タナ湖の島のウラ・キダネミレット修道院の教会壁画をひとわたり参観して(写真=下の写真は「東方の3博士)、外に出た。ビニール袋の「教会セット」は御用済みと、捨てるべく丸めたら、実はもう1回使う必要が生じた。


ウラ・キダネミレット教会の壁画

ウラ・キダネミレット教会の壁画3

ウラ・キダネミレット教会の壁画2

ウラ・キダネミレット教会の壁画4


博物館の鍵を開けてくれたのだが
 教会の隣に建つ博物館を開けてもらう、と現地ガイド氏は言うのである。来た時は鍵がかかっていたのだが、せっかく日本から来たのだから、と開けてくれるらしい。たいそうな「おもてなし」である。
 ただここも教会施設なので、入場には脱帽とともに靴を脱ぐ必要があるという。丸めてしまったので、先頃のビニール袋はもう使えない。
 どうせ短時間だから、と古靴下のままで入館した。だだっ広いホールに、いろいろな品と絵が展示されていたが、説明板もなく、分からない(写真)。僕は、むしろ足下の方が気になっていた。


教会博物館の内部


正式な聖衣の司祭が来て
 そのうち聖衣を着た1人の老人が、室内に来た。ウラ・キダネミレット修道院の司祭のようだ。手に、錫杖のような物をうやうやしく抱いている。これは、後にラリベラ岩窟教会群の各教会で必ず見せられたその教会独自の十字架なのである(写真)。


教会の司祭

 したがって司祭がそれをかき抱いて見せるのは、訪れた信者などへの精一杯のサービスということになる。僕たちの中にエチオピア正教徒は誰もいないけれども、そうやってサービスしてくれた。


女性と共にカメラに納まるのはダメ
 写真撮影もオーケーということだった。
 ただ女性が隣に並んで一緒に写ろうとすると、スーと離れる。女性と共にファインダー納まるのはNGなのだ。もうおばあさんに近いおばさんばかりなのだが。
 僕たちは、ものの10分もたたずに博物館を出た。博物館は、再び鍵がかけられた。
 外に出ると、現地時間で4時40分になっていた。さすがに赤道近傍でも、この時間には陽が傾きつつある。日本なら、1月23日はもうとっくに夜の時間である。
 ここで僕たちは、トイレタイムもとった。トイレは建物の外だという。
 あっちだ、という修道院の人たちに手で指し示され、博物館の裏手に回ったそこは……。詳細は、16年2月26日付日記:「エチオピア紀行(19):国際標準にとても達しないトイレ事情、世界最貧国の一断面」に譲る。


昨年の今日の日記:「前党政治局常務委の周永康が起訴、罪状の『故意による国家機密漏えい』に注目」