2006年 2月14日

退院後、初めての定期健診の為、朝から病院へ行った。


いつも通り、診察予約時間の1時間半前に採血を済ませ、診察時はそのデータを元に先生と話をする。


白血球、赤血球、血小板の各数値は、今日現在は一般的な正常値の3分の2位だった。


退院時に比べると予定通り回復してきている。


体力も少しづつ元に戻り、先生からは、


『継続して散歩など、極力歩く事で運動をしてださい』


とアドバイスをいただいた。


このまま順調にいけば、半月後の職場復帰にあわせて、完璧に元の元気な体に戻っているはず。



これから先、長いスパンでの退院後の予後観察について、先生から説明を受けた。



急性骨髄性白血病は発症から5年を一区切りとして考える病気。


自分に置き換えて言うとまず昨年の闘病開始から約1年が経過したことになる。


途中、色々あったが、無事に一旦は治癒という形で社会復帰。



これから先、残りの4年間、再発していないかどうかを予後観察する。


発症から2年目となる、これから先の1年間は月1回ペースの定期健診で採血検査を実施。


各細胞数値上、異常が無いかを確認する。


合わせて半年1回ペースの骨髄穿刺(こつずいせんし)により、再発していないかどうかをより細かく調べる。


3年目は定期健診のペースが若干少なくなる。


検査内容は2年目同様、採血と骨髄穿刺。


ここまでの再発率は50%、


この数値はあくまで白血病全体の数値なのであくまで参考、目安でしかない。


が、決して油断は出来ないと言うことだ。


もし再発してしまってからの治療は、初回発症時よりも、抗癌剤が効き難くなったり、自分の場合は多大なリスクを伴う骨髄移植という選択をいよいよ選ばなければならない。


一旦元気に退院した人でも、再発後に命を落とすケースも多々あるらしい。


そのため、これから先のまず2年間は再発に要注意となる。


しかしながら、特に何に気をつけるという事も無く、医師から禁止や制限される事柄も一切無い。


先生曰く、自由に入院前同様好きに過ごしてもらって問題ないとの事だ。


再発するときはするし、しないときは何も起こらない。


2つに1つだそうだ。


逆に、この期間を無事に乗り切り、発症から計丸3年が経った段階で、再発していなければ残りの2年間の再発率はグッと低くなり、ほぼ安心しても良い位だそうだ。


そして4年目、5年目の2年間が無事に過ぎ去った段階で一区切りとなる5年間が終了。


両手を上げて白血病と見事決別、となる。


それまでは、病名宣告の時に言われた、『5年後生存率30%』の真っ只中というわけだ。


別に悲観的にはまったくなっていない。


要は、30%の枠に入れれば良いだけのこと。


今からの4年間、もし何も起こらない事が確約されているなら、もう既に決別は確定しているが、ただ4年間どうなるか分からないものを見守らないといけないだけ。


祈りながら、日々元気に、前向きに過ごすしかない。

2006年 2月1日



午後、退院しました。



ようやく、終わった。



一時退院ではなく、



完全な退院。



全工程、治療が終了した。




帰宅前にお世話になった院内各所へ挨拶周りをした。


先生や血液内科病棟の看護師さん達・・・、コミュニケーションがきちんと取れたことにより少しは不安も払拭されて、なんとかここまでこれた。




そして命を落としかけた時、全力で治療、看護をして下さった皆さんがいるICUへ。


院内のどこももちろん思い出深い場所ばかりではあっても、ICUだけは特別。


危うかった自分の命を救うために全力で治療をしていただいた場所であり、


命について教えてくれた学校のような場所。




去年の秋頃、


点滴棒をゴロゴロ押しながら、病院の一階まで散歩へ行った時に、勤務を終えたICUの看護師さん2人にバッタリ会った。


2人は、自分の顔を覚えてくれていたらしく、『うぁ~!お元気そうですね!』と声をかけてくれた。


立ち話で近況報告したあと、別れ際に『他のスタッフも喜ぶので、またICUへ元気な顔を出しに来てくださいね!!』と優しい言葉をかけてくれた。


でも普通の病棟とは違い、なかなか気軽に顔を出せる場所ではない。


だからこそ、完全に退院する時には必ずお礼を言いに行きたいと思っていた。


それが今日、実現できて、感無量だった。


敗血症のショック状態で呼吸困難に陥り、無菌室からベッドごとICUへ運ばれ、ピンチを切り抜けて意識は戻ったもの歩けない体でベッドごと元の病棟に戻てきた為、自分の足でICUの入り口に立つのは、今日が初めてだった。


家族がこの入り口をどんな思いで、約20日間も行き来したのだろうか??


考えると胸がしめつけられる思いがした。




インターホンを押し、用件を伝えると、見覚えのある、懐かしい看護師さん達が出てきてくれた。


色んな気持ちがこみあげてきた。


自分の命を救ってくれた事への、お礼の言葉を心の底から伝えることが出来たと思う。




院内の挨拶まわりも済ませて、病院から自宅へ戻って来ただけなのに、クラクラっっと目が回り、息も少し荒くなり、まだまだ自分の体力が少ししかないとに驚いた。




まだまだすぐに本調子とはいかなくとも、ゆっくり回復させたいと思う。




病気の発症から今まで、周りの方々に支えられ、今こうして自分の命がある。




周囲の人達は


『よく頑張ったね!』



と言う。




でも、自分は主治医の指示通りに過ごし、ただじっと今日の復活の日まで耐えるしかなかっただけだ。




『辛かった??』




もしそんな質問を投げかけれれたとすると、




想像をはるかに超えるほど辛かった。




でも、そんな、想像をはるかに超えるほど辛かった出来事を経て、今こうしていられるのは周囲の人達の声援、応援があったからこそだと思う。




自分が頑張ったのではなく、周囲の人達が頑張れる力をくれた。




その力をもらっていなければ、自分は今ここにはいない。




感謝の気持ちを決して忘れる事無く、これからも力強く生きていこうと思います。

2006年 1月31日


昨日から自力で飲み物を飲み、食べ物を食べることができるようになった。


飲み物に関しては長い間何も飲んでいなかったので喉がまだ、慣れなくて変な感じがする。


食べ物に関しては、まずはおかゆから。飲み込む感覚を体に思い出させていく。


思えば、今回の喉の炎症。


辛かった。


主治医の先生は『見たことの無いレベルの、喉の炎症!!』と驚いていた。


採血の数値に炎症反応という項目があって、この数値が最高値で38.91。


これは、びっくりするくらい高い数値だらしい。


もちろん喉の痛み、炎症がこういった採血の結果に現れる。


なにはともあれ、ここまで回復して良かった。


でも、白血球の数値はもうかなり戻ってきているのに、喉でこんなに長引いてしまうということとは、よほどの状態だったんだなと今改めて思う。。。


地道に少しずつ、喉に飲み物、食べ物を通して元の元気な喉を取り戻したい。

2006年 1月29日


あれから1週間。


痛み止めのモルヒネは結局4日間使った。


自分にとっての効き目は、痛み止めというよりも、強烈な睡眠薬といった感じだった。


頭がボォ~っとして全身に脱力感が走り、強烈な眠気が襲ってくる。


一回その眠気にはまると途中何度も目は覚めても座ったままでまたすぐに眠ってしまう。


なので、痛み止めというよりも、錯覚を起こして痛みをごまかす状態を作っていたことになる。


あまり長期間使用するのもよくないので痛みも耐えれるレベルに和らいできたので服用をストップしてもらった。




週の半ばに無菌室を出た。


予定よりもかなり早くて、驚きだった。


白血球が早く立ち上がってきていることは、喉の痛みを取り去ることにも直結するので喜ばしい。


今日は日曜日。


喉は先週のことを考えれば天国ですが、まだ傷い。


もちろん水分、食事はまだ無理。


そのため点滴で相変わらずカロリー、ビタミン、水分を摂取してます。


一つ進歩した点といえば、空気が喉を通ってくれるようになったこと。


鼻で吸った息が喉を通り、口で息を吐ける。


今までは鼻か口かどちらかでしか息が出来なかったのが、空気が通るだけでも夜眠るときものすごく楽!


声もだんだん出るようになってきた。


あと一息、あせらずに回復を待ちます。

2006年 1月23日


ちょっと考えるところが色々ありまして・・・。


長らく日記の更新を休んでいました。


1月5日に始まった最後の第五クールの抗癌剤治療も順調に進み、特にいつも苦しむ抗癌剤の副作用である食欲の急激な減退や吐き気等、いつもの治療に比べれば大した辛さもなかったように思う。


白血球も順調に下がってきたので、無菌室に移動して今日で1週間。


ところが、


最後の最後で、今までで最も耐え難いほど、辛い状態に陥るとは想像もしていなかった。


当初、無菌室に入って2,3日は食欲も旺盛で、起床時、就寝前のうがいと歯磨き、毎食前後のうがいと歯磨きそのつど手を石鹸液でごしごし洗い、最後にアルコールジェルを手にすり込み、感染症予防もバッチリだった。


これを基本として他に何か行動を起こすごとに手洗いアルコール消毒、歯磨きうがいを追加する。


自分の場合、毎度毎度、無菌室での発熱や、体の痛み、その他の苦痛など、色々味わった。


注意をしていても目に見えない菌を予防するのは難しい。


またやっかいなのが、白血球がいないときに自身の体内で起こる何らかの菌による感染症なだけに、次にまた白血球が数値的に増えてきてくれるまで苦痛は続く。


その苦痛を色んな薬をつかってごまかしごまかし、耐え忍び、乗り切っていく。


初回の治療で感染症になり集中治療室行きとなり果ては危篤となった一件以来、今回はなかなか手ごわい。


まずは、のどが痛くなった。


普通の風邪の初期症状と同じような痛み。


次に熱。


熱は40.7度、40.2度と高熱が続いた。


喉の痛みは更に増し、腫れ上がった部分がとうとう喉をふさいでしまうにまでになった。


鏡で自分の顔を見ても左右の首元が明らかに腫れているのがわかった。


その日から、喉が痛すぎて、食事と水を自分の意思では一切とれなくなったので、液体のビタミン、カロリー、水分を24時間かけて点滴で体内に摂取する生活が始まった。


錠剤の薬も、飲み込めないのでそのときから全てストップ。


その後も熱は高い平均値を保ったまま。喉も信じられないくらい痛く、声が出ず、しゃべれない。


うがいも奥までは無理でちょっとでもはれた箇所に水が触れただけで激痛が全身に走る。


我慢の一言につきる。


口から出てくる唾液はすべて用意してもらった容器に吐き出し、喉はずっと渇ききったまんま。


高熱に向けた抗生物質や喉の痛みに向けた痛み止めもあまり効果が無くちっともましにならない。


しんどくても寝ているとタンや唾液が喉もとの痛い箇所に絡まりついてくるため40度の熱で座っている時間のほうが長く、そのほうがまだいくらか楽だったりする!笑


と言うわけで、そんな苦痛の日々が4日ほど続いており、夜中も唾液やタンを自分で容器に出さないといけないので体は眠くても起きていたりする。


だから4日間まともにねていない。


深夜のやり場の無いイライラと、喉の痛み、熱のしんどさ。


どれもが苦しめてくる。


というわけで今から、今まで使った中でおそらく最強の痛み止めである、モルヒネ。


開始!


最強の痛み止めモルヒネ


もう少し頑張ります。