20年以上も忘れられていた紛争が、また再燃した。場所は、南コーカサスのカスピ海に面した旧ソ連構成国である。


アルメニア系住民が独立とアルメニアへの編入求め内戦
 ソ連崩壊の1991年に、ソ連の混乱に乗じて、構成国アゼルバイジャン共和国内のアルメニア系住民が、隣国アルメニア共和国への編入を求めて武力闘争を開始、独自にアルメニア系住民が多数を占めるナゴルノカラバフ自治州の独立共和国樹立を宣言した。
 これを阻止し、アゼルバイジャン共和国の一体性を維持しようとする同国政府軍が、制圧に乗り出し、激しい内戦に陥った。
 当時、ソ連は混乱の極にあり、ロシア共和国内でもチェチェンの独立を求めるイスラム系の武力闘争とロシア国内でのテロが吹き荒れ、またグルジア(現ジョージア)でも親ロシア系共和国が独立を求めて武装闘争に入り、さらに東欧民主化革命の波及した旧ユーゴスラビアでも内戦が勃発していた。


またしても武力衝突、双方で毎日100人単位の死者
 アゼルバイジャンの内戦は、数万人の死者と難民を出しつつ、ともかくもロシアとアメリカなどが内戦を押さえ込み、停戦に導いた。それが、1994年のことだった。
 それ以来、現地は小康状態を保ち、世界はこの紛争を忘れていた。
 それが、去る2日に再燃した。
 アルメニア武装組織とアゼルバイジャン共和国政府軍が武力衝突し、双方に合わせて100以上の死者が出た。翌3日、アゼルバイジャン政府は停戦を宣言したが、その舌の根も乾かないうちに戦闘が再開、4日も両軍の戦闘が続き(写真)、毎日100人単位の死者が出ている。


アゼルバイジャンの内戦

 ここもまた、複雑で入り組んだ民族構成のために、ひとたび火がつくと、沈静化には一筋縄ではいかない。


イスラム教徒トルコ系主体の国でキリスト教徒アルメニア系は少数派
 まずアゼルバイジャン共和国は、豊かな産油国で、民族的にはイスラム教徒のトルコ系住民が多数を占める。一方、独立のうえ、隣国のアルメニアへの編入を求めるアルメニア系のナゴルノカラバフ自治州は、キリスト教徒住民が多数を占める。さらに周囲を囲むアゼルバイジャン共和国がトルコ系でもあり、融合はしにくい。
 トルコには、1世紀ちょっと前のオスマン帝国時代に100万~150万人ものアルメニア人を虐殺したジェノサイドの古傷がある(15年5月6日付日記:「バルト3国紀行9:午後5時の『強烈な』陽光を避けるように聖ペテロ&パウロ大聖堂へ;付記 アルメニア人大虐殺100年、ジェノサイドか否か」を参照)。


プーチン・ロシアとエルドアン・トルコの「冷戦」も一因
 この紛争の再燃は、アゼルバイジャン共和国が、主産業の原油が近年の安値で経済低迷し、さらに隣国のトルコのエルドアン強権政権が、昨年のロシア機撃墜で、ロシアと緊張を高めていることも背景にある。
 再び大規模な内戦が再開すれば、ISIL系のテロと押し寄せる経済「難民」に揺れるヨーロッパはさらに不安定要因を抱え込む。
 それにしてもいつも思うのは、世界に武力紛争は尽きないということだ。「城内平和」で惰眠をむさぼれる日本は、なんと幸せなことか。この国を「日本死ね!!!」などと誹謗するバカ女の気が知れない。


昨年の今日の日記:「ポーランド紀行:国民的英雄の将軍の像、タデウシュ・コシチュシュコを知ってましたか?」