いつも機嫌よく

いつも機嫌よく

2015年春、卵巣がん(明細胞腺がん、1C)の手術を受けました。
これから始まる治療をがんばりぬけるように、日々感じたことなど綴っていこうと思います。

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年明けから長らくブログの投稿があいてしまいました。おかげさまで元気にしています。

一昨日は4ヶ月ぶりの婦人科受診でした。今月で術後4年になるので、一年ぶりのCT検査もしてもらって。いつもながら主治医にお会いするまで一抹の不安がありましたが、画像もマーカーも問題なく「順調ですね」という主治医の言葉で肩の力が取れました。

今年に入ってから、親しい友人がふたり、亡くなりました。同じように病気になり、同じように生きたいと治療をがんばって、家族や仕事や夢を大切に生きた彼女たちのことを考えるにつけ、私はただただ運が良かったのだと思います。運が良くて恵まれていたことを当たり前にしないで、これからの生かされている日々を大切にしたいです。

今週末は久々に予定がなかったので、思い立って丹沢を歩いてきました。お天気が良くて暑すぎず寒からずの山日和、新緑の山並みと富士山を堪能してきました。とはいえ、最近太ったせいで背中のザックよりも体の方が重く感じて…真剣にダイエットと体力作りをしなくちゃと痛感。今年に入ってから両親の介護に忙しくゴルフも山もご無沙汰続きでしたが、時間を作ってでも運動しないと、骨も筋肉も放っておいたら弱る一方ですよね。令和のテーマは体力作り!がんばります。


遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 

すっかりご無沙汰しておりますが、おかげさまで私自身は元気に過ごしています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

年末から岐阜の実家に帰省して、きのう東京に戻ってきました。

東京の冬は空が青くて気持ちがいいですね。

 

何度かブログにも書いてきましたが、昨年から両親の介護が本格化しました。ヘルパーさんの訪問やデイサービスを利用しながら自宅での二人暮らしをなんとかかんとか維持していたのですが、夏から秋にかけて両親それぞれの認知症の症状が進み、自立した生活が難しくなってしまいました。去年の後半は、毎月10日ほどを実家で過ごしてきましたが、私のいない間に二人の生活が混乱することも増え、また私の仕事との両立もだんだん厳しくなってきました。

 

それで、弟たちも交えて相談をして、両親には24時間見守りサービスがある高齢者向けマンションに住み替えてもらうことにしました。両親が新しい環境に慣れられるのか、更に認知症が進んだらどうすればいいのか、等など考えればいろいろと不安になりますが、いまできることをひとつづつやっていくしかないですよね。今週いっぱい仕事の引き継ぎをして、来週から1か月ほど岐阜に帰って引っ越しの手伝いをしてきます。

 

年末年始には、海外に住む弟たちも家族を連れて帰ってきてくれたので、久しぶりに賑やかに過ごしました。家族そろって初詣にいったり、大人数で食卓を囲んだり、子どものころの思い出話で盛り上がったりと、とても楽しいお正月になりました。両親と実家で過ごすお正月はこれが最後になるんだな…と思うと、なんだかしんみりしてしまいましたが、来年はまた別の形で両親と一緒に年を迎えることになるのでしょうね。

 

この先、認知症の症状が更に進めば、もっと切ないことが増えてくると思います。それでも、父と母に穏やかに機嫌よく暮らしていってもらえるように、親孝行をがんばるのが私の今年のテーマです。

 

治療をがんばっている人や不安な気持ちで過ごされている人にとっても、少しでも明るいよい年になりますように。

早いものでもう9月、朝夕に秋の気配を感じるようになってしまいました。今年の夏は猛暑に台風、そして地震と各地で災害が続きました。私自身は日々の無事を感謝しつつ、被災された方々が、少しでも早く日常生活を取り戻されるように祈るばかりです。

 

昨日は、4か月ぶりの経過観察で大学病院の婦人科を受診してきました。おかげさまで、腫瘍マーカーもエコーも問題なく、また無事に経過観察を続けることができました。

 

病気をきっかけに始めたこのブログ、書くことがなくてついつい間遠になっていますが、OVCAでお会いしたり、コメントを通じてお知り合いになった皆さんの様子はいつも気になって、ブログを読ませてもらっています。治療を続けていらしゃる方や副作用などで体調の優れない方が、少しでも良い方向に向かいますように、といいねボタンを押すくらいしかできないけど。

 

この数か月は、実家の両親の認知症が一進一退で、私自身も気分が落ち込んだり持ち直したりを繰り返していました。

 

うつっぽくなって殆ど家事もできない状態が続いていた母は、数か月前にケアマネージャーさんのすすめでデイサービスに通いはじめました。最初の頃は、楽しくない、いやな人がいる、と愚痴が多くて、すぐにやめちゃうんじゃないかと思っていました。ところが、2か月目くらいから様子がかわってきたのです。年上の90代のおばあちゃまがお化粧をして来られるのが刺激になったらしく、久しぶりに口紅をするようになり、表情も明るく会話が増え、家事も自発的にするようになりました。

 

人見知りがあり社交的な性格ではないので、父と私はデイサービスなんて無理だと思い込んでいたのですが、プロってすごいですね。ケアマネージャーさんは、母の性格にあう施設をピタっと見つけてきてくださったのです。

 

父も物忘れがひどくなり、毎日のように身の回りの何かがなくなっていきます。曖昧な記憶でいい加減なことを言うことがあって、身内だと恥ずかしかったり苛立ったりしてしまうのですが、ヘルパーさんたちはとっても鷹揚に接してくださるので、父の精神状態も落ち着いてきたように思います。

 

離れて住んでいるので頻繁には通えませんが、職場の介護休暇の制度で月に1~2日休ませてもらって、病院の付添や役所の手続きなどを手伝いに行っています。この先、両親の老いが進むにつれ難しい状況になるかもしれないけど、できるだけ長く両親が自立した生活を続けらるように、介護サービスを受けられるようなって本当にありがたいなと思います。

 

話がそれてしまいましたが、手術から3年4か月、おかげさまでこうして元気に過ごしております。また、お会いすることができたら、いろいろお話ししたいな。

 

連休明けの東京は肌寒い日が続いていましたが、やっと爽やかな陽気が戻ってきました。やっぱり5月はこうでなくっちゃ。

 

昨日は3か月ぶりの婦人科受診でした。

1年ぶりの造影CT検査ありでしたが、おかげさまで、腫瘍マーカーも画像も問題なく、無事に3年目の節目の検診を終えることができました。

 

5月27日で手術からちょうど3年になります。

長かったような、早いような…3年をふりかえると不思議な気持ちになります。

 

いま、自分がこうして元気でいられるのは、どうしてなんだろう。

病気を見つけてくださった救急の先生と、

上手に手術してくださった執刀医や主治医と、

副作用でヨレヨレな私を励まし慰めてくれた家族や友人達と、

再発の不安を理解して気持ちに寄り添ってくれた病気の仲間達と、

仕事を抜けて迷惑をかけたのにやさしくカバーしてくれた同僚達と、

本当に多くの人のおかげです。

 

考えてみればみるほど、私自身が何かをがんばったわけでもなく、ただただ運がよくて状況が恵まれていたんだと、改めて感じます。

 

この3年の間に、親しくなった仲間のなかには、生きたいという強い願いを持ちながら叶わなかった人たちもいて、彼女たちと私、何が違ったわけでもないのに、医学の力や人の気持ちだけではどうしようもないこともあるのだと思い知ることもありました。

 

4年目に入るので、次回からは4か月ごとの受診です。

これからも、不調があったりしたら不安な気持ちになるでしょうし、ゴールはまだまだ遠い未来です。ゴールがあることを信じて、一日一日を大切に生かなくちゃ、と改めて思いながらこのブログを書いています。

 

ちょっと湿っぽい文章になってしまいましたが、普段は忙しさにまぎれて生かされた命のことをちゃんと考えられないので、1年に1回くらいはしみじみしてもいいかな。

 

ゴールデンウィークもはや終盤になってしまいました。皆さんのブログを拝見して、各地の花の便りなど楽しませてもらっています。

私は今年はカレンダー通りに5月1日と2日は出勤したので、前半が三連休、後半は四連休になりました。

前半の4月28日〜30日は、一度行きたいと思っていた残雪の尾瀬を歩いてきました。29日は私の54歳の誕生日だったので、夫からのプレゼント旅行でした。1日目は、吹割の滝に立ち寄ってから尾瀬の手前の片品村のロッジに泊まって、2日目の朝に大清水から入山しました。今年の尾瀬は雪が少なかったそうですが、雲ひとつない青空の下、燧ケ岳や尾瀬沼の展望を堪能して、沼のほとりの山小屋で静かな夜を過ごました。翌朝は、朝靄の尾瀬沼周辺を散策、普段は歩けない森の中に入れるのは雪の季節だけの特別なお楽しみでした。













こうして手術から3回目の誕生日を元気に迎えることができて、しみじみとした感慨があります。去年のブログを読むと、深夜に不安な気持ちを夫に打ち明けたりしていて、術後2年の検査を控えて精神的に不安定になっていました。今年も連休明けに、術後3年のCT検査の予定があり、そのことを考えると不安な気持ちもないわけではありませんが、一年前に比べると病気のことを考える時間は少なくなってきたように感じます。

この一年の間に、私よりも長く経過観察を続けてこられた方が何人か再発して治療を始められたことを知りました。この病気は3年経っても、5年経っても、安心ということはないのだと改めて思います。一方で、オラパリブという新しいお薬が適用になったり、再発でも手術や放射線治療で元気になられた方々のことも知りました。数年以内には実用化されるという画期的な治療法の記事も読みました。そのような様々なことを読んだり聞いたりするなかで、再発の先のことは再発してから考えよう、と心境が変化してきたような気がします。

不安な気持ちが払拭できたわけではなく、それは私の心の中に残っているので、来週の検査の前にはまた不安定になるかもしれません…でも、いまはせっかく元気でいられるのだから、元気な自分に集中して暮らしていきたいと思います。

連休後半は、榛名山の麓の施設で暮らす夫の両親と伯母に会いに行ってきました。両親はこの一年ほどの間に認知症が進み、会話がままならなくなってきました。そんな状態の両親に会いに行くのは、夫にとっては気が重いことのようです。それでも、母の日のお花を夫が渡した時には、母の顔がパッと輝いて「まぁ、嬉しい!」と本当に嬉しそうにしてくれたので、私たちも温かい気持ちになりました。しばらく経って母が「このお花なあに?」と聞くので、夫が母の日のプレゼントだと言うと、初めて聞いたみたいに「まぁ、嬉しい」ってまた喜んでくれて。何度も喜べるのはいいことかも、って夫が独り言のように言いました。頻繁には会いに行けないのですが、次は娘たちも一緒に行けたら、もっと喜んでもらえるかなと思います。

明日で連休はおしまい。明後日からはまた日常が戻ってきます。10日(木)が3か月ぶりの受診で、母の日の週末は実家の両親の介護で岐阜に帰る予定です。5月はなにかと予定が多くて、忙しくしているうちに過ぎてしまいそうです。