『スイートポテト』が大好きな私
1年ほど前までは「美味しそう」と思ったら
サクッと買っていましたが
『グルテンアレルギー』になってからというもの
成分表示確認がマストになってしまったので
※意外と小麦粉を使ってたりするのですよ
成分表示を見ながら選定していた時のこと。。。
![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
店員:「これは本当に美味しいですよ~」
私: 「小麦粉使われてないですかね?
グルテンアレルギーなので…」
店員:「そっか~、それは可哀そうに…」
という会話になったのです。
この時、1番最初に
「『可哀そう』って
同情されたくないなぁ…」
と思ったのですが
それと同時に一瞬だけ
「『可哀そう』って
同情されるのも嬉しいかも」
と思ってしまった自分がいて
それに驚いたのです
「わっ、私こんなことも
思ってたんだ」
って。。。
それと同時に
「そうか、これがよく言われている
『病気をやめられない』原因か」
というのが
強烈に腑に落ちてしまったのですよね
![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
「『可哀そう』って
同情されるのも嬉しいかも」
![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![ドキドキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
「『可哀そう』って
同情されて嬉しいかも」
![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
でも、当の本人はそれを
認めようとしないが故に
手放せずに長年
状況が変わらずに苦しむ
というケースをよく見ます。
そう、人ってね
「治したい。
けど治したくない」
「改善したい。
けど改善したくない」
「幸せになりたい。
けど幸せになりたくない」
と相反する気持ちを
抱きやすいものです。
それが人間というものです。
※『ホメオスタシス』にやられているともね
人間って『矛盾』する
生き物でもあるからこそ
その『矛盾』をまずは自分で
認識することが大事なのです
今回の私のケースでいうと
「『可哀そう』って
同情されたくないなぁ…」
と思いつつも一瞬だけ
「『可哀そう』って
同情されるのも嬉しいかも」
と思ってしまった部分ですね。
こういう相反する気持ちが
出てきた時って
多くの場合
どちらかを打ち消します。
『無意識』レベルだったり
『反射』作用的にね
そうして『どちらかだけ』を
採用しようとするんだけど・・・
そうしてしまうと
大事なことを見失ってしまう
のです
でも、ここで
「人間は『矛盾』した生き物」
という概念を持てていると
双方が備わっていることに氣付いても
どちらかを『反射』的にすぐ打ち消そうとしなくなり
双方を『ありのまま』
観ることが出来る様になるのですよね
そして、その上で自分が感じていることを
丁寧に観ることが出来る様になると
「どちらを選んだら
自分にとって最良か?」
が自ずと見えてきて
『然るべき選択』が出来る様になります
私の場合は
「『可哀そう』って
同情されるのも嬉しいかも」
と思った自分が出てきたことで
「『構ってちゃん』な部分が
まだあったんだぁ」
とちょっと落胆しました(^▽^;)
でも、そんな自分を責めずに
「そうか、そういう気持ちも
まだまだあったんだね」
と自分で受け止めて
その上で
「まだ『可哀そう』(構ってほしい)
と思われたい?
それとも『症状』を
なくしていきたい??」
と丁寧に自問自答していったら
出てきたのが
「『可哀そう』と思われて
嬉しがっていたら
良くなるものも良くならない。
私の症状が微妙に残っていたのは
それと同じくらい
『可哀そうと思われたい』という気持ちも
微妙に残っていたからなんだろうな。
であれば、その気持ちを昇華させよう」
ということだったので
『ブロック解除ワーク』で手放しました
『ブロック解除ワーク』を身に付けていると
ホント、こういう時に便利ですね
っと、これは
『ブロック解除ワーク』の前に
『自分の気持ちに氣付く』
ということが何より大事ですので
普段から『自分の気持ち』を丁寧に
受け取る意識をしてみる様にしてみてね
:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
《公式LINE始めました》
もしくは @sexual-kayo
『チャクラを簡単に整えるベッドテクニック法』を
登録くださった方にお伝えしています
現在募集中