22日に公表された吉田デマ証言に基づく従軍慰安婦虚報に関しての朝日新聞社第三者委員会の報告については、翌々日付日記で紹介した(12月24日付日記:「朝日新聞慰安婦問題報道での第三者委員会報告、報道姿勢に様々な角度から厳しい批判」)。
義母の私的利益のためという批判
この第三者委報告では、91年8月11日付大阪本社社会面トップの「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」という見出しの元同紙記者・植村隆の書いた記事もある程度のスペースをとって考察している。
この記事については、後に元慰安婦らの裁判を組織した韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった義母のつてで植村が裁判を有利にしようと書いたのではないか、とかねてから批判されていた。
義母を利するためとは言えない、と結論付けたが
第三者委は、植村からの聴取を基に、植村の言い分、すなわち「ソウル支局長から紹介を受けて」別団体の録音テープを聞いて元慰安婦にアクセスしたという答えを得て、前年に実際に韓国で元慰安婦を探す取材をしていたこと、植村記事が出た直後に北海道新聞が元慰安婦に直接取材し、実名で報じたことを挙げ、植村が記事を書くにあたって義母にそそのかされ、裁判を有利にするために、義母を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたとはいえない、と結論付けた。
しかし植村の言い分が、これで裏付けられたとするには、いかにも根拠薄弱である。利害関係のある義母がいる以上、むしろ「李下に冠を正さず」として、記事執筆を回避するのが自然である。北海道新聞が直後に記事を報じたとしても、後追い取材をして報じただけで、植村が記事執筆に独占的に有利だったことは明らかだ。義母の存在は、ゼロだったはずはないからだ。
事実を知ったうえで書かれた「安易かつ不用意な記載」の記事
しかもテープを聞いて、取り上げた元慰安婦女性が、養父に「騙されて」慰安婦になったことを知りながら、故意にそのことに触れず、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることが分かり」、と書いている。
元慰安婦本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないことは、植村はテープからはっきりと理解していた。にもかかわらず、「女子挺身隊」と「戦場に連行」というおどろおどろしい表現で、「騙された」元慰安婦をイメージさせたのである。
さすがに第三者委も、元慰安婦が戦場に強制連行されたという印象を読者に与えた「安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招くものである」と批判している。
もっと言えば植村は、こうした記述で、韓国人に対し、後の我々日本人全体の印象を悪化させるのに一役買ったのである。
植村記事の直後に韓国紙はキーセン学校出身であることを報道
さらに問題なのは、元慰安婦がキーセン学校出身だったことを意図的に隠して、日本を告発する前掲記事を書いた可能性をぬぐえないことだ。なおキーセン学校とは、外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するための女性を妖精していた学校で、ここの出身の女性たちは最初は格が高かったが、後に変質し、日本統治下では厳しく規制されたもののほとんどの女性たちは売春婦に身を落としていった。
つまり元慰安婦のキーセン学校に通っていた時代、従軍慰安婦になる可能性が非常に高かった時代なのである。
実際、植村の前掲記事が出た直後の同年8月15日付の韓国紙「ハンギョレ新聞」などは、元慰安婦がキーセン学校出身であり、養父に騙されて中国まで連れていかれたことを報道していた。
4カ月後の続報でも訴状に記載されていたキーセン学校出身を伏せる
テープまで聞き、直後に韓国紙が報じるほどだったのに、養父に騙されていたことも、キーセン学校出身だったことも知らなかったはずはない。
その事実をはっきりさせれば、記事にならない(22日朝日紙面で岡本行夫委員が批判していたように「角度をつける」記事にならない)から、故意に伏せたとしか思えないではないか。
さらに植村は、同年12月25日付大阪本社版朝刊でも「かえらぬ青春 恨の半生」の続報記事を書き、元慰安婦の日本政府を相手取った裁判を支援する記事を書いた。この時点で、元慰安婦は訴状にキーセン学校出身であることなどを記していた。
どんなに遅くとも(その可能性はほとんどないが)、この時点までに植村は元慰安婦がキーセン学校出身であったことは知っていた。
全体像を伝えず、「角度をつけた」偏向記事
にもかかわらず、この記事でもキーセン学校出身について触れなかった。「角度をつける」ためであろう。
確かに第三者委報告書が述べているように、キーセン学校に通っていたからといって、元慰安婦が「自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦になっても仕方がなかったとはいえない」。だが、「この記事(筆者注 12月25日付記事)が慰安婦になった経緯に触れていながらキーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある」、と批判している。
北星学園大、植村との逆転雇用継続に数を恃んだ圧力
植村が現職の大学非常勤教官、それも非常勤職を続けられるかどうかという微妙な時期の審議だったから、婉曲な言い方に終始しているが、これを世間では「捏造」記事と呼ぶのではないか。
植村の罪状は重大、という印象は、この第三者委報告でますます高まった。
にもかかわらず植村は、左翼、「進歩的」市民団体や自称「人権派」弁護士らの圧力で、打ち切られることが決まりかけていた北星学園大学非常勤講師の職を継続することになった。17日、同大学は植村との非常勤講師の契約を来年度も継続することを発表している。
第三者委の報告がもう1週間早ければ――
この報告がもう1週間早ければ、同大は契約継続を発表したであろうか?
数を恃む圧力で強引に要求を通す――現在の韓国の従軍慰安婦補償要求と同じ構図である。
幸いにして日本政府は、すんでのところで従軍慰安婦の国家補償を回避できた(その代わり日本政府も間接的にかかわる「アジア女性基金」を作らされた)。
しかしアメリカ下院で従軍慰安婦への日本非難決議がさなれたり、全米各地で韓国系アメリカ人によって慰安婦像が設置されたりしている現状を見ると、朝日新聞と植村隆の罪が消えることはないだろう。
写真は2年前の植村。こちら側に表紙の見える雑誌「世界」、「週刊金曜日」から、植村の思想信条がうかがえて興味深い。
昨年の今日の日記:「南部アフリカ周遊:ソウェト蜂起を記念するへクター・ピーターソン博物館;今日は『悪魔』毛沢東の誕生日;文化大革命、大躍進政策、アフリカーンス語」