現代でも悲惨な内戦で、優勢な多数派民族が少数派民族を根絶やしにさせる「ジェノサイド」が横行する。内戦ではないが、スターリニスト中国が新疆ウイグル自治区のウイグル族を抑圧しているのは、その文化を根絶やしにするという意味で、形を変えたジェノサイドと言えるかも知れない。
しかし大開拓時代は、白人植民者による現地の先住民の抑圧、殺戮は頻繁に起こった。行き過ぎて絶滅してしまった先住民も多い。
ここでは、僕が博物館で観た、そうした悲哀に満ちた2つの例を挙げてみたいと思う。
文明の開拓民と狩猟採集民との衝突
ジェノサイドは、実は些細なことから起こることが多い。
例えば狩猟採集生活をしている先住民の土地に、農耕牧畜を営む開拓者が進出した時だ。こうしたケースは、アメリカ大陸、オーストラリア、アフリカなどで普遍的にある。
開拓民の大切にしていた家畜が狩猟採集の先住民に襲われたら、怒るかもしれない。しかし襲う方にすれば、家畜も、ふだん食料にしていた野生動物も、肉の塊であることには変わりはない。家畜なら人に馴れているだけ、狩猟しやすいだろう。しかも連中は、自分たちのテリトリーに勝手に入ってきたのだ――フロンティアに進出してきた牧畜を営む白人植民者と先住の狩猟採集民の、意識のズレは、かつて初めて両者が接触した世界のどこでも、深刻な摩擦を引き起こした。
イシの事跡を展示した小博物館を訪れた思い出
北米最後の野生インディアン、ヤヒ族の生き残り「イシ(男性)」と、旧石器時代の生きた博物館として残されていたタスマニア・アボリジニの生き残り「ツルガニニ(女性)」の悲しい最後は、現代世界でもちょっとした誤解で起こる民族紛争を見る際の、1つの視点を提供するのではないか。
僕が「イシ」のことを知ったのは、『イシ―北米最後の野生インディアン(岩波書店、1970)』を読んだのがきっかけだった。その後、カリフォルニア州立大バークリー校(UCB=写真:僕の見学した小博物館はこの近くにあった)を訪れる機会があった時に、イシの事跡を展示した大学構内の目立たない小博物館を訪れ、彼に関する写真や本を買って帰った思い出がある。
皆殺しにあった一族
1911年8月29日、カリフォルニア州オロヴィルの食肉処理場に、やつれ果てた1人の男が、迷い込んできた(写真)。
石器時代から20世紀の文明社会に現れたこの男が、ヤヒ族最後の生き残りの「イシ」だった。かつて3000人前後の人口を抱えたヤヒ族部族社会が、カリフォルニアへの白人の侵入により崩壊する中で、おそらく1860年頃に、イシは生まれた。そして彼が生涯に見てきたものは、自らの部族が殺され、肉親を失う歴史であった。
19世紀半ばには、ヤヒ族と白人開拓者との衝突は、日常化していた。しかし弓矢しか持たない石器人ヤヒ族は、ライフルを装備した開拓者により、次第に奥地に追いつめられ、数を減らしていく。1865年、「ミル川の虐殺」事件では、ヤヒ族キャンプが周到に準備した白人に襲撃され、川はヤヒ族の血で赤く染まったという。数年後の「カンポ・セコ洞窟」の虐殺では、33人のヤヒ族が殺され、もはや集団をなさないまでに減った状態で、さらに奥地に逃避していく。その逃避行の中で、幼いイシは育った。
人類学者クローバーに引き取られ
1894年には、ヤヒ族はイシを含めてたった5人しか残っていなかった。そして1908年、年取った母親を失い、とうとうイシは1人ぼっちになり、それでもなんとか山中で3年間、持ちこたえたが、ついに飢えに耐えかねて、食肉処理場に現れ、文明社会に「保護」されたのである。
幸いにもイシは、人類学者アルフレッド・クローバーらに引き取られ(写真=洋装したイシとクローバー、1911年撮影)、石器時代の失われた民族誌を学者に伝えながら、安寧の場を得た。
狩猟採集民の貴重な民族誌を残す
しかし野生人であったために、疾病に免疫を持たなかったイシは、ほどなく結核に感染し、4年半後の1916年5月25日に没した。妻で人類学者シオドーラ・クローバー(写真=アルフレッドと共に)によって書かれた上記の書で、イシが人類学者サクストン・ポウプに、石器の作り方、弓矢の使い方、猟の仕方など多くの貴重な民族誌記録を伝えたことが描かれている。
スイッチを捻れば明かりがつき、テレビが観られる。蛇口を開けば、水が出てくる。ネットで注文すれば、食べ物さえ届く。文明社会では当たり前のこのことが、イシが暮らしていた時代、食べ物すら自分で取らなければならなかった。
それ以前、僕たちの祖先である旧石器時代には、イシのような野生生活は普通のことだった。
その時代の石器人の生活が具体的に復元できた功績の1つは、イシのもたらした情報であった。
イシの死により、最後まで野生生活を送っていた「インディアン」と呼ばれる北米野生先住民は滅んだのである。
(この項、続く)
昨年の今日の日記:「正当性の全く無い習近平の「台湾解放」の呼号:共産党独裁が民主主義を武力支配するのか?」