

2022/12/14 西日本新聞」ですが新作のタイトルを借りていくことだと思います。記事では

 

 「東宝によると、『君たちは-』は宮崎監督が原作と脚本も手がけ、製作はスタジオジブリ。題名は、編集者で児童文学者の吉野源三郎が1937年に発表した名著から取った。内容は同書とは異なり、宮崎監督が同書に感動して作ったオリジナルストーリーだという。」

 

原作の舞台は1937年で始まります。宮崎監督の発する声が聴こえてきそうです。

 

 井上ひさしさんなどの文筆家がコーヒーとの関係などについて書いたものを文庫本にまとめたもので「こぽこぽ、珈琲」という本です。

 井上ひさしさんの冒頭部を転載させてもらいます。

 

「そのころ、ぼくはコーヒーを、月にすくなくとも200杯は飲んでいた。そのころというのは昭和三十五年から数年間のことで、当時、当時、コーヒーの値段は一杯六○円前後の値段。したがって、月に1万2000円ばかりの金を、あの黒褐色の液体のために投じていたわけである」

 

当時、昭和35年の頃から高度成長期に入りました。サラリーマンの私は井上ひさし氏のコーヒー代の1万2000円程度の月給でした。職場は福岡市内で、昼はコーヒー店で夜はスナックの看板を掲げているところが少なくないという状態でした。その頃から人手不足が顕著になっていきました。

 

 

 

新聞の読者投稿欄を読みました。「後期高齢者がみんな通る道」というタイトルです。(西日本新聞)

冒頭部を引用させてもらいます。

 

「最近、自分の体に自信が持てなくなった。寝る前に、寝る前に服を無造作にベッドの横に置いていたが、もしこのまま目が覚めなかったらどうしよう。(一部引用)」。

 

77歳のお年寄りは、他に、じゅうたんの角につまずきそうになったり、敷居をまたぐときにスリッパにひっかかるなどの老化現象におののくという。お年寄りはつまずくことも多い。もうひとつの投書では、路上で倒れた老人をなんとか自宅までなんとかして運んだのだが、家についたら迎えた妻は、夫を叱責するだけでお礼がなかったという。

 

私は2回の脳梗塞をやり、すっかり一人での散歩が怖くなりました。それでも、歩いているお年寄りは少なくないと思うが、安全を含めてのリハビリテーションに慣れていくことがたいせつなのでしょうか。

 

 

新聞の読者投稿欄を読みました。「後期高齢者がみんな通る道」というタイトルです。(西日本新聞)

冒頭部を引用させてもらいます。

 

「最近、自分の体に自信が持てなくなった。寝る前に、寝る前に服を無造作にベッドの横に置いていたが、もしこのまま目が覚めなかったらどうしよう。(一部引用)」。

 

77歳のお年寄りは、他に、じゅうたんの角につまずきそうになったり、敷居をまたぐときにスリッパにひっかかるなどの老化現象におののくという。お年寄りはつまずくことも多い。もうひとつの投書では、路上で倒れた老人をなんとか自宅までなんとかして運んだのだが、家についたら迎えた妻は、夫を叱責するだけでお礼がなかったという。

 

私は2回の脳梗塞をやり、すっかり一人での散歩が怖くなりました。それでも、歩いているお年寄りは少なくないと思うが、安全を含めてのリハビリテーションに慣れていくことがたいせつなのでしょうか。

 

 

 

 介護分野では、3年に1度の制度見直しを議論するとして。サービス利用者の自己負担を増やすかどうかが、ここに来て防衛費の財政捻出が検討されています。福祉の予算を削ることは簡単ですが、国を国民から切り離してしまうことにならにないといけません。

 

次のオスプレイはアメリカで実施することが難しいのでというのです。

 

「今日拾った言葉たち」という武田砂鉄氏のコラム集を読みました。そのなかでも、次の事実は驚きと言うべきです。

 

「ハワイでは

コウモリのために

オスプレイの演習が

禁止されている。

沖縄県民

コウモリ以下なのか。

伊波洋一参議陰議員」

 

伊波氏は2期参議院を沖縄県民の沖縄からの基地撤去の声を国会に届けてきました。そのなかのひとつです。2016年の発言です。2016年インディベンデントウェブジャーナルに掲載されています。

基地の様子を見に行きました。絶えざる騒音にここで暮らすのは難しいと思います

 

 

 冬の季節に会うと、年末・年始のご馳走(レンコンなど)を思いだします。その中でも、レンコンは大きな位置を占めていました。小学校の時代だと思いますが、クリークの試験栽培みたいなことが行われていたこともありました。収穫も水をたくさん使用しなければならない様子でした。

 

「コラム 春秋 今年の冬至はレンコンで  2022/12/22 西日本新聞

帰ったらゆず湯に漬かり、おかずはカボチャの天ぷらかなと楽しみにしている人もいるのでは。きょうは冬至。春に向け昼が長くなるスタートの日でもある▼カボチャ(南京)だけでない。レンコン、ニンジン、ギンナン、キンカン、寒天、うどん(うんどん)。これらが「冬至の七種(ななくさ)」ともされるのは「ん(運)」が二つもあり、縁起が良いからとか

(以下略)」

 

私が幼い頃に筑後地方で試しとしてレンコンの試験栽培があったと思う。小学生の頃だと思う。試験栽培かどれぅかは今となればはっきりしません。クリークから水をくみ上げて洗ったりと、水をふんだんに水が必要だったと思います。心当たりは想像でしかありませんが。

 

 

 

年末になりました。年賀状も迷いながらいつもの粗雑な賀状になってしまいます。浮世のルールとは思いますが・・・。

 

 スモン訴訟の話です。裁判の結果について明るみに出てこない裁判官の心境です。

 

 「2022/11/27 西日本新聞」の「永田健の時代ななめ読み」からです。

 

「可部裁判官の話は凄い話だと思いました。薬害訴訟「スモン訴訟」についてなどの話には聞いていましたが裁判官という職業の厳しさに自分の思うことを反映させることは厳しいものがあると思う。スモンでは「まず下痢や腹痛などの消化器症状が先行します。もともと薬を服用するきっかけとなった腹部症状とは別に、SMON特有の症状が加わると考えられており、激しい腹痛やお腹の張り、便秘などがみられます(一部引用)」

スモンに関する調査研究班報告に経過が書かれています。ある地域では薬の影響だとはいわれず、先祖のたたりなどだとして、村八分の状態になることもあったという。

 

 最近では大阪の国有地の処分について文書の書き換えなどで自殺に追い込まれた公務員がいます。権力の恐ろしさにため息が出ます。今回は法務大臣の失言とはいえ、法務省の職員の士気にも影響します。

 

「可部裁判官といえば東京地裁で戦後最大規模の薬害訴訟「スモン訴訟」を和解に導いたことで有名」です。

 可部さんは一瞬言葉を詰まらせ、こう答えた。「極刑(死刑)を言い渡した時です」と

述べたという。最近の法務大臣が法務省の仕事はヒマでしようがないと発言し、社会的には罷免されたものだと思います。国会が強い態度で抗議したのかは定かではありませんが、死刑に対する司法の立場から語られた重みがあります。

 

 

 

「コラム 好きな色を選べばいい 2022/12/14 梅本 邦明 西日本新聞

 夏祭りで長女(5)がすくった金魚が自宅のバケツで元気に泳いでいる。金魚を見つめていると露店での出来事を思い出す。娘は金魚を入れようと青色の器をとっさに手に取った。それを見た従業員は『女の子だからピンクがいいよね』と言い、ピンク色の器と取り換えた▼娘はふに落ちない様子で「女の子だからピンクじゃなきゃいけないの」と尋ねてきた。(以下略)」

 

 どこかで決まっているようなものにされています。女の子のものにいつの間にされています。少し前の祭りのように。

それはピンクということが決りかのように。発言者の意向が異なる重みがかかります。力の関係とはいえ、無意識に強制になるのかもしれません。

 

現政権ではどこで施策が決められているようでしょうか。憲法で決められるべきことがた閣議決定で決められます。重要な国会審議が軽視されています。閣議から国会に諮り、そして国の方針は決められるはずです。