海南島の明代官僚墓の石虎・石馬(1)
─丘濬墓の石虎・石馬
(海南省海口市水頭村)
昨日10月26日、搭乗予定の飛行機が、午後に遅延の連絡がありました。そこで、これは天の配剤とばかり、最後に明代官僚墓の石虎を見に行くことにしました。しかし、天の配剤とは、強い雨を伴ったものでした。
図1.石虎(向かって左)
丘濬(きゅうしゅん)(1420-1495)は、海南島出身の明代の大官僚・大学者です。官僚としては、戸部尚書ですから今で言う内務大臣プラス財務大臣を合わせたような地位、学者としても皇帝を補佐する秘書役の大学士(武英殿大学士)で、正五品(しょうごひん)の官位です。朱子学者としてよく知られています。
図2.石虎正面(向かって左)
長年荒れ果てていた丘濬の墓は、近年整備され、海南島特有の、玄武岩石材のドーム形(高さ約600㎝)の丘濬夫妻の墓所の前と、入り口の「牌坊」(はいぼう・飾り門楼)の間に、石彫の動物たちが並びます。
丘濬墓の背後には、初代の墓所もあります。
海南島では唐代の9世紀初の海南島に流されて亡くなった韋執誼墓が、ドーム形はまだ成立していませんが、玄武岩の石材で六角形+円形台の構造ですので、この辺りを、海南島の官僚墓が現地化していくエポックの一つとみてよいと思います。
この墓所のカタチは、円形の土饅頭を、石材で覆って強固にしていった過程で生まれたようです。そのため、ドームの中は土が詰まって、土饅頭となり、墓室は地下にあります。
図3.石虎後部(向かって左)
じつは、荒れ果てていた当時は、草むらの中に石獅が草に埋もれておりました。そこで本当は石獅を見に行ったのですが、おりませんでした。どうもまだ補修中のようです。石虎と石馬だけがおりました。本来はまだまだ色々並んでいたはずで、石羊もあり、石碑も亀の台座に載せられていたはずです。
図4.石虎(向かって右)
石虎は、他の地方の石虎とはまったく違います。造形が、対岸の雷州半島の石狗の、獅子に似たタイプのまるまるとした形に良く似ています。石材は、海南島と雷州半島に豊富な玄武岩のようです。
図5.石虎正面(向かって右)
両目が大きく、そして勾玉形に縁取りされていて、尻尾が前足まで長く巻いています。この輪郭強調された目と、尻尾が、虎たる証しなのです。両方ともわずかに口を開けて、牙と舌を見せています。表情はいくぶん異なります。全長180㎝程度、全長200m程度です。
図6.丘濬墓全景
石馬は、背中剥き出しで鞍がありません。鞍と、その下の腿カバーと、あぶみは、たいていの明代官僚墓の石馬にはありますが、これでは裸馬です。
図7.石馬(向かって左)
目がきちんとしていて、ビンロウのような縁取り、とくに向かって右の石馬が、眉を描くような表現で、丹精なお顔立ちです。しかし2頭は、表情がだいぶ違います。体格は小さくて、荷馬である雲南馬を思い出しました。日本の在来種みたいな感じでしょうか。たてがみがないので、つるつるした印象です。可愛らしい、愛玩用の馬みたいで、乗馬のための馬とはとても見えません。全高160㎝程度、全長200㎝程度です。
図8.石馬正面(向かって左)
図9.石馬(向かって右)
図10.石馬正面(向かって右)
今回の一ヶ月半の調査行を締めくくる最後の訪問は、これでようやく終わりです。最後は土砂降りでずぶ濡れになりましたが、対岸の石狗に良く似た石虎を見たのは、収穫でした。
図11.丘濬墓
この感性、共通する福建南部系方言の海南方言圏と、雷州方言圏では、官僚墓のそれでさえ、共通するものがあることが確認できたので、なかなかに興味深かったです。
図12.雨の牌坊
石狗文化の影響が、官僚墓の石虎にも見られるのです。これは、もう1つの有名な明代晩期の官僚である海南島出身の海瑞(かいずい・1514-1587)の墓所の石獅・石虎にも顕著ですので、追々取り上げたいと思います。

















































