オランダの歴史家ヨハン・ホイジンハ(写真)の著作に『ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)』がある。人類進化に遊び、遊ぶ心がいかに重要だったかを説く。
しかし2020年は、武漢肺炎パンデミックで完璧に「遊び」が封じられた。
「遊び」関連は総崩れ状態
僕は、毎年必ず1~2回は行っていた海外旅行に行けていない。そもそもどこに出かけようと、「遊び」ならどの国も国境を閉ざしている。
そのためANA、JALの空運2社は大赤字だ。政府や東京都がしばしば「自粛」、「都道府県境を超えての旅に行くな」と言っているから、JRの売り上げも惨憺たる様相で、リモートワークということで通勤も控えているから、私鉄も大赤字だ。
旅行会社、百貨店・小売り、飲食業、テーマパークなど、「遊び」関連は、目も当てられない惨状だ。
オリンピックも危うし
今年いっぱいは、こうした状況が続くだろう。ワクチンがいつ頃から接種できるようになるかによるが、それまでは世界的な閉鎖状態は解けないだろう。
このままでは、1年延期された東京オリンピックも危うい。そしてプロのスポーツ・イベントは、来年も観客収容制限が続くと、存亡の危機に立つだろう。
たかだか1日の感染者が全国で600、700人、しかも重症者は200数十人、累計死者が1300人ちょっとで、この狂騒状態だ。2008年までにテレビや新聞で煽られた新型鳥インフルエンザがヒトからヒトへと感染力を増したら、この比ではないだろうに。
「遊び」など存在しなかった旧石器人並み
さて、僕たちが「遊び」を愉しむのは、生活に余裕があるからだ。余裕も無く、その日その日に食べることで精一杯なら、とうてい「遊び」など存在しない。
人類史で見れば、旧石器時代はまさにその時代だった。時折、旧石器人の「遊び」らしい遺物が発掘されるが、それが生活の重要なファクターだったことはあり得ない。
そもそも彼らは、遊動生活者だった。石器を含む狩りと採集の簡単な道具だけ持って、常に行方を定めず、遊動していた。
夜になれば、安全そうな場所を選んで野営、である。定住する住居など存在しなかった。したがって新石器時代に不可欠の道具となる土器も、彼らは作らなかった。土器など重く、壊れやすく、遊動生活には邪魔でしかなかったからだ。
定住化は1.4万年前のナトゥーフ文化以降
ただそうした彼らも、時には、例えば1年に1度とかを定め、集団的に集まり、祭祀行為を行った。フランスなどで知られる旧石器洞窟壁画のある場所は、彼らの集まりの場であったかも知れない。そうした非日常的なイベントは、若い男女の出会いのでもあったようだ。
人類が1個所に定住して生活するようになったのは、700万年に及ぶ人類史上ではつい最近の1万4000~1万1000年前のナトゥーフ文化(中近東地方)以降に過ぎない。ナトゥーフ文化に至って、初めて恒久的な住居が造られた(写真:石灰岩を組み上げたナトゥーフ文化の住居址、イスラエルのエルワド遺跡)。
それまで人類がずっと遊動生活者だったのは、定住化した場合の食資源の枯渇、サニテーション(公衆衛生)の問題を解決できなかったからだ。
自生する野生小麦で暮らせた
ナトゥーフ文化では、まだ植物栽培、牧畜は行っていない。彼らは野生のオオムギなどの穀物を採集し、豆、アーモンド、ピスタチオなどを食用に利用し、またガゼルなどを狩猟して暮らしていた。
野生穀物の採集も、バカにしたものではないらしい。中東の丘に自生する野生小麦は、ヒトが何も世話をしないでも1ヘクタール当たり785キロが収穫できたという試算がある。これは、家族が1年間食べていける量だ。これを石臼、磨り石で粉にして(写真)、焼いて食べた。さすがにこれだけの動産を持てば、農耕をしていなくともナトゥーフ文化人は1個所に定住せざるをえない。動物蛋白のガゼルの肉は、たまのごちそうだった。
氷河期が終わる寸前の束の間の亜間氷期が、こうした条件を整備したのだ。
しかしサニテーションの問題は、解決できなかったはずだ。おそらく不潔な環境から何年かごとに疫病に襲われたかもしれない。
僕らは、まるでナトゥーフ文化に逆戻りしたかのような暮らしを、今、送っているようだ。
昨年の今日の日記:「ヤフー、ZOZOに友好的TOB、同社の前沢友作氏は持ち株の大半を売却し、社長を退任、経営から身を引く」