感慨深い日 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

額屋さんに行った後、神社二箇所、参拝してきました。
額屋さんから徒歩10分以内のところに、これもちょうど去年の今頃に初めてお伺いした白龍の神社が二箇所ありまして。

ちょっと中途ハンパな場所にあるので、なかなかその後うかがえないままになってました。


今日は、まだ日暮れ前の余裕のある時間に全ての所用が完了したので、せっかく近くに車停めたのだし…ということで、参ってきた次第です。


神社の写真はありません。

去年の記事は、こちらです。
 → ★【名古屋市中区】洲崎神社
 → ★【名古屋市中村区】白龍神社
 → ★御朱印・洲崎神社と白龍神社




去年の今頃は、今以上に、まだまだよくわかってなかったですね。
やたらと写真を撮ってくるようなことは、もう、なくなってましたけども…。

ま、今、よくわかってるか、って言えば、全然そんなことはありませんけどね。

ご祭神とかは、もう、あまり気にしないですね。
(もう本当に諦めたから…とは、言えますが…笑 なんせ、今でも、ひょこり出くわしてお参りしてみれば、やっぱりスサノオさま…みたいなことは延々続いているので…もう、どうでもいいというか何と言うか…(笑)


ご祭神がどなたか…ということと、その神社が「好き」だったり「合うな」と感じたり…っていうことは、無関係ではないにしても全てではない、と今は思っているから。
ただ、確率的には、引き寄せられるところは共通のご祭神であることは、やっぱり、多いですね。




でも今日はちょっと、いつもと違う感覚で参拝してきました。
非常に個人的なことなので、書きませんけれども。
私自身のことではないけど、私自身にも大いに影響がある…というあることについて、どうしても託したいことがあったので。
それで、朝から津島神社も行ってきたのです。
ダンナも一緒に行くことになったのは偶然ですが、偶然とも言い切れないような気配は濃厚。

こちらの二社も、一緒に参れてよかったです。


他にも、何カ所か、「私にも大いに影響があること」の先とご縁のあるところに向けての「遠隔祈願」なんかも、いたしました。

一番よく話しかけたのは、そりゃ当然ですが…私の神様に。





世の中、いろいろ起こります。

不思議なことがあまりに積み重なると、だんだん、何とも思わなくなってくるんだけど。

それでも、不思議なことは、やっぱり、不思議なことのまま…では、ある。


それは、後になって振り返った時に、ものすごい重みを伴って実感できたり、認識できたり…する。

一つ一つなら、「なんか不思議」で通り過ぎるかも知れないけど、それが幾つも幾つも重なってくると、ただ「不思議」では、もう、済まなくなる。


この一年…いや、もう少し遡って…たぶん、最初にそういう流れが始まったのは、自分への投資として心理学系講座にどーんと申し込みした、その頃からだったように思います。

かれこれ、4年? 5年?

決定的に流れの方向が決まり加速を始めたのは、2009年11月ですが。



とにかく。

過ぎてみて、振り返って初めてわかる、一連の流れ…というのが、確実にあって。

あの時、こちらを選んでなかったら…という決定的分岐点も、後になって、はっきりわかる。



私は今、新しい「場」を設けるという場面に来ているので、これが分岐点だということは、とてもわかりやすいのだけども。

この流れの本当の分岐点は、今ではなく、もっとずっと前だった。

普通なら選ばない選択肢を、迷うことなく選び。
それを、そのまま選ばせ通してくれた、家族と環境。



今日も、道々、ダンナとそのことを話しながら、参拝しました。

その時、選んだこと、選ばせてくれたこと。
それがなかったら、今はもう、全く違う状況にいたはずです。
たぶん、私は今頃、描くこともやめていたでしょう。



そういう経験をすると、社会常識や世間体といった、古い枠組みを蹴散らしてでも選ぶべき時は選ぶ…ということが、身につきます。

必要な逸脱、とでも、言うのかな。




まあ、そんなこと言ってても、まだまだ…ですけどね。

まだまだ途上だし。
永久に、途上でもあるし。



なんだか感慨深い、3月末に向かう一日でした。





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