エチオピアは、世界最貧国の1つで、めぼしい地下資源は何もない。石油も、ダイヤモンドも金も出ない。
 輸出商品と言えば、この国が原産のコーヒーくらいのものだ。


完全に近い古人類骨格3体も産出
 しかしこの国が世界に誇れるのは、人類進化学のキーエリアであることだ。古人類学上、傑出した人類化石を多数、産出してきている。その発見ラッシュは、今も続く。
 ネアンデルタール人化石を除く10万年前以前の古人類化石で完全に近い骨格化石は7体しかないが、そのうちの3体(後述)はエチオピアで見つかっている。
 古人類学史を紐解けば、まず人類化石出土ラッシュは、20世紀半ば、南アフリカで起こった。


南アフリカ、ケニア・タンザニア、そしてエチオピアへ
 次いでその焦点は、東アフリカのケニア・タンザニアに移る。揺るがぬ信念で、大地溝帯の荒れ地に向き合ったリーキー夫妻が、オルドゥヴァイ峡谷での調査に挑み、化石ラッシュを演出した。夫妻の引退後は、息子のリチャード・リーキーがトゥルカナ湖周辺で派手な化石発見を続ける。
 その間、ケニアの北の隣国、エチオピアは蚊帳の外であった。
 しかしエチオピアも、有力な化石産地になり得ることは、冷徹な古人類学ハンターは熱い視線で注目していた。ケニアとタンザニアで古人類化石の出る地層を露出させる大地溝帯がエチオピアにも延び、古い地層がそこにあることは確実だったからだ。未踏の地は、科学者の調査を待ち望んでいるかのようだった。


未踏の地を開いたクラーク・ハウエル
 当時、シカゴ大学に在籍していたフランシス・クラーク・ハウエルがそのチャンスをつかんだ。
 エチオピア調査の機会を探っていたハウエルは、つてを手繰ってハイレセラシエ皇帝に謁見した。
 隣国ケニアの派手な化石発見ラッシュを知っていた皇帝は、ハウエルに尋ねる。「我が国ではどうして化石がないのか?」。
 すかさずハウエルは、答える。「ございますとも、陛下。ただ調査がされていないだけです」。
 そして調査の許可を、その場で希望した。ハイレセラシエは、分かった、担当の者に言っておく、と答えた。
 未踏の地、エチオピアの人類化石探査の門が、それで開いた。


不運にも最初のオモ渓谷は化石に恵まれず
 クラーク・ハウエルが、地質学や考古学、古生物学などの専門家たちから成る大調査隊を率いてトゥルカナ湖に注ぐオモ渓谷の乗り込んだのは、エチオピア古人類学の夜明けとなる。1960年代後半のことである。
 ハウエルのオモ渓谷の調査は、不運にもここが急流の跡の地層であったことから、得られた人類化石は断片的だった。しかしハウエルは、ここで200万年前代の詳しい地層層序と動物化石、年代の系列を明らかにした。
 300万年前以前の地層が露出しているエチオピア東部のハダールという処女地を開いた弟子のドナルド・ジョハンソンは、そこで1974年、最初の完全に近い古人類化石「ルーシー」を見つけ、ここが古人類化石の豊穣の地であることを立証する。
 318万年前のメスの化石「ルーシー」は、後にアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)のスターとなった。


「ルーシー」のみならず「アルディ」、「セラム」も
 僕は、エチオピア旅行の最終日の国立博物館(写真下の上)で、その化石の模型を観ることができた(写真下の下)。「ルーシー」の模型は、以前、アメリカ自然史博物館などでも観たが、現地で観られたのは格別であった。
エチオピア国立博物館


ルーシー

 そしてこのフロア(写真下の上)で、440万年前のアルディピテクス・ラミダスのメスの骨格「アルディ」と332万年前のアファール猿人の幼女「セラム」骨格の模型(写真下の下)も展示され、それも観られたことは望外の感激だった。


人類学のフロア

セラム

 「アルディ」は最古の人類骨格化石であり、「セラム」はネアンデルタール人を除いて唯一の幼児の骨格化石だ。「ルーシー」と並ぶ、進化人類学に大きな画期をもたらした3体もの骨格化石がエチオピアで見つかったことに、自らはそれに恵まれなかったクラーク・ハウエルの卓見があった。


昨年の今日の日記:「ISIL(「イスラム国」)テロリスト帝国連邦の創設を防げ;エジプトがリビア支配地を空爆」